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16年春リニューアルしました! 蒼辰が書くおハナシを随時アップしております。ちゃみのMCともども、読んでやって下さいまし。
by planetebleue
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<   2013年 08月 ( 22 )   > この月の画像一覧

野菜の日なので野菜の話。

 おあつうぅございます。
 ちゃみでっす。

 さて、明日で8月終わりですね。
 週が明けると、子どもたちも学校へ復帰します。
 ってことわ、この週末は宿題で大変なんだ。あはは。

 ところで、8月31日は、野菜の日なんだそうです。
 8(や)3(さ)1(い)の語呂合わせですね。
 というわけで、夏野菜のおかずを紹介して、ごまかそうという金曜日でございます。

 先ずオクラ。d0287447_1802544.jpg
 これ、香菜(シャンツァイ)といっしょに炒めてあります。
 とってもエスニックな一品でございます。
 オクラって名前、オクラホマからきているそうですね。なんでもアメリカ中西部では栽培が盛んで、昔は、貧しい黒人の方がよく食べていたのだそうです。
 なので、今でもソウル・フードの食材のひとつ。
 豆といっしょに煮こんだりするのだそうですよ。
 ちなみに、オクラにはビタミンB1、B2が豊富で、夏バテに効果があるそうです。

 そして、インゲンのごま和え。d0287447_1803558.jpg
 ちょっとした副菜にいいですね。
 インゲンって、隠元大師さんが中国から持ちこんだのですか。いつ頃のヒト?
 江戸時代のはじめ。あ、そうですか。
 でもって、京都郊外に黄檗山萬福寺というお寺を開山したんだ。
 ん? そこ普茶料理で有名なとこでしょ。精進料理の元祖みたいなとこだよね。
 一度は行ってみたいけど、年取ってからでもいいか。

 さてお次は、トウガンです。d0287447_1805682.jpg
 中華スープで、ちょっととろみをつけて煮てあります。薄味です。とろんとしてて、つるんとしてて、お口に入れると、結構ジューシーです。
 夏のおいしい野菜料理のひとつですね。
 けど、トウガンって、冬瓜って書くんだよね。
 夏野菜なのに、なんで冬瓜なの?
 縁の下とかで保管しておくと、他の瓜が食べられなくなった冬でも食べられるから。へ〜え。

 てなわけで、夏野菜のお料理三品でございました。
 そういえば、全然関係ないけど、急に思い出した。
[ていぱーく]閉館しちゃうんですよね。ほら、大手町の、逓信博物館。
 世界の切手とか、体験コーナーあったりとか、けっこ見応えのある博物館だったのにね。
 なんですか、スカイツリーのビルに移転するらしいんですが、フロア面積せまくなるとか。
 どうなるんでしょ。

 夏休み最後の日なので、閉園がらみ多いんですよ。
 2001年には行川アイランド、2006年には奈良ドリームランドが閉園してます。
 あと、1994年 ディスコ・ジュリアナ東京閉店だって。
 最近だと、2009ねにそごう心斎橋本店が閉店してます。
 その一方では、2007年 キャラクター・ボーカル・シリーズ[初音ミク]発売なんてのもありました。

 さて、週が明けたら9月ですね。
 けど、オトナなので、8月最終週と9月1週に大きな変化はございません。
 いつものようにやろうと思ってます。

 ほいでわまた来週っ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2013-08-30 18:02 | 読むラヂオ

焼き肉の日なので、焼き肉の話。

 まいどっ、ちゃみでっす。
 さて本日8月29日は、[8(や)き(2)に(9)く]で、焼き肉の日でございます。
 よっしゃ〜っ。
 じゃ早速・・え? 食べに行くんじゃないの?
 焼き肉の話だけ。それも写真なし。
 なぁ〜んだ。

 で?
[焼き肉]という言葉は、明治5年、仮名垣魯文の「西洋料理通」と言う本に、バーベキューの訳語として登場したのが、始まりなんだそうです。
 だから、なにっ、って感じの情報ですね。
 なぁ〜んだ、食べに行かないのか。

 だってさぁ、そんな古い話されたって、今じゃもうだぁ〜れもバーベキューのこと[焼き肉]なんて呼ばないよ。
 焼き肉といえば、韓流でございましょうが。
 え? そこ、ちょっと違う、って?
 どこがっ。

 お話を、昭和二十年代前半、戦争に敗れた日本が、飢えに苦しんでいたころに移します。
 あ、そうですか。
 その頃は、なにしろ食糧難ですから、ほとんどの食料は統制品、つまり国が管理していました。
 あ〜、配給とかあったころね。「サザエさん」で読んだことある。
 ところが、中には統制外の食料もあったんですね。
 そのひとつが、モツ類でした。
 中でも、米軍基地からは大量のモツ類が捨てられていたんだそうで、それを安く買い取って、売りさばくヒトたちがいた。
 戦後の日本人はたくましかったのです。

 こうして市場に安く出回ったモツ類がどうなったか。
 東京では、ブタモツを串に刺して、焼いたものが売られるようになった。
 つまり、東京のヤキトリのルーツでございます。
 ってさ、焼き肉と関係ないと思うんだけど。
 これから関係してくる。あ、そぉ〜なんですかっ。
 一方、大阪では、主に在日朝鮮人、韓国人の人々の手で、牛モツの焼いたものを売るようになった。
 これが、いわゆるホルモン焼きのルーツなんですか。

[ホルモン]って、そもそもど〜ゆ〜言葉なの?
 生理活性化物質をあらわす生理用語。わかんね。
 ともかく、元気の出るモノという大ざっぱな言葉として流通していた。
 はぁ〜。元気の出る食べ物だというので[ホルモン焼き]になったわけか。
 けど、ホルモン焼きの語源には、もうひとつ説があります。
[放るもん]すなわち、関西弁で[捨てるもの]という言葉から来ているというのです。

 つまりこういうことね。
 一方に「ありゃ放るもんやで」と偏見の目で見るヒトがいれば、「そや、放るもんや。けど、滋養があってうまいんじゃ」と言い返すヒトがいる。
 うん、ありそうだね。
[放るもん]説、執拗に否定する人たちもいるようなのですが、この語源、両方ともある程度正しいのではないかと、蒼辰は感じているそうです。

 ホルモン焼き、最初はいわゆる闇市とか、そういうとこで売ってたんでしょうね。
 やがて、世の中が落ち着いてくると、ちゃんとしたお店を持つ人もあらわれます。
 ここで出していたのが、ホルモンに加えて、つけ込んで味をつけた牛肉でした。
 つまり、焼き肉じゃん。
 そうなんだけど、なぜ牛肉を出したのか、そのいきさつが、実はよく分からないんだ。
 なんで?
 というのは、朝鮮半島で主に食べていたのは、豚肉でした。
 韓国で牛肉の消費量が増えるのは、88年のソウル・オリンピック以降のことです。
 へぇ、そうなんだ。
 ほら、プルコギも、サムギョプサルも、豚肉じゃない。
 あ、そういえば。
 想像するに、その頃、牛肉は高くてなかなか食べられないものだった。そこで、特別感を出すために牛肉を用い、安い肉でもおいしく食べられるように、タレに漬け込んだのではないか、と。
 はは〜あ、なるほど。うまいとこ、ついたよね。

 ひとつの証拠ってゆうか、こんな話、紹介しておきますね。
 日本では、焼き肉の定番のひとつ、タン。これも、韓国では食べない食材のひとつなんですね。
 イ・ビョンホンさんも、日本に来て、初めて食べたと言ってました。
 で、このタンを最初に出したお店とうのがあります。
 昭和26年に開店した、銀座の清香園というお店なのだそうです。
 レモン汁につけるのも、ここのオモニの考案なんだとか。

 きっと、こんな風にして、現在の焼き肉店のメニュが作られていったんでしょうね。
 そして60年代のこと、朝鮮料理屋か韓国料理屋か、在日の方々の間で、呼び方をめぐる論争があったんですって。
 その解決策として、日本に前からある言葉であり、韓国語のプルコギの直訳でもある[焼き肉]という呼び方になったのだとか。

 こうして、現在の韓国風焼き肉が完成してゆくのでありました。
 って、ん? あれ? んじゃ、韓国風焼き肉だと思ってるものって、日本生まれなの?
 そうです。在日の人々が日本で作り上げた料理で、本場韓国にはもともとはありませんでした。
 ぎょえっ、そうなんだ。
 けど、今じゃコリアンBBQの名前で、世界中で通用してるよね。
 けど、日本生まれ。
 ふ〜ん。
 考えてみりゃ、どう考えても日本料理とは言い難い[鉄板焼き]が、今や日本料理として世界に通用してますもんね。
 あれのルーツは? ハワイで日本人が経営していたお店。  
 ふ〜ん、そうなんだ。

 そういえば、「冬ソナ」あたりから本場韓国料理がどんどん入ってくると、焼き肉屋さんとは区別するようになったよね。
 韓国料理と韓国風焼き肉屋さんの微妙な違いに気づいてきたわけだ。
 微妙たって、ロースターがあるかないかって、大きな違いもあるわけですけどね。

 でも、焼き肉おいしいよねぇ〜。
 日本初のタンだって、今や焼き肉のオードブル的な定番だし、ホルモンも、昔は嫌う女性とかいたけど、今では女性も大好き。
 そういや、去年あたり、ホルモン好き女子のことをホルモンヌなんて呼ぶブームがあったけど、今年は言わないね。
 定着しちゃったのかな。それとも、今年はパンケーキに走ってるのかな。
 話は飛びますが、ジンギスカンも、東京じゃ何度かブームあったけど、結局定着してないよね。
 ブームはブームで、あっていいんだけど、その後の自分的食文化に、しっかり取り入れてほしいものだと思います。
 って、焼き肉の話でそのまとめはないだろっ。
 と、蒼辰におこらりました。

 けどさ、焼き肉の日に焼き肉の話するのに、食べにも行かないし、写真もないって、そっちこそどぉ〜なのよ。
 よっしゃ。近いうちに焼き肉食べに行って、写真もびしばし撮って、追加upするという約束をとりつけました。
 わ〜い。

 てなわけで、今日はここまで。
 明日もupある予定です。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2013-08-29 13:08 | 読むラヂオ

ロシアの文字はなぜあんなカタチ?

 まいどっ、ちゃみでっす。
 さて本日は、ロシアの文字はなぜあんなカタチ? というお話だそうです。
 ロシアの文字って、アルファベットじゃないんですか?
 違うんだ。
 どんな文字?d0287447_11414825.png
 コレ?これがそうなの?
 2列になってて、左側がイタリックなのね。それにしても・・・。
 アルファベットと似てるっつうか、ほぼ同じのもあるけど、ぜんぜん違う、ほぼ読めないのもあるじゃないっすか。RやNやEが裏返しになっちゃってるみたなのもあるし。
 それに、そもそも32もありますよね。アルファベット26ですよね。
 違うんだ。
 ふ~ん。な~んかふ~しぎぃ~。

 どうして、ロシアではアルファベットと似てるけど、実は違う不思議な文字を使うようになったのですか?
 それには、こんなお話があるそうです。

 昔むかし、ロシアには文字がありませんでした。
 そこで一人の皇帝が「我がロシアにも文字を」と考え、何人かの学者を西ヨーロッパに派遣して、文字を学ばせることにしました。
 やがて学者たちが文字を学び、帰国の途についたときのこと。なんと、乗っていた船が、嵐のために難破してしまったのです。
 学者たちの命は助かったものの、文字の資料がみ~んな流されてしまいました。
 国に帰った学者たちは、仕方なく、記憶を便りに文字を再現しました。
 そのため、NやRが裏返しになったり、Qが逆さまになったりしてしまったのだそうです。

 というのわ、まぁ~っかなウソッ!

 またですか、このパターン。ウソも含めてパーティジョークとして利用してほしいとか言うんでしょ。
 え? 今日のは、いつもとちょっと違う?
 どこが違うんですか。
 いつものは創作の大ウソだけど、今日のは、西ヨーロッパで昔から流布しているジョーク、っつうか、小話みたいなもの。
 はぁ?
 つまり、西ヨーロッパのヒトたちが、遠く東方にあるロシアのことを、ちょと小バカにして作った話。
 ふぅ~ん、そうなんだぁ。

 で、え~・・あ、こっからがホントの話ね。
 9世紀、今から1200年以上も昔のお話です。
 ずいぶん昔ですね。平安京に都を移してすぐのころです。9世紀の初めには、坂上田村麻呂が活躍してました。
 麻呂ですよ、麻呂。
 すんごい昔。

 そんなとおい昔のロシアで、もっとも勢力のあったのが、ヴァリャーグと呼ばれるヒトたちでした。
 ヴァリャーグというのは、バイキング。つまり、スカンジナビアからやってきたゲルマン系の人々なのだそうです。

 で、ヴァリャーグの人々が築いたのが、現在のウクライナの首都でもあるキエフの街でした。
 キエフはやがて、南のビザンチン帝国との交易で栄えてゆきます。
 ん? ビザンチン帝国?d0287447_1147582.jpg
 おや、珍しい。地図が登場しました。
 キエフから、ドニエプル川という大きな川を下り、黒海の沿岸をたどってゆくと、ビザンチン帝国の都・コンスタンティノープルにたどり着きます。
 その距離、およそ1500キロ。東京から沖縄くらいの距離です。
 昔むかしの船で、どれくらいかかったんでしょう。数週間くらいはかかってたんじゃないでしょうか。

 それは分かったけど、ビザンチン帝国って?
 ビザンチン帝国は、東と西に分かれたローマ帝国の東側、つまり、東ローマ帝国のことです。
 はぁ。
 9世紀はビザンチン帝国がもっとも栄えていた時代でした。
 今のギリシアとトルコを中心に、大変な勢力を誇っていたんです。

 そのビザンチン帝国の国教、国の宗教が東方教会でした。
 ギリシア正教とも言いますが、ローマン・カトリックと分かれた、キリスト教のもうひとつの流れですね。
 当時の東方教会の宣教師たちは、ビザンチン帝国の威光とともに、周辺の地域にも布教に出かけていました。
 そうした人たちが、黒海をたどり、ドニエプル川を上り、ヴァリャーグの人々の都・キエフにやってきて、布教をすすめたのです。

 けど、布教ったって、大変っすよね。
 言葉は、交易してたくらいだから、通訳できる人くらいいたのかもしれません。
 けど、あら困った。ヴァリャーグの人々には文字がないっ。
 そこで、宣教師のキュリロスとメトディオスの兄弟が、ギリシア文字をもとに、新たな文字を作りました。
 これが、キュリロスさんの名前からキリル文字と呼ばれている文字です。

 ヴァリャーグの人々に文字を教える教科書は、もちろん聖書。
 キリル文字の聖書を宣教師が読む。ヴァリャーグの人々が、復唱しながら文字を追う。
 そんなふうに、文字を覚えていったのかもしれません。
 やがて、文字とともにやってきた東方教会のキリスト教は、キエフからロシア各地へと伝わり、現在のロシア正教となったのです。

 ん? ロシア正教って、ギリシア正教といっしょなの?
 どちらも東方教会に属するんだ。へ~え。
 クレムリン宮殿とか、ロシアの教会のてっぺんが、タマネギみたいなカタチしてるのも、ギリシア文化の影響なんだ。
 ふ~ん。

 こうして、布教のために生まれた、ギリシア文字をもとにしたキリル文字が、ロシアの文字となったのでした。
 そうだったのか。
 ヨーロッパって、み~んな西洋かと思ってたちゃみは、ちょと目からウロコでした。
 みなさんはどうでしたか?

 というわけで、今日はここまで。
 明日も、upあるそうです。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2013-08-28 11:48 | 読むラヂオ

そしてグランプリが生まれた。

 まいどっ、ちゃみでっす。
 昨日のベルギーGPの興奮さめやらぬまま、今日はグランプリ誕生のお話をいたします。
 っつうか、このとこずっと月曜にやってた、自動車レースの歴史のつづきですね、要するに。

 じゃ先ず、ざっとおさらい。
 1894年 明治27年に、初めての自動車レースが行われ、蒸気自動車が勝ちました。
 しかし、翌年からはガソリン・エンジン付き自動車の独壇場となり、レースはより長いコースを、より速く走るようになります。
 で、とうとう事故が続出し、1905年 明治38年には都市間レースが禁止されてしまいます。
 けど、人々は自動車レースというこの新しいスペクタクルを手放そうとしなかった。
 公道を封鎖して周回コースを作り、そこでレースを行うようになったのであります。
 と、ここまでが先週のお話でした。

 そして、都市間レースが禁止されて、わずか2年後の1907年 明治40年のこと。
 フランス中部にあったオートモビル・クラブ・ドラ・サルトという自動車愛好家のクラブが、新たなアイディアによるレースを始めました。
 それが、グランプリです。

 ん? グランプリって、ど~ゆ~意味なの?
 簡単に訳すと[大賞典]くらいの意味。 は?
 あ、タイトルのかかったおっきいレース、くらいの意味なのね。
 きっと有力な自動車会社に招待状出したり、賞金も出したり、そうゆうことやって、規模の大きい、格式の高いレースを演出したわけだ。
 なぁ~るほど。

 けど、けどさ、その頃もう自動車愛好者のクラブなんてものがあったんだ。
 ドラ・サルトさんは1896年 明治29年の成立。
 ひょえっ、自動車レースが始まってすぐの頃じゃないですか。
 一体、どぉ~なってんっすか。
 どうやら、人々は自動車レースという新しいスペクタクルが気に入っちゃったらしい。
 はぁはぁ、先週もそんなこと言ってましたけどね。

 1894年の最初の信頼性レースって、どこか殖産興業っぽいですよね。
 馬車に代わる、機械の乗り物を発展させよう! 的な。
 ところがじきに、人々は自動車でレースすることそのものにのめり込んじゃったんですか。
 ひとつには、その頃、自動車メーカーがたくさんあった。ま、どこも町工場規模だったでしょうが、この新分野で成功を夢見るヒトがたくさんいたわけね。
 そこで、性能を宣伝するのに、レースは恰好の場だった。
 あ~、そ~ゆ~ことか。ウチの自動車はヨソのよか速いし、耐久性もありますよ、と。
 そしてもうひとつは、愛好者クラブを作るようなヒトたちが、レースそのものの面白さにはまった、と。
 愛好者クラブを作るようなヒトたちって、ど~ゆ~ヒトたちなの?
 貴族階級とか、大金持ち。つまりは特権階級の人々。
 そらそうだよな。自動車、高かったんでしょ、その頃。
 で、そういうヒトたちが、自動車で競争することにはまっていった、と。

 この史上初のグランプリ・レース、大成功を収めちゃいます。
 どんなに熱狂的だったかは、3年後に一旦中止になったことでも分かる。
 ん? なんで中止になったの?
 製作費の高騰。
 ありゃま。勝つために、速く走るために、がんがん金かけちゃったんだ。
 おやまぁ。なんつうか、おやまぁ。
 そして、中2年をおいて、1912年に再開されたときには、細かい車両規則が生まれました。
 なんでもアリじゃ、高くついてしょうがないし、フェアじゃない、と。規則作って、同じ条件で競争しようってわけね。
 そしてその規則の中には、テールピースの禁止なんて項目もあったんですか。
 テールピースって、なに?
 空気抵抗を減らそうと、自動車の後部につけたヒレみたいなもの。
 ふぅ~ん。
 今のF1にも空力的付加物の禁止とかってあるよね。そんな大昔にも、似たような規則があったんだ。
 こりゃオドロキ。

 つまり、こういうことね。
 自動車は、レースに勝ちたい一心の人間によって、どしどしどしどし発展していった、と。
 同じような時代でいうと、飛行機が、戦争における必要性から飛躍的に発展したのに対し、自動車は、レースに勝ちたいがために・・・。
 う~む、ヒコーキより平和的だから、ま、いっか。

 ところで、初めてのグランプリ・レースが行われた1907年、アメリカでは、ヘンリー・フォードさんがT型フォードのプロトタイプを完成させた年でした。
 “流れ作業”という言葉とともに、大量生産された最初の自動車として有名なT型フォード、翌年の春には発売されています。
 型やヨーロッパは、自動車愛好家クラブと、グランプリなんだ。

 それにしてもさ、最初のレースから初のグランプリまで、わずかに13年ですよ。
 13年間で、殖産興業が新たなスペクタクルに変貌しちゃったんだ。
 なんか、すごいよね。
 だって、スノボだって、元もと70年代くらいに、アメリカの若者が始めたとかゆうんでしょ。
 でもって、Xゲームが90年代? オリンピック種目なったのって、今世紀入ってからだよね。
 モノゴトや技術の進歩や、それを伝える交通や通信が、昔と比べて格段に速い現代でも、それくらいかかってるんだよ。
 19世紀から20世紀へ、世紀またぎの10年ちょっとの間に、どれだけの人々が自動車レースに魅了され、のめりこみ、はまっちゃったのか、考えれば考えるほど、すんごいと思いますです。はい。

 やがて、このグランプリというアイディア、パクられまくります。
 各地でグランプリ・レースが行われるようになる。
 そうなると、グランプリの格式が守れないじゃないですか。そこで、国際自動車連盟は認可制にしちゃいました。
 こうしてグランプリの格式を守り、ついでに、主要グランプリの結果をポイント制にして、年間チャンピオンを決めていたりしていた。
 あ、今のF1と同じじゃないですか。
 そう、今のF1GPの形式というか、考え方は、その頃に生まれた。
 ただし、第一次大戦(1914年~18年)があったので、大戦後になってからが、本格的なグランプリの始まりでした。

 その一方、グランプリのアイディア元のクラブ・ドラ・サルテさんは、専売特許権を失っちゃいました。
 そこで、新しいアイディアでのレースを1923年に始めます。
 それが、ルマン24時間レースでした。
 そう。クラブ・ドラ・サルテさんって、今もルマン24時間を開催しているクラブの前身だったのですよ。
 ってことわ? 1907年、初めてのグランプリが開かれたのは、ルマン郊外の公道を閉鎖した周回コース、その名もサルテ・サーキット。
 今もルマン24時間が行われている、あのサーキットだったのであります。

 さぁ~て、ここまで来たら、戦前1920年代から30年代のグランプリ・レースがどんなものだったのか、それと、ルマン24時間のことも気になります。
 ぼちぼち、その辺も不定期にupしていきますね。
 来週からは、しばらく現代F1の魅力と見方みたいなことやろうかなと蒼辰が言ってます。

 そいでわまたっ。
 ちゃみでした。
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by planetebleue | 2013-08-27 12:26 | 読むラヂオ

スパ・フランコルシャンはきれいっ!

 まいどっ、ちゃみでっす。
 しっかしきれいですねぇ、スパ・フランコルシャン。
 あの、ゆで加減のいいパスタみたいな森がなんとも言えません。d0287447_123955.jpg
 なにって、アルデンテでしょ。
 違う? アルデンヌの森。ありゃま。
 のっけからマニアックなボケで失礼いたしやした。

 けど、歴史あるサーキットなんですよね。
 その話は、終わりのほうで、また。
 でもって、もいっこ有名なのが、スパ・ウェザー。
 なにしろ天気がころっころ変わる。長いサーキットだから、あっちはドライなのに、こっちはウェットなんてことも起こる。
 悩ましいサーキットでもあるのです。

 予選は、スパ・ウェザーにちょとかきまわされちゃいましたね。
 ヴァン・デル・ガルデ選手の14番にもびっくりしましたが、ディレスタ選手は、マジポール? と驚かされました。
 しかし、最後のさいごでコンディションが好転。ラストアタックが遅い人有利になっちゃいました。
 ポール・ハミルトン、2番手ヴェッテルとくれば、誰が考えても、レースの鍵はハミルトンがどれだけヴェッテルを抑えられるかでした。

 けど、オープニング・ラップであっさりいかれちゃいましたね。
 セッティング変わってないはずなのに、DRSも使えないオープニングラップのあんなとこであっさりオーバーテイクかい。
 ちょと不思議な気もします。
 こうなると、雨とかペースカーとかトラブルとかない限り、もうヴェッテルのもの。
 ヴェッテル・ファンはワイン片手の観戦となったのではないでしょうか。

 そんな中、ぐわんばったのわ、やっぱりアロンソさまでございました。
 スタートでジャンプアップすると、じわじわ順位を上げ、最後はハミルトンのミスを逃さずパスして2位に上がったとこなどはさすがでござんした。
 けど、ヴェッテルの前でフィニッシュせねば。

 もう8月も終わり。
 これでヴェッテルのチャンプは決まり・・かと思ったら、まだ8つも残ってるんですね。
 まだまだ、なにが起こるか分からないゾ。

 ところで、歴史あるスパ・フランコルシャン、放送でも言ってましたが、昔は、三つの町を結ぶ15キロのコースだったんですね。
 はい。自動車レース事始めでお話しした、都市間レースが禁止になったので、公道を封鎖して周回コースを作るようになった、そのひとつだったんですね。
 やがて、パーマネント部分を付け足して、現在のカタチになったんですが、今でも公道部分って残ってるのかな?
 見た感じ、もうなくなってるみたいでしたけどね。
 以前は、公道封鎖時代の名残があちこちに感じられるコースでした。
 コース脇に農家があって、緩衝用にワラが積み上げてあったりね。
 でも今では、F1の安全基準に沿った、美しいコースになりました。
 エスケープ・ゾーンも広くなったしね。d0287447_12395169.jpg
 名所オールージュもずいぶん丸くなりました。
 あそこ、変則四叉路の交差点を、クランク状に抜けていくところだったんですよね。
 舗装も悪い昔は、とても全開で入れるようなコーナーではありませんでした。
 もちろん、それだけ腕の見せどころでもあったわけですけど。

 グランプリの歴史でも、さまざまな事件のあったサーキットなんですが、その話はいずれまた。
 さ、再来週はフェラーリのホームゲーム・モンツァでございますね。
 アロンソさまの逆襲に期待しましょう。
 そして、モンツァが終わると、再びフライアウェイの連戦。スズカも近づいて参りましたですよ。

 F1はいつでも“今”が面白いっ!
 ちゃみも、年間19回の興奮の週末を送っております。
 明日は、スパついでに、グランプリ誕生のお話をするそうです。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2013-08-26 12:40 | 読むラヂオ

ポテチのバースデイ。

 まいどっ、ちゃみでっす。
 今日は、誰かの誕生日を祝うのだそうです。
 んじゃ、ま、ハッピバースデーツーユー、ハッピバースデーツーユー、ハッピバースデーディア・・・で、誰の誕生日?
 ポテチ。
 ぽてちぃ〜〜っ?

 ポテチって、あのフルネームをポテトチップスとゆうスナック菓子一族のモノですか。
 そうなんです、って、へぇ〜〜、ポテチに誕生日があるのですか。へぇ〜っ。d0287447_14225572.jpg
 けど、ちょと待って。この写真なによ。袋のまんまじゃないですか。
 え? 開けると食べなきゃいけないから、って? い〜じゃないっすか、開けましょうよ。
 とっといてどうするんですか、非常食じゃあるまいし。
 けちくさいこと言わないの。
d0287447_1423883.jpg






 そうそう。これでいいっすよ。ついでだから、食べにゃがらありやしゅ・・・。
 すいません、やっぱあとで食べます。
 そいで、なんだっけ。あ、そうそう。ポテチすなわちポテトチップスにわ、バースデイすなわち誕生日があったとゆう、驚きすなわちびぃ〜っくりのお話でございました。
 明日、8月24日がその日なのですか。

 それは、1950年代のアメリカでのこと。
 みなさん、ポパイってアニメを知っていますか?
 水兵の恰好をしていて、恋人の名前がオリーブ・オイルで、
ほうれん草の缶詰を食べると、いきなり強くなっちゃうヒトで
す。
 あのポパイって、なな、なんと、ほうれん草の缶詰の会社が
スポンサーだったんですって。
 ほうれん草の缶詰を子供たちにいっぱい食べてもらって、たっ
くさん売ろう。そこで生まれたのがポパイというキャラだった
のです。
 しっかしベタですよね。
 スポンサーがほうれん草の缶詰の会社で、主人公がほうれん
草の缶詰食べるといきなり強くなっちゃうんですよ。
 でも、成功しちゃった。
 ポパイは人気を集め、ほうれん草の缶詰もたくさん売れたの
だそうです。

 そこで、柳の下のどじょうを狙ったポテチの会社があったの
です。
 出来上がったキャラクターが、ポテチット。
 その誕生日が8月24日に設定されていたことから、ポテチの
誕生日も8月24日となったのだそうです。
 しかし、このアニメは成功しませんでした。
 どうしてかというと、ポパイのほうは競合する会社がなかっ
たので、スポンサー会社のほうれん草の缶詰だけが売れました。
けど、ポテチには競合する会社や製品がたっくさんあった。
 そのためにポテチットの会社のポテチだけが売れるというわ
けにはいかなかったのだそうです。
 あと、ポテチットのキャラが薄くて、なかなか立たなかった
のも失敗の理由だとか。

 というのは、ま〜っかなウソッ!
 まただよ。前半にガセ流す悪い癖がまたまた発病しております。
 ん? まっかなウソ含めてパーティジョークとして活用して欲しい、って?
 いませんよ、そんなヒト。
 だいたい話が長くて覚えきれませんよ。
 そいで? あ、こっちがホント編の台本ね。

 え〜、なになに、同じ50年代でも、1850年代のお話です。
 ありゃま、百年も昔っちゃいました。

 それは1853年のこと。
 ちなみに、日本では嘉永6年。ぬあんとペリーさんの黒船が来航した年でございます。

 さて、その年の8月24日のこと。
 ニューヨーク州サラトガスプリングにあるムーンレイクロッ
ジというレストランに、ひとりのお客さんがやってきました。
 一説によると、コーネリアス・ヴァンダービルトさんという
大富豪だったらしいのですが、このお客さんが、料理の付け合
わせのフライドポテトが厚すぎると文句を言い出すんですね。
 そこで、料理人のジョージ・クラムさんは必死こいて薄いフ
ライドポテトを作るんですが、なかなか納得してくれない。
「まだ厚いっ、もっと薄くっ」
 とかなんとか、何度も何度も作り直しを命じる。
 よっぽど虫の居所が悪かったんでしょうね。さもなきゃ、初
めからクレーマー?
 うんざりしちゃったクラムさん、あったまきて、超うす〜い
フライドポテトを作って出したというんです。
 どうだ、フォークじゃ刺せないだろうってわけ。
 ところがこのお客さん、超薄くてぱりっとしたフライドポテ
トが大いに気に入っちゃったんです。
「うめ〜じゃん、これ」
 とは言わないですよね。
「う〜ん、私の求めていたのはこれだ。やればできるじゃない
か、クラムくん」
 とか言ったんでしょうか。
 クラムさん的には、「気に入っていただいて・・ははは」と
かなんとか、苦笑いするっきゃないですよね。

 あ、ちゃみはあることに気づきました。d0287447_14253365.jpg
 クラムさんが、フォークじゃ刺せないくらい薄く作ったフラ
イドポテトをどうやって食べたのでしょうか。
 きっと、フォークのとがったとこととがったとこの間の隙間
に挟んだんだと思うんですけど、あれってテクいりますよね。
 みなさんも練習してみてはいかがでしょう。

 さて、この料理は、すぐにサラトガ・チップスという名前で
メニューに加えられました。
 ん〜〜〜・・・・・・。
 クラムさん、納得したんですかね。
 ちゃみだったら、なんか納得できない感じがする。
 ともかく、この料理は、じきにこの地方ではポピュラーな料
理となりました。
 これが、ポテトチップ誕生の物語。
 だから、8月24日がポテチのバースデイなんだそうです。

 ふ〜ん。
 ポテチって、西部開拓時代の家庭料理かなんかかと思ってた
ちゃみとしては、びっくりのバースデイでした。
 はるばるニッポンまでやってきて、再びアメリカに帰ったペ
リーさんも、帰国して初めてポテチを食べたのかもしれませんね。

 というわけで、お、この週末はF1でございますよ。
 なので、月曜日はそのリポートをお送りする予定です。
 でもって、来週は[知ってる?]っぽいことやりたいなぁ、と思ってます。
 ほいでわまた。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2013-08-23 14:28 | 読むラヂオ

野郎で歌舞伎はどうしたの?

 まいどっ、ちゃみでっす。
 さて本日は、昨日に引き続き、歌舞伎のお話でございます。

 昨日は、出雲の阿国さんが、かぶき者ファッションつまりわ当時のパンクっぽいファッションで登場した[かぶき踊り]で大当たりを取った。
 そして、[かぶき踊り]は、島原の遊女などが演じる[遊女かぶき]となって大流行するのですが、風紀を乱すという理由で、禁止されちゃいました。
 1629年のこと、女性が舞台に上がることが許されなくなってしまったのです。
 とゆうとこまででしたね。

 さて、女性が舞台に上がれなくなった[かぶき衆]はどうしたか。
 まだ前髪の取れていない若者に演じさせる[若衆かぶき]というものが上演されるようになりました。
 前髪の取れてない若者って?
 成人になる儀式の元服までは、男性は前髪を剃らなかったんですか。ふ〜ん。
 それって、何才くらいなの?
 元服するのが、15〜16才。
 んじゃ、それよか若いわけか。13才くらいから16才くらいってことだな。
 あ、分かった。早乙女太一さんみたいなノリだったわけね。
 そうか。なるほど。それはそれでなにかなまめかしいものが・・。
 え? [若衆かぶき]も、1652年には禁止されちゃうんですか。
 あら、ちゃみの想像、あたっちゃったみたいです。
 赤面。

 けど、あれもダメ、これもダメで、とうとうオトナ男子だけで[かぶき]を上演しなくちゃいけなくなっちゃった。
 これを[野郎歌舞伎]というのだそうです。
 なんかさぁ、いかにも男臭いよね。
 ま、一応、男ばかりでは世相を映す狂言ができないということで、お上に陳情して、男性役者の女装、すなわち女形は許可されたのだそうです。
 けど、人気出ない。
 ま、そうだよね。最初[遊女かぶき]で、次が[若衆かぶき]でしょ。
 なにを売りにしていたか、想像すれば分かるよね。
 それが[野郎歌舞伎]じゃ。

 ん? ちょっと待って。
 けど、[かぶき]に集まってたお客さんは、どこ行っちゃったの。
 戦乱の世が終わって、平和になって、娯楽を享受していたわけでしょ。
 他に娯楽がなけりゃ、やっぱ[野郎歌舞伎]に来るよね。
 それが来なかった。ってことわ?
 他に人気を集めている娯楽があったのですか。なんなの?
 人形浄瑠璃。
 へ〜え。

 1600年代も後半になると、近松門左衛門などの狂言作者があらわれ、その台本を元に上演される人形浄瑠璃が人気を集めていたんだ。
 どうして?
 近松の心中ものとかって、当時、実際にあった事件をもとにしていた。
 って、ど〜ゆ〜こと。
 つまり、ワイドショーネタ的なスキャンダラスな事件を、まるで再現ドラマのように、お芝居に仕立て上げていた。
 はは〜ん。そゆこと。
 そりゃお客集まるわ。
「前にあったやろ、心中事件。あれがお芝居になっとんのや」
「そらおもろそうやなぁ」
 と言ったかどうか、ともかく大変な評判だったそうです。

 それを横目にしていた、人気のパッとしない野郎歌舞伎はどうしたか。
 あ、分かった。パクったんだ。
 ぴんぽ〜ん。
 人形浄瑠璃で上演されていた台本を元に、人間の役者が演じるようになったのです。
 きっとね、初めは拙かった女形の芸も、その頃にはずいぶん上達していたんだと思うよ。
 かくして、女性が舞台に上がれない制約を、女形の芸と、浄瑠璃台本の面白さで克服し、ようやく今日につながる[歌舞伎]が誕生するのでありました。

 ここで面白いのは、出雲の阿国さんの上演した[かぶき踊り]は、踊りと寸劇みたいなものだったと紹介しました。
 そこからおおよそ半世紀あまりで、今日につながる歌舞伎が生まれたときには、浄瑠璃台本によるドラマ・ストーリーのあるお芝居に発展していったんですね。
 そしてさらに、人形浄瑠璃は多幕ものという、より複雑なストーリーを持ったものに進化し、歌舞伎もまたそれを取り入れてゆきます。
「義経千本桜」とか[絵本太功記]「菅原伝授手習鑑」などがそうですね。
 こうして、1700年代の前半には、ほぼ今日と同様の歌舞伎演劇の形式が生まれたと言われているのだそうです。
 さすが、古い伝統があるのですね。

 あ、けど、ここまでのストーリーは主に上方、関西方面のお話です。
 江戸は江戸で、違うのやってたんだ。
 荒事芸?
「暫(しばらく)」みたいな、前髪の若衆が、悪者を豪快にやっつけるお芝居が人気を博していた。
 はは〜あ。野郎ばっか歌舞伎対策として、スーパーヒーローものを展開してたわけだ。
 これはこれで、市川團十郎の登場などで、江戸で人気のお芝居へと発展していった。
 で?
 やがて18世紀になるころから、関西の役者との交流などを通じて、江戸歌舞伎も多幕ものを上演するようになったんだ。
 なるほど。

 歌舞伎はさらに、18世紀末から19世紀初めにかけての鶴屋南北。幕末から明治初期にかけての河竹黙阿弥などによって、狂言の幅をどんどん広げてゆきます。
 そんなこんな、そうだ、歌舞伎座の上演演目にまつわるお話でも、少しずつしていきましょうか。
 興味のある方は、待っててくださいね。

 とりあえず、歌舞伎誕生のあらすじはこれでおしまいです。
 来週は、まんなからへんで、もっと[知ってる?]っぽいことをやりたいなと思っております。

 明日は?
 は? 誰かの誕生日をお祝いするそうです。
 誰だろ。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2013-08-22 13:14 | 読むラヂオ

かぶいちゃってるぅ?

 まいどっ、ちゃみでっす。
 いろいろ考えたんっすけど、昨日に引き続き、歌舞伎のお話、ちょっとすることにしました。
 ただし、写真なしです。

 え〜、歌舞伎といえば、わが国の代表的な伝統芸能でございます。
 エジソンは偉いヒトと同じくらい有名でございますね。
 その、歌舞伎の創始者というと、出雲の阿国ということになっております。
 ま、そうなんですけども、じゃ、いきなり今の歌舞伎と同じようなこと始めたのかというと、そんなわけないよね。
 そもそも、阿国さん、女だし。

 てなわけで、今日、阿国かぶきとして伝えられる、出雲の阿国さんのお話でございます。
[歌舞伎]という言葉は、もともと[傾き(かぶき)]という言葉に由来しているんだそうですね。
 傾いてるんだ。なにが?
 戦国時代の終わりごろのこと、京や大坂、江戸などの大きな街に、ど派手な型破りファッションで、どんちゃん騒ぎやらかしては、まわりに迷惑かけるようなヒトたちがあらわれた。
 傍若無人ってやつだ。
 誰なの?
 戦国時代が終わり、平和になると、それまで傭われては戦場で暴れていた武者どもが、エネルギーもてあましちゃった。
 ありゃま。
 で、そういうヒトたちのことを「あいつらいかれてるよね」くらいの意味で「傾(かぶ)いている人たち」すなわち「かぶき者」と呼ぶようになったのだそうです。
 はぁはぁ。

 やがて[かぶき者]ファッションを大幅に取り入れた踊りと寸劇で評判をとる芸人があらわれたんだ。
 それが、出雲の阿国さんなのね。
 1603年に、京都の北野天満宮で、その名も[かぶき踊り]というものを上演して、大変な人気を集めたのだそうです。
 ちなみに、この年は徳川家康が征夷大将軍になった年。つまり、江戸幕府成立の年です。

 で、それがどんな舞台だったかというと、阿国さんというヒトは、もともと[ややこ踊り]というものの名手だったんだそうです。
 そこに、かぶきファッション取り入れて、さらにコントっつうか、寸劇みたいのを踊りにプラスした。
 つまり、踊りとコント。
 ふ〜ん。
 コントって、どんなの?
 資料によると、傾城買い、つまり男性が遊女を誘うさまを、ま、コント仕立てにしたようなものみたいですね。
 じゃ、阿国さんが遊女演じたの?
 違う。
 えっ、違うんだ。

 阿国が演じたのは、かぶきファッションで遊女を買いに来る男性のほう。
 えっ、そうなんですか。
 じゃ、遊女は?
 猿若山三っていう男の芸人が遊女をつとめたんですか。
 え〜〜っ。
 猿若っていうのは、物まねをする大道芸人だったんですか。はぁはぁ。
 はじめが動物の物まねとかしてたとが、やがて愚痴っぽい職人とか、からむ酔っ払いとか、そういう形態模写で銭をもらってた人たち。
 はは〜あ、イッセー尾形さんの一人芝居みたいなもんだな。
 その、猿若芸の山三さんが、遊女を演じたんだ。
 へ〜〜え、ふ〜〜ん。

 女が男を演じ、男が女を演じる。
 出雲の阿国さんの[かぶき踊り]は、初めから倒錯性を持った芸能でした、って、そんなムツカシイ言葉使わなくったっていいっすよ。
 阿国さんの[かぶき踊り]描いた絵が残ってるんですよ。
 それ見ると、阿国さん、カッコイイもん。
 派手なかぶきファッションで、首にロザリオなんかかけちゃって、そいで、地面についた、ばかに長い大刀に、片ひじのせて立ってるんだけど、い〜カタチなんだ。
 そいで、顔を隠した遊女役の山三さんは、いかにもヒトを笑かすのじょうずそうだし。
 こりゃ評判になりますよ。

 阿国さんの、宝塚の男役さながらのカッコよさと、山三さんとの傾城買いの面白おかしいやりとりで笑って、そして、阿国さん得意のややこ踊りへとなだれこむわけだ。
 みんなっ、かぶいてるか〜い。
 いえ〜いっ!
 みたいな感じ?

 そして、京の遊女たちが次々阿国さんのフォロワーとなって、やがて[遊女かぶき]と呼ばれて大流行しちゃったんですって。
 1600年代のはじめですよ。
 世は江戸幕府の時代となって、ようやく戦争の心配もなくなった。
 安土桃山のころ、秀吉とかは派手にしてましたけどね、でも、庶民には長いこと娯楽ってなかったわけでしょ。そら、本家・阿国さんじゃなくったって、そこそこ美形の遊女がかぶいちゃったら、人気、出ますわな。

 けど、そ〜ゆ〜の、お上は好まないんだよね。
 風紀を乱すという理由で、女性が舞台に上がることが禁じられてしまいます。
 つうか、そっち方向にインフレ起こしちゃったんでしょ。
 そら、まじ〜よ。
 それが、1629年のこと。
 さて、男だけで演じなくちゃいけなくなった[かぶき]はその後、どうなったのか。
 明日に続くぅ・・・マジかよ。

 けどさ、阿国さんの踊りと寸劇って、ちょっと昔のストリップみたい、と蒼辰が言ってます。
 そうなの?
 ちゃみが知るわけないじゃない。
 なになに。その昔、淺草のストリップ小屋では、ストリップの合間にコントが演じられていて、若き日の渥美清さんが出演していたり、これまた若き日の井上ひさしさんが台本を書いていた。
 ぎょえっ、大物ばっかじゃないですか。

 あ、そうか。
 なまめかしい踊りと、面白い寸劇。
 まぁ、阿国さんの[かぶき踊り]に近いっちゃ近いかも。

 てなわけで、明日は、女性が舞台に上がることを禁じられたから、現在の歌舞伎の原型までを追いかけることになってます。
 楽しみに、してくれたらいいな。

 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ。
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by planetebleue | 2013-08-21 13:34 | 読むラヂオ

新歌舞伎座あれこれ。

 まいど、ちゃみでっす。
 昨日はね、蒼辰は今月最後の歌舞伎座。
 七之助さんの鏡獅子見てきたのです。
「よかったっ」と、ちょと息が荒かったです。

 てなわけで、本日はそのついでっちゃなんだけど、新歌舞伎座周辺の話題でございます。
d0287447_19213273.jpg
 こちら、歌舞伎座の屋根です。
 どっから見てるかというと、5階の屋上庭園からです。
 実はね、庭園の写真があんまりよくなかったんで、こっちにしました。
 お庭に出るとこの脇には、歌舞伎座ギャラリーという展示場(?)みたいのがあります。
 入場料500円取ります。切符の半券があると100円引きだそうです。
 今回は400円ケチったので、ギャラリーについては、そのうちリポートします。

 5階にはあと、喫茶室とグッズ売り場と、そして目玉のスタジオアリス歌舞伎座があります。
 入り口にはこんなの立ってました。
d0287447_19214873.jpg

 ありゃ、写真横向いちゃった。みなさま、首を傾げてご覧ください。
 けど、これ、どうみても亀治郎さんだよね。あ、失礼。現・猿之助さんでした。
 でも、歌舞伎衣装着て写真撮れるって、ちょっと魅力的だよね。
 ちゃみも、一度、挑戦してみたいです。
 やるなら、もちろん、揚巻。

 さて、5階から地上に降ります。
 こちら、歌舞伎座の真裏に移転した歌舞伎そば。d0287447_1925476.jpg
 ありゃ、こちらも写真が寝ちゃった。
一部がはねた直後のせいか、観劇後のお客さまで満員でした。
 けど、新歌舞伎座、3階の飲食店がそっくりなくなっちゃったのわ、痛恨の極みでございますですよね。
 おそば屋さんもカレースタンドもなくなって、手軽に暖かいものを食べることはできなくなりました。
 弁当オンリーです。
 歌舞伎そばも、前は入り口脇にあって、幕間に利用できたのにね。

 なので最後に、観劇お弁当の定番、助六寿司のお話。d0287447_19253230.jpg
 って、この写真、太巻き入ってるよ。
 なに? 典型的な助六寿司がなかったので、これにした、って?
 だったら、もっと由緒正しいのにすればいいじゃない。信田寿司とか、歌舞伎座近くの日の出寿司とか。
 そうしてそ〜ゆ〜とこ手ぇ抜くかなぁ、もう。
 本来の助六寿司は、かんぴょうののり巻きとお稲荷さん。かんぴょいなコラボでございます。念のため。

 ところで、この助六寿司、どうして助六って呼ぶか、知ってました?
 助六の恋人は、ちゃみがやってみたい吉原の太夫・揚巻でございます。
 そして助六寿司に入ってるのわ、お稲荷さんとのり巻き。つまり、お揚げと巻き。揚巻。
 揚巻といえば、助六好み。
 そこで助六寿司と名が付いたというわけなんだそうです。

 いかにも江戸っ子好みの洒落ですよね。
 どうせ客席で食べるんだし、助六くらいで十分だよね。芝居がはねたころに小腹が空くくらいで。
 だって、そのほうが、ちょっと帰りにおいしいものでもつまんで帰ろうかって、なるじゃない。
 え? さっさと帰って、お茶漬けでも食え、って?
 ちょっと、それ野暮ってもんですよ、野暮っ。

 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2013-08-20 11:00 | 読むラヂオ

この新しいスペクタクル。

 まいどっ、ちゃみでっす。
 今週も[これ知ってる?]が始まるよ。
 っと、そんなタイトルコールで始まるメルマガ[ちゃみのこれ知ってる?]を、去年いっぱい、丸2年やってたんだよね。
 いや〜、なんか懐かしい。

[これ知ってる?]では、いろ〜んなテーマやったので、少しっつ、このブログでも紹介していきたいと思ってます。
 そんな中、結局、蒼辰がなんやかや、わやきゃわ、いっちゃん好きなのは、F1関連の話題なのでございます。
 そこで月曜は、F1関連っつうか、ま、自動車レースの話題をやってるんけどね。

 今週も、その続きです。
 えっと、先々週は、1894年 明治27年に、歴史上初の自動車レースが行われて、蒸気自動車が勝ったというお話でした。
 そして先週が、翌年の第二回で、ついにガソリン・エンジン付きの自動車が勝利した。
 でもって、そのレースには、ミシュラン兄弟がコース途中のレストランに星つけてった・・じゃなくって、初めて、自動車に空気入りタイヤを取り付けて参加したのでした。

 この、信頼性レースという、自動車の性能を競うレース、どうやら大成功しちゃったみたいですね。
 その後も、毎年行われてます。
 しかも、その進歩の度合いがすごい。

 1898年 明治31年の第5回レースは、パリとアムステルダムの間を往復する1400キロという距離で行われました。
 その時の優勝者の平均速度は、43キロに達したんですって。

 第1回のときが、距離130キロで、平均時速18キロ。
 第2回が、距離1200キロで、平均時速24キロです。
 ちなみに、当時の駅馬車の平均速度が10キロちょいくらいでした。
 それが、5年目で時速43キロ。
 平均速度がですよ。

 だってさ、道路だって、まだ自動車用にできてないんだよ。
 アスファルトもコンクリートもない、今でゆうと未舗装路。い〜とこ、固めた地面に細かい砂利が敷き詰めてあっただけだと思う。
 そんな道を、広くて真っ直ぐな場所では時速100キロを越えるスピードでぶっ飛ばしてったんですよ。
 田舎のお婆ちゃんなんか腰抜かしちゃいますよ。
 危ないじゃないですか。

 しかしさぁ、この進歩ってなんなの?
 1894年の第1回が、平均時速19キロで、蒸気自動車が勝ったんだよ。
 なんか、ほのぼのした、19世紀おわりの牧歌的雰囲気さえ漂ってますよね。

 ところが、翌年が平均時速24キロで、5年目には43キロ?
 わずか5年で、10倍の距離を、倍の速さで突っ走ってるんですから。
 この信頼性と速さが、ガソリン・エンジンつき自動車を馬車後継乗り物の本命に押し上げた第一の理由だったんですね。

 そら、とぅわいふぇんなことですよ。
 そうそう。松の廊下の刃傷でたとえましょうか。
 あん時、赤穂のお城に知らせ届ける使者って、馬を乗り継ぎのりつぎ、それでも確か三日か四日、かかったんじゃなかったっけ?
 それがさ、うっかりすると、その日のうちに届くんだよ、知らせ。
 自動車って、すげえってなるわな、そりゃ。

 けど、だいじょぶなの? それまで馬車しか走ってなかった道路を、そんなんが走って。
 なに、だいじょぶじゃなかった。

 1903年 明治36年の、パリとマドリッドを往復するレースでは、のっけから事故が多発。
 とうとう途中で打ち切りになってしまいました。
 そらそうでしょ。危ないよ、どう考えたって。
 案の定、1905年には、公道を用い、都市間を走るレースは、禁止されてしまいます。
 当然といえば、当然。

 けれども、この、今まで人類が体験したこともないスピードで地上をぶっ飛ばす鉄の塊は、新たなスペクタクルとして、人々を魅了してしまったのです。
 どうしたか。
 公道上に周回コースを設定して、危なくないように通行止めにして、そこでレースを続けたんです。
 よっぽど面白かったんでしょうね。

 あり? そういえばさ、ルマン24時間のサルテ・サーキットとか、ベルギーGPのスパ・フランコルシャンとかって、一部公道だけど・・・ああ、その頃の名残なんだ、やっぱし。
 あ、モナコもそうじゃん、モナコも。

 なになに。
 モナコの始まりは1917年。
 その頃にはもうグランプリ・レースが確立され、自動車レースは、ひとつのスポーツとして認知されていたんですか。

 史上初の自動車レースで蒸気自動車が勝ってから、モナコ・グランプリまで、わずか20年。
 その間になにが起こったのか。
 それはまた来週・・は、やらないの? なんで?
 ベルギーGP。
 あ、そうでした。

 F1も夏休みが終わるんだ。
 まだまだ暑いけど、季節はそれでも動いてゆきます。

 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2013-08-19 15:00 | 読むラヂオ