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16年春リニューアルしました! 蒼辰が書くおハナシを随時アップしております。ちゃみのMCともども、読んでやって下さいまし。
by planetebleue
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<   2014年 06月 ( 21 )   > この月の画像一覧

どうだ。カッコイイだろ、柴犬。

 まいどっ、ちゃみでっす。
 ほぉ〜んじつわですねぇ〜。緊急特集、柴犬のハナシッ!
 だってさぁ、昨日のNHKのニュース、見ました?d0287447_18375059.jpg

 金沢で、飼い犬の柴犬と、山道を散歩していた63才のお爺ちゃんが、熊に襲われたですよ。
 なんと熊、お爺ちゃんに馬乗りになったらしいですよ。
 だが、そこに立ち向かったのが、飼い犬の黒柴・ショコラでございました。
 熊、3頭もいたらしくって、お爺ちゃん、頭を噛まれたらしく、大ケガしたのだそうですから、かなり凶暴なヤツです。
 しかしショコラは懸命に吠えたて、多分、熊の足あたりに噛みつき、ついに、3頭とも撃退してしまったのです。
 すごい。
 しかもですよ。一週間目の21日には、秋田でも、似たような事件があったのでございます。
 こちらは、5才の男の子。お爺ちゃんの軽トラで河原に犬のお散歩にやってきました。
 いつもの場所なので、わぁ〜っと河原に駆け下りた柴犬と男の子。だがすぐ、男の子の叫び声が聞こえてきます。
 戻ってきた男の子の服は破れ、背中やお尻にひっかき傷があったのだとか。d0287447_1838542.jpg

 そしてお爺ちゃんが目撃したのは、逃げて行く熊と、吠えたてる飼い犬の柴犬・めごでした。あ、写真はネットニュースから借用してます。あしからず。
 6才のめご、普段は気がちっちゃいんですって。
 でも、がんばりました。飼い主の男の子を、ちゃ〜んと守ったのです。
 どお?
 こういうこと、どの犬でもできることじゃございませんですよ。
 これ、柴のハナシのときに、おハナシしましたが、この際なので、ちょと復習しちゃいます?
 柴犬は、もともと猟犬でございました。
 それも、西洋の猟犬みたいに、猟のお手伝いをするんじゃありません。
 自ら、ご主人さまのために、獲物を仕留めてくるのでございます。
 薩摩・日向あたり、つまり鹿児島や宮崎あたりが、もっとも近い時代まで、柴犬を使った猟をしていた地域でございます。
 はい、上野の山の西郷さんの銅像、柴犬連れて、猟に出かけるところだったんですよね。
 でもって、獲物は主に、ウサギです。
 けど、熊を仕留めたこともあると、記録にあるそうなんです。
 一匹かどうか、分かりません。ひょっとしたら、数的優位だったのかも。
 でも、柴犬使った猟って、キホン、一匹しきゃ連れてきません。
 なので、かなりの確率で、一匹で仕留めたものと思います。
 熊ですよ。仕留めちゃうんですよ。あの体で。しかも一匹で。
 えへんっ。これで分かったことと思います。柴犬は、元来、熊よりつおいんです。
 だから、ご主人さま襲った熊を撃退するなんてかんたんかんたん・・とは言いませんけどね。
 そりゃもう、猟犬としての訓練はしてないんだから。
 けど、柴犬の真の実力、侮ってほしくないと思います。
 でもって、もいっこ。
 柴は、西洋犬のようにブリード、入ってません。つまり、改良されてないのね、ほとんど。
 なので、そもそも、今日ペットショップで売られている柴といえども、野性味たっぷりです。
 かみ癖や吠え癖のある柴犬、実は多いんです。
 これね、ヨーロッパだったら、そうとう断種される血統とか出そうなくらいに、そうなんですよ、実は。
 なので、ヨーロッパ・スタイルでの愛犬ということでは、かなりしつけの難しい犬でもあります。
 なので、アメリカでも、かなり前から柴ブームですが、かみ癖が理由で、悲しい結末を迎えた子がいないように祈るばかりです。
 アメリカ柴犬愛好家のみなさま、柴の特徴、よく全米に広めてね。
 あ、いや、そういうハナシしようと思ってたんじゃなかった。
 あのね、野性味がたっぷりなだけに、ご主人さまに対する忠誠心も、これバカにできないのですよ。
 なので、ご主人さまが危険にさらされれば、立ち上がり、行動するのは、柴犬にとって当然のことなのです。
 まして、熊に襲われるって、柴犬にとっては、現代文明的な危険よりは、分かりやすかったんだったと思うよ。
 ご主人さまに危害を加えようとする生き物を撃退する。
 柴犬にとっては、ごく自然な、当たり前の行動だったのです。
 うん、やっぱカッコイイ、柴犬。
 ついでに、男の子を助けた、めごちゃん、普段は気が小さいって言ってましたよね。
 これも、ホントのこと。
 蒼辰ちのルナちゃんも、自転車下ろす、ガチャンって音でも、びくっとなってます。
 そこがまた可愛いんだけどね。

 てなわけで、どうだ、柴犬はかっこいいだろう、という今日のおハナシでございました。
 あぁ〜、柴のハナシはじめると、キリないわ。
 けど今日は、ここまででございます。
 明日からは・・・あのね、今週の金曜は何日? 4日です。
 7月4日といえば、アメリカ合衆国の独立記念日でございます。
 なので、アメリカ独立にまつわるあれやこれやを、[知ってる]得意の、歴史を横に眺めながら、おハナシしてこうかなと思っておりやす。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-06-30 13:30 | 読むラヂオ

出る杭になろうzey!

 まいどっ、ちゃみでっす。
 いやはや、ニホンが負けちゃっただけじゃなくって、ぬあんと、アジア勢1勝もできずに終わっちゃいました。
 見てたわけじゃないんだけど、韓国からイランまで、心の中で応援してしまいましたよ。
 だって、アジアの出場枠が危なくなるかもしれないんですよ。
 片や南米は、6チーム出場して、5チームが決勝トーナメント進出ですよ。
 枠、減らされても、しょうがないかも。
 今、4.5、ですか?
 3.5はないよな。4きっちりになっちゃうの?
 いやはや。
 まったくもって、いやはやなことでございます。
 どうしたらいいんでしょ。
 ニホンの敗因、いろいろと言われております。
 中で、「荒々しさが足りないんじゃないの?」って答えてる、街頭インタビューのおじさまがいらっしゃいました。
 これ、かなりのヒトも感じてることなんじゃないでしょうか。
 マジメなんですよね。でもって、規律正しいの。ニホンは。
 それ、美徳なんですよ。
 でも、その一方で、もっと荒々しさが、って感じちゃうのも、なんか分かりますよね。
 もちろん、スアレスみたいに噛みついちゃいけないけどさ。
 だがしかし、強引でもなんでも、ゴールに迫る迫力がニホンにないとすれば、やっぱ必要なのは、荒々しさなのかも。
 別の言い方ある?
 野生児、か。そうそう。
 あとは?
 悪童。
 くわっ。けど、デビューしたてのころのネイマールって、悪童っぽかったな、そういえば。
 けどさ、そんなもん、そう簡単には身につきませんよ。
 どうしたらいいんですか。
 きっと、ストリートなんだろう、って?
 ブラジルの、ファベイラあたりの路地で、二人の同級生がボール蹴ってる。
 するとそこに、見知らぬ上級生が二三人やってくる。さらに、同じ学校の下級生も加わる。
「オッケー、じゃ4対4な」
 てなこと言って、ジャンケン・・が、ブラジルにあるかどうか知りませんが、ともかく子どもらしいやり方でチームをふたつに分ける。
 ゴールは、路地のあっちとこっちに二本ずつ立てたコーラの空き缶で上等です。
 間抜いたら、ゴール。
「よっしゃ、はじめようぜ」
 超原始的なフットサルです。両側の壁は、まんま壁パスに使えばいい。
 とにかく、相手を抜いて、パス出して、フリーになったヤツがシュート打つ。
 なんでもありです。頭の上にボール乗せて走ったっていい。乱暴なことさえしなければ、抜いたもん勝ち。
 単純です。
 単純だけど、徹底的に、抜きあい、キープし合いです。せまいエリアもなにも、どっち向いても狭い場所です。
 そういう場所で、夢中になってプレイする。
 その積み重ねが、臨機応変な技術や、豊富なアイディアにつながってるんじゃないでしょうか。
 でもって、チビだけどうまい小僧に、上級生が悔しがる。するとチビ、生意気に中指立てて見せたりするわけです。
 にっくたらしぃ〜い。
 けど、うまいヤツが偉いのストリートでは、抜かれた上級生も、認めるっきゃないわけですよ。
 マラドーナもネイマールも、ストリートで上級生を悔しがらせる、生意気なガキだったに違いない。なんか、そんな気がしません?
 ワールドカップでのネイマールのプレイを、子どものころの指導者が、「いつもと同じように遊んでいる」って評したんですって?
 いつもと同じように遊んでいる。
 いいコトバじゃないですか。
 まさに、ストリートで上級生を悔しがらせたときのように、必要なのは臨機応変なテクニックと、豊富なアイディアなんですよ。
 サッカーほど、決められたことだけやってたんじゃ、どうしようもないスポーツはないのかもしれません。
 臨機応変と、豊富なアイディアなんですよね。
 しっかしながら、そういうもの、サッカー・スクールじゃ身につきません。
 キホンの動きは覚えられても、臨機応変には対応できません。
 まして、学校スポーツ主体のニホンでは、先輩後輩の関係にうるさい体育会系気質が、これまた豊富なアイディアの邪魔をしてしまいます。
 もちろん、昔ほどがちがちじゃなくなったみたいですけどね、体育会系気質。
 それでも、まだまだでしょ。
 でもって、才能や能力認められて、Jクラブの下部チーム入っても、こんどは、やれ戦術だ、規律だってハナシになってくる。
 ひょっとして、ニホンのサッカー選手って、ココロからサッカーで遊んだことないんじゃないの? と、疑りたくなってきます。
 そういう環境からじゃ、野生児や悪童、なかなか生まれてはきませんよね。
 出る杭は打たれるじゃないけど、誰もが平均的なチカラを持っているのが、ニホンの良いところ、長所でした。
 これ、あの、高度成長期とかね。
 誰もが平均的なチカラを持っていることを、豊富で優秀な労働力と評されてたわけです。
 偉いね、ニホンジン。
 けど、なにかと右肩下がりの今、そいつを挽回するには、並大抵のチカラじゃでけまへん。
 平均的なチカラがいくらいても、傑出することに遠慮しちゃうと、イノベーションは生まれません。
 そう。今、必要なのは、傑出した能力が先頭に立って起こす、イノベーションなのかもしれませんね。
 ありゃま。サッカーのハナシのはずが、なんだか、近ごろの世の中のハナシになっちゃいました。
 けど、似てるんだよね。
 似てる、っつうか、ニホンジンの気質に関わるハナシだから、共通項も出てきちゃうのかも。
 生き方としても、そうなのかもよ。
 昔みたいに、人並みであれば、マジメにこつこつでも、それなりに出世できればいいけど。
 今、そうじゃないもんね。
 うかうか、人並み+マジメで、人生渡ってこうなんて考えてたら、それこそ右肩下がり人生になっちゃうかもよ。
 ハッキリ言って、昔の、蒼辰の時代みたいに、若いヤツが共通の夢を持てるような時代じゃござんせん。
 しかも、昔みたいに、夢を実現できるメドもござんせん。
 そんな時代に生きてかなきゃいかんのでございますよ、わたしたち。
 夢は、自分の夢を、自分で作り出すべし。
 でもって、打たれても、打たれても、出る杭になろうzey。

 てなわけで、今日はここまでです。
 また4年待つの、辛いけど、今度こそ、ファンタスティックな代表になることを期待しちゃいましょう。
 来週は・・・あ〜、来週はなすわ。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-06-27 18:57 | 読むラヂオ

オーストリアってどんな国? その2

 まいどっ、ちゃみでっす。
 え〜と、今週は、オーストリアGPにちなんで、オーストリアのおハナシをしております。
 一昨日は、レッドブルのおハナシ。昨日は、オーストリアって、どんな国? でございました。
 かつては、ハプスブルグ家の支配する、オーストリア=ハンガリー帝国として栄華を誇ったわけですが、今は、平和で穏やかな、小さめの国になった、みたいなおハナシでしたね。
 改めて、オーストリアってどんな国か、キホンのキから、おさらいしたいと思います。
 オーストリアは、内陸国です。つまり、海、ありません。
 まわりを、ドイツ・スイス・イタリア・スロベニア・ハンガリー・スロバキア・チェコと、7つの国に囲まれてます。
 これって、ニホンジンには分かりにくいですよね。まわりをヨソの国に囲まれてるって感覚。
 ちょっと羨ましいとこもありますケド。
 でもって、ウィーンは、国の東のはし近くにあります。
 そこは、ドナウ川が流れていて、わりと平らな地形でございます。
 美しき青きドナウでございますね。
 この、ドナウ川ってゆうのも、源は、南ドイツのシュバルツバルト=黒い森とよばれる地方でございます。
 でもって、オーストリアの東側を、わりと東西に横切って行きます。
 その先、スロバキア・ハンガリー・クロアチア・セルビア・ルーマニア・ブルガリア・モルドバ・ウクライナと通って、最後は黒海に注いでいるのであります。
 なんと、ヨーロッパで2番目に長い川なんですって。
 これまた、ニホンジンには感覚的に分かんないですよね。
 だって、川にボール落としたら、となりの国や、そのまたとなりの国にまで流れてっちゃうかもしれないわけでしょ。
 なんか、気の遠くなるような感じがいたします。
 ほいでもって、オーストリアの西側は、山岳地帯です。
 チロル地方ですよ。牛さんの首につけた鐘が、カランカラン鳴っております。
 いわゆるヨーロッパ・アルプスの一部ですから、スキーもできます。
 チロル地方の中心都市インスブルックは、かつて冬季オリンピックを開催した街でございます。
 けど、スイスやフランスに比べると、ニホンのスキーヤーが憧れるような、有名スキー場、あんまりないですね。
 どうしてなんでしょ。
 規模の大きいスキー場が作りにくいとか、交通の便がよくないとか、なんか理由がありそうですよね。
 国土は、北海道とほの同じだそうです。人口は、およそ840万人です。
 なんか、ちょぉ〜どいいって感じ、しません?
 ほいでもって、緑が豊かで、平和で穏やか。
 なんかい〜なぁ〜。
 国名のオーストリアは、もちろん英語表記でございます。
 ドイツ語では、エステルライヒ。もともとは、東の国、という意味なんだそうです。
 で、さ、よくオーストラリアと混同するヒト、いるよね。
 オーストリアは太平洋だろ、オーストリアはヨーロッパ、なんて、モノシリ系に叱られたりします。
 けど、オーストリアとオーストラリア、混同というか、間違えるヒト、世界的にいるみたいですね。
 東京のオーストリア大使館には、オーストラリア大使館への地図が掲示してあるんですって。
 いちいち教えるの、面倒になったんだな、きっと。
 そして、オーストリアのお土産屋さんには、黄色い菱形に、黒くカンガルーのシルエットを描いた、[カンガルーに注意]の道路標識に、[NO KANGAROOS IN AUSTRIA]と書き足したTシャツを売ってるんですって。
 いいじゃん、これ。ぜってぇ欲しくなるよ。これ着て、シドニーの街を歩いてみたいっ。
 ちなみに、オーストラリアの名前は、ラテン語の南の地がもとだそうです、オーストリアとオーストラリア、語原からして、まったく違うのだそうです。
 なぁ〜るほど。
 ほいでもって、オーストリアのおハナシをしながら、ここまでぐっとガマンをしてきたモノがあります。
 ザッハトルテですよ、ザッハトルテ。
 これ、ニホンのチョコレートケーキの原型と考えて、ほぼ間違いないんじゃないでしょうか。
 ケーキといえば、洋菓子の代表でございます。
 けど、ニホンで見るようなケーキって、意外とヨーロッパにはないんですよね。
 そもそも、ケーキの代表、ショートケーキって、ニホンで考案したものなんでしょ。
 ベースをスポンジケーキにしたのも、ニホンのアイディアなんですって。
 なので、ケーキといえば、先ずスポンジケーキを台にいろいろとアレンジして・・というのは、みぃ〜んなニホンのケーキなんですね。
 ヨーロッパには、ないんだ。
 その点、オーストリアのトルテは、わりかし、ニホンのケーキに近いです。
 っつうか、ニホンのケーキが発展するプロセスで、かなり参考にしたに違いない。
 それだけ、ニホンのケーキのイメージと、親和性が高かったのかもしれません。
 ほいでもって、ウィーン、デザート天国みたいっすね。
 なんですか、中世の昔から、パン屋さん・お菓子やさん・砂糖菓子やさんは、特権を認められていて、イギリスやフランスよりも早く、ギルドもできていたんですって。
 今でも、種類豊富なトルテ類が食べられるみたいですよ。
 うう。そいだけでもヨダレが・・・。
 でもって、もいっこ。クロワッサンのおハナシしておきましょうかね。
 クロワッサンは・・ん? おフランスのパンなんじゃないの?
 パリジャン、パリジェンヌが、朝ご飯にカフェで食べるんだよね。カフェオレといっしょに。
 そうなんだけど、クロワッサンにまつわるこんなハナシ、聞いたことありません?
 それは、1683年のこと、ウィーンの街は、トルコ軍に包囲されておりました。
 しかし、オーストリアの軍隊は、これを打ち破り、トルコ軍は撤退いたします。
 この時、戦勝を祝って、トルコ国旗の三日月のカタチのパンを焼いて、盛大に祝った、とかゆうの。
 これ、俗説と言われてます。
 けどオーストリアには、今日も、キプフェルという三日月型のパンがあります。
 でもって、マリー・アントワネットが、このキプフェルをフランスにもたらし、クロワッサンの原型となったというのです。
 こっちも、俗説として退けるヒト、いるんだけどね。
 そりゃ、食べモノって、少しっつ進化し、じわじわ広がってくもんだから、由来、決めつけるの、ムツカシイよ。
 けど、クロワッサンに関しては、ちゃみ的に、この説、信じたい気がします。
 微妙な違いでゆうとさ、包囲戦のさなかに、[敵を食う]ってゆうんで、三日月パン焼いたって説もあるようでございます。
 どっちにしろ、三日月パンは、ウィーンが包囲するトルコ軍を打ち破ったときに生まれ、のち、マリー・アントワネットによって、フランスにもたらされ、クロワッサンとなったのであります。
 当Blog的に、この説とりたいと思います。
 ちなみに、原型三日月パン・キプフェルは、クロワッサンみたいに層になったパンじゃなくって、あの、わりと硬めに焼いたものでございます。

 てなわけで、本日はここまでにします。
 ウィーンとオーストリア、行きたくなった?
 ザッハトルテと三日月パンだけじゃなくって、なんか、イメージ的に、ドイツよか食べモノ、おいしそうだよ。
 ぜひぜひ、一度は訪れてみたいと思っております。
 明日は、オーストリアのハナシじゃありませんが、upあります。
 でもって、来週は、別テーマ用意してます。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-06-26 13:30 | 読むラヂオ

オーストリアって、どんな国だっけ?

 まいどっ、ちゃみでっす。
 えっと、昨日は、レッドブルのおハナシをいたしました。
 レッドブル、今では、クリスタルのスワロフスキー、音響機器のAKGと並ぶ、オーストリアを代表する企業なんだそうですね。
 すげえっ、って思う反面、国を代表する企業がそんなもん? って感じがしないでもないんだよね。
 で、調べてみますと、やっぱドイツのメーカーの下請け工場的な、小さな会社が多いみたいですね、オーストリア。
 だからなのかな。オーストリアって言われても、あんまし具体的なイメージがわかないのわ。
 てなわけで、本日は、オーストリアのおハナシでございます。
 オーストリアって言われて、たいていのヒトが思い浮かべるのは、やっぱしウィーンですよね。
 音楽の都でございます。
 モーツァルトもベートーベンも、この地で活躍したのでございます。
 まだまだいます。ブラームス、シューベルト、ブルックナー、マーラーといった作曲家も、みなウィーンを拠点に活動していたのであります。
 なんか、音楽室の壁にずらっと並んでた肖像画を思い出しますです。
 それくらいに、音楽のさかんな町だったんですね、ウィーン。
 街角から、ピアノの音が聞こえてきそうな勢いでございます。
 音楽がさかんだった、ってことわ、それを聞くヒトビトがいたってことでございます。
 つまり、文化的にレベルが高かった。ってことは、経済的にも豊かだった。
 そういえば、テレビとかで見るウィーンの古い街並みって、やたら建物が立派ですよね。
 あの繁栄のミナモトはなんだったのでございましょう。
 はい、ハプスブルグ家でございます。
 もちろん、どなたも聞いたことはございますですよね。けど、どういうんだっけ? ってゆうヒトも、きっと多いことと思います。
 ちゃみも、その一人でございました。あはは。
 ハプスブルグ家は、14世紀ごろ、オーストリア公となり、領土を拡張いたしました。
 先ずはオーストリア帝国として南ドイツに君臨し、19世紀にはオーストリア=ハンガリー帝国として、イギリス、ドイツ、フランス、ロシアと並ぶ、西欧列強のひとつだったのであります。
 はは〜ん、なるほど。
 でもって、モーツァルトと、ほぼ同時代を生きた、女帝がおりました。
 マリア・テレジアでございます。
 おフレンチ派のちゃみは、マリー・アントワネットのお母さんとして知ってるヒトです。
 でもって、ベートーベンは、ちょうどひと世代くらい、若い。
 このくらいの時代が、絶頂期だったんでしょうかね。
 そのお城が、シェーンブルン宮殿でございます。
 すごいですね。リッパですね。
 現在は、ちゃ〜んと見学できます。ウィーン観光の目玉ですね。
 でもって、夏の離宮が、ベルヴェデーレ宮殿でございます。
 こちら、現在は、オーストリア絵画館という美術館になっております。
 その他、美術誌美術館に、その分館のホーフブルク王宮内宝物館、などなど。
 やっぱり、ハプスブルグ家の、繁栄のあとを偲ぶのが、ウィーン観光のいっちゃんの見所のようでございますですね。
 しかし、ハプスブルグ家のオーストリア=ハンガリー帝国、第一次世界大戦に敗れたことで、解体してしまいます。
 やがて革命とともに共和制に移行いたします。
 第一次大戦のあとですから、1918年 大正7年くらいの出来事ね。
 けど、この後もけっこう大変でした。
 1938年 昭和13年には、ナチス・ドイツに併合されてしまうのです。
 あ、「サウンド・オブ・ミュージック」だ。あれ、オーストリアの軍人一家が、ナチスに追われながら、スイスに逃れるおハナシですものね。
 そして、第二次大戦後は、連合国軍の分割占領の時代をへて、1955年 昭和30年に、独立を回復し、今のカタチになったのであります。
 残念ながら、過去のハプスブルグ家の栄光は、こうして失われちゃいました。
 そのせいか、どうも、ヨーロッパの中でも、ウィーンの印象を別にすれば、地味な国ってゆう感じがするのですよね。
 これきっと、イギリスとかフランスが、中世の頃から、今とそんなに変わらないカタチで来てるのとの違いだよね。
 いつごろ、どんなふうに、今の国のカタチになったのかが、分かりにくい、っつうか、たどりにくい、っつうか、あまり知られてない、ってことか。
 ハプスブルグ家は聞いたことあっても、ウィーンが拠点だったことも知ってても、なんか、今のオーストリアと、しっくり結びつかないんですよね。
 それが、20世紀に入ってからの混乱に原因があったことが、やっと分かりました。
 あとさ、オーストラリア人って、どういうヒトたちなのかが分からないせいもあるかも。
 だって、オーストリアって、ドイツ語はなすわけでしょ。ってことは、ドイツ人と同じ民族なの?
 そうじゃなくって、ドイツの領土の多くは、長年、ハプスブルグ家が支配していた。だから、オーストリア人こそが、ドイツ人の源流なのだ、という考えもあるんですって。
 一方で、ウィーンのヒト、モーツァルトは、自分のこと、ドイツ人って名乗ってたらしいですね。
 ごく大ざっぱに、遠い東の国から見ると、やっぱし同じ民族じゃねえの? って気がしてきちゃいます。ドイツ人とオーストリア人。
 けど今は、古くから南ドイツであるこの地に住む者としての、オーストリア人としての意識も高まっているのだとか。
 それでも、ヨーロッパの常で、多民族国家ではあるみたいですね。
 ってゆうか、600年間も、ハプスブルグ家が広大な領土たもってきたわけでしょ。
 どしたって、ハンガリーとか、ドイツの北のほうとか、周辺からヒトが入ってくるのはしょうがないよね。
 なので、民族的にどうこうってハナシはあまり意味ないし、それに、そんなことにこだわる時代でもないよね。
 民族の間に区別も差別もありません。
 ただ、そこに生きている人間こそが、大切なのです。
 でもさ、そりゃハプスブルグ家の栄光は失われたかもしれない。印象、地味な国かもしれない。
 けど、レッドブル・リンクの風景、きれいでしたよね。
 でもって、産業はさかんで、失業率低くて、経済的には豊かな国なんだよ。
 今は、周囲との争いもないし、イギリスやフランスやドイツみたいに、ヨーロッパの中心国家として、他の国の心配までする必要もないし。
 なにか、歴史と文化ある、平和で穏やかな、小さめの国、って感じだよね。
 逆に憧れません?
 近ごろ、周辺国とぎすぎすしてる国に暮らしてるせいかな。
 平和で穏やか。
 印象が地味でも、それが一番ではないかと、ふと思うちゃみでございました。

 てなわけで、今日はここまでです。
 明日も、オーストリアのハナシ、あのね、こぼれハナシ的なもの、いくつか拾おうかなと思っております。
 来週はね、けっこうビッグなテーマ用意してるよ。
 それがなにかは、来週のお楽しみ。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-06-25 12:22 | 読むラヂオ

ちょっと気になった、れっどぶるのおハナシ。

 まいどっ、ちゃみでっす。
 え〜と、昨日は、オーストリアGPの観戦記でしたが、それにちなんで、今週はオーストリアのおハナシを、なんて言っておきながら、気になることができちゃったんで、今日はそっちのハナシです。
 なにが気になったかっつうと、レッドブル、でございますよ。
 レッドブルが、エネジードリンクってゆう、元気が出る飲み物だってゆうのは、もちろん知ってましたよ。
 世界的に有名だってことも、アニメでやる「翼を授ける」のCMも、F1だけじゃなくって、Xゲームとか、いろんなスポーツのスポンサーやってることも。
 おおよそ、知ってましたよ。
 けどさ、レッドブルって飲み物、そもそも、なんなの?
 なんか、いっぱい飲んじゃいけない、とか言いません?
 あと、ネット見ると、レッドブル飲んでるヒト、多いですよね、とか書いてあるんだけど、マジ?
 少なくとも、ちゃみのまわりで、レッドブルを好んで飲んでいるヒト、ほとんどおりません。
 印象としては、だいぶ前からニホンにも入ってきたけど、イマイチ定着してないよねぇ、なんだけど、ちゃみが分かってないだけなのかな?
 ま、いいや。
 でもって、レッドブルでございます。
 当Blog、得意のはじまりをひもといてみやした。
 レッドブル、そもそも、タイで生まれたものでございました。
 これは、なんかどっかで聞いたことあったんだ。
 タイでは、栄養ドリンクとして、リポビタンDが、市場ををほぼ独占していたんだそうです。
 そんな中、痛み止めの薬を作っていた、チャリアオ・ユーウィッタヤーという方が、低所得者層にしぼった新製品を市場に投入いたしました。
 それが、Krating Daeng という商品でございます。
 Krating Daeng、タイ語で、赤いガウルという意味だそうです。でもって、ガウルは牛に似たタイにいる動物の名前。
 はは〜ん。それ訳したのが、レッドブル、なわけね。
 けど、Krating Daeng、特別、なんかを原料にしてるわけじゃなくて、いわゆる栄養ドリンクといっしょで、さまざまな栄養成分を調合して、味付けしただけのもののようでございます。
 なんか、なんとかの樹の樹液とか、なんかの実の汁とか、あるいは動物の骨の中のなんかとか、漢方的な、あるいはアジア的な神秘を期待していたのですが、そ〜ゆ〜の、なぁ〜んもありませんでした。
 そもそも、リポDに対抗するために作られたドリンクでございます。
 でもって、ユーウィッタヤーさん、タイ式ボクシングのスポンサーになったりして、ガテン系の方に売りこんだみたいですね。
 眠気ざましとして、トラック・ドライバーや、工事現場で働く方々、あるいはお百姓さんの間で飲まれていたようです。
 けど、そんなには売れてなかったみたいです。
 やっぱ、ニホンからやってきたリポDには勝てなかった。
 そんなときに、タイにやってきたのが、歯磨き粉の世界マーケティングを担当していた、ディートリッヒ・マテシッツというビジネスマンでした。1984年のことでございます。
 マテシッツさん、ここで、Krating Daengに出会います。
 なんですか、時差ボケが一発でなおっちゃったとか。
 これ、いけるんじゃね? ってわけね。
 もともと、アジア各国を見聞して、欧米にはない、栄養ドリンクという市場があることを見ていたマテシッツさん、欧米でもいけるんじゃないかな、と考えてたんですね。
 そこに、Krating Daengと出会っちゃった。
 運命の出会いですね。
 この出会いがなかったら、大正製薬と、欧米での販売権交渉して、結局、妥結できなかったりしてたかもしれない。
 けど、タイのユーウィッタヤーさん、苦戦中でした。
 大喜びで・・・か、どうかは分かりませんが、ともかく、マテシッツさんが、Krating Daengの国際的な販売権を獲得し、1987年に、いよいよレッドブル社を立ち上げるのでありました。
 でもって、大成功しちゃうんですよね。
 ニホンに本格的に入ってきたの、2006年らしいんですけど、その頃もう、F1に参戦してましたものね。
 F1チームを持つってゆうのわ、Xゲームのスポンサーになるのとは、ちょと違いますよね。
 その、マーケティングの一環として、お金だけ出すのと、F1チーム所有して運営するのとは、かなり違う。
 それだけ、もうその頃には、かなりのお金があったってことですもんね。
 すごい。
 マテシッツさんが見こんだとおり、栄養ドリンクの市場、欧米にもちゃぁ〜んとあったわけです。
 さすが、マーケティングの鬼・マテシッツさん。
 けど、ここで注意してほしいことあります。
 Krating Daengって、そもそもリポDに対抗して作られたんですよね。
 つまり、栄養ドリンク、エナジードリンクです。
 けど、ニホンでは、リポDは医薬品、お薬扱いですが、レッドブルは、単に清涼飲料水です。つまり、コーラなんかといっしょ。
 これ、たいていのヒトが気づきますよね。医薬法にもとづく分類なんですよね。
 リポDには、お薬として売らなくちゃいけない成分が入っている。
 けど、レッドブルには、ない。だから、清涼飲料水として、売っていいわけです。
 けど、成分って、かなり似てるわけですよね。
 なんか、いっちゃん気をつけなくちゃいけないのは、カフェインらしいです。
 清涼飲料水だからって、コーラなみにがばがば飲んでると、やっぱりカフェインが過剰摂取になること、あるみたいです。
 レッドブル、飲み過ぎちゃいけない、を調べてみると、アメリカの女の子は、4本一気のみして、死亡したのだかとか。
 他にも、心臓病の患者が、一日4本飲んでいて、発作で死亡したなどの例が書いてあります。
 けど、因果関係はよく分かってないんですよね。
 ただ、医薬品の栄養ドリンクは、一日1本って、服用法として書いてありましょね。
 なので、たいていのヒトは、それ、守る。
 しかし、レッドブルは、清涼飲料水なので、コーラなみにがばがば飲む、ってことはあるかもしれません。
 あれって、けっこうつおい、栄養ドリンク剤なみの飲み物なんだ、ってゆう認識は持ってたほうがいいみたいです。
 けどさ、ニホンジン的にゆうと、清涼飲料水のエナジードリンクよか、医薬品の栄養ドリンク剤のがききそうな気がしてこない?
 もし、ちゃみの印象が正しいなら、レッドブル、医薬品として売ったほうが、ニホンじゃ成功するかもよ。
 なんか、各国の法律に合わせて、成分変えてるとかだから、清涼飲料水としてのレッドブルも、医薬品としてのレッドブルも、作れるんだと思うし。
 ドリンク剤大好きなテレビ業界では、リポDスーパーとユンケルまぜて飲んだら、倒れた・・・なんて伝説もありますしね。
 ま、どっちでもいいんだけど。
 それはともかく、かくしてレッドブル、世界のブランドへと成長し、会社はオーストリアを代表する企業となり、マテシッツさんは、大金持ちとなったのでした。
 ちなみに、タイの創業者ユーウィッタヤーさん、2012年に89才で亡くなったそうですが、けっこうな遺産をお残しになったそうです。
 めでたしめでたし。
 レッドブルが欧米で成功したのって、もともとタイで生まれたってゆう、なにかアジアの神秘イメージが功を奏したような気もしないでもありません。
 でも中味、リポDに対抗して、成分調合したものです。

 はい。てなわけで、本日は、レッドブルのおハナシでございました。
 別に、好きで飲んでるヒトを否定するつもりはないからね。
 ただ、蒼辰は、ドリンク剤派です。
 ちゃみは、どっちも飲まない派でございます。
 飲まずにすむなら、それがいっちゃん健康的だと思うよ。
 そういうわけで、明日こそは、もっとオーストリア〜なおハナシをと思っております。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-06-24 14:03 | 読むラヂオ

やっぱつぇ〜わメルセデス・オーストリアGP観戦記

 まいどっ、ちゃみでっす。
 きれぇ〜でしたねえ。
 なにがって、エステルライヒリンクですよ。じゃなくって、A1リンクだ。お、それも違う。
 レッドブル・リンクになったのでしたですね。
 失礼しやした。
 久しぶりのオーストリアGPは、まさに、レッドブルのお膝元のレースでございました。
 先ずは、いかにもオーストリアらしい、美しいリンクと周辺の風景でございますね。
 なんかさ、やっとヨーロッパのF1の雰囲気をあじやった感じでございました。
 もっとも、サーキットそのものは、F3のが似合いそうなコースでしたけど。
 それにしても、お膝元のレッドブルには不運なことでございました。
 直前のカナダで、リカルドが初勝利でしょ。期待は高まってただけに、マテシッツさんにはお気の毒なことでございましたです。
 けど、ベッテルさまのトラブルは、なんか意味不明でしたね。
 なんせ近ごろのF1は、電子のかたまりでございますから、なんかの不都合で、ぜぇ〜んぶ止まっちゃったのかもしれません。
 よく、乗用車でも、電子トラブルのとき、一旦、エンジン切って、再始動すると、電子関係、初期化されて、トラブル直っちゃうことあります。
 なんか、それに近い感じでしたよね。
 けど、F1、エンジン、自分じゃかけらんないしなぁ。
 でも、一度、止まってましたからね、ベッテル。やっぱり、一度、シャットダウンして、再起動したら、ともかく直りました、みたいな感じでしたよね。
 近ごろのF1、理解するのムツカシイです。
 ベッテルのトラブルに限らず、そんな印象、あちこちのオーストリアでございました。

 先ず、予選ね。
 予選後のインタビューで、ニコさま、不満たらたらのようすでしたね。
 ポールいけた。少なくともフロントロウいけた、って思ってたんでしょうね。
 けど、ルイスのスピン、当人もタイム出てない中だから、しゃあないですよね。
 にしても、今年はラストアタックでいろいろありますわね。
 これからも、この手の、きっとあるよ。
 そしてウィリアムス、速かったですねぇ。ここまでメルセデスに迫るとは思いませんでした。
 スタート直後、失ったポジヨンを取り戻すボッタスのオーバーテイクなんて、すごかったですよね。
 あんなにあっさりオーバーテイクされるメルセデスって、今季はじめてじゃないでしょうか。
 第2スティントまでは、マジ、互角の戦いでございました。
 けど、ピットストップの作業で1秒の差? あれじゃ簡単にアンダーテイクされちゃうわな。
 でもって、第2スティントでだっけ? 解説の右京さまが、メルセデスはまだポケットになにか隠してるんじゃないか? てなこと言ってましたが、そのとおりでしたね。
 最終スティントは、いつものようにメルセデスのものでございました。
 どうも、おハナシを総合すると、ブレーキ、ケアしてたみたいですね。
 そういえば、予選のルイスのスピンも、なんかリアブレーキあたりに原因がありそうでしたものね。
 そして残りは、ニコvsルイスの争いにしぼられてきました。
 おっと、その前に、ルイスのスタート、すごかったですね。
 1コーナーまでで、4台パスしたのかな? あのスタート決められたら、ニコがポールで、ルイス2番手でも・・・。
 次戦からの注目ポイントになっちゃいました。
 そして、ラスト数ラップ、見応えありましたね。
 両者、なに使ってもいいの許可をピットから得て。
 とくにラストラップ。DRS使って、裏ストレートでルイスが差を詰めてきたあとの、ニコの立ち上がり、速かった。
 あれ、いわゆるオーバーテイクボタンを使ったんでしょうかね。
 多分、ルイスのチャンスはあそこだけと読んで、とっといたんでしょうね。
 あそこで、ほぼ勝負アリでした。
 最終コーナー前では、ニコがブレーキスモークを上げ、ルイスは縁石に乗りすぎぃのの、ぎりぎりのとこを見せてくれました。
 片や、ギリまでブレーキ遅らせ、片や、ギリまでインに寄せ、の迫力ある勝負でございましたですね。
 けど、ひょっとすっと、ブレーキ、悲鳴寸前だったのかもね。
 けど、そこまでちゃんと理解するの、かなりムツカシイよね。
 あの無線のやりとりの意味がある程度わかんなくちゃいけないし、今どきのF1は、いろぉ〜んなモードがあって、それを走りながらでも変えられるとかってことも分かってなくちゃいけないし。
 今どきのF1、かなり分かりにくいのはジジツでございます。
 そこ、なんとかしようってハナシもありますよね。
 なんか、ファンが減ってるんで、音をおっきくしようとか、いろんな対策を耳にしますけど、それよか、もっと単純な、分かりやすさを追求したほうがいいんじゃないの。
 なにごとも、困ったときは原点に帰れ、でございますよ。

 あと、フェラーリ関係ね。
 モンテゼーモロが、フェラーリにはF1は絶対に必要じゃない、みたいなこと言ったとか。
 でもってアロンソが、今季は諦めるって発言したり。
 要するに、エンジン、おっきくいじれないんですよね。
 そのレギュレーションがある以上、もう今季、追いつくことはないっ、ってことみたいっすよ。
 そのための、モンテゼーモロらしい、レギュレーションへの圧力発言なんでしょうね。
 メルセデスをリーダーに、エンジン序列が決まっちゃった感じの今季ですが、来季は、なんせいよいよホンダが参戦いたします。
 今年の序列のまんまで、ホンダがいい結果出したりしたら・・・。
 ホンダ、複数チームへの供給もアリって言ってましたよね。
 このままエンジン改善できないようだと、再来年には、フェラーリがホンダ・エンジン搭載・・なんちゃってね。
 けど、ちょい昔だったら絶対あり得ないハナシだったけど、今はね、なにが起こるか分からないですからね。
 あり得るかもよ。

 しっかし、メルセデス、リアブレーキが文字通りアキレス腱なのかも。
 ハードブレーキングがつづくと、やばい感じですよね。
 ってことは、あと・・シルバーストーンに、スパフランコルシャンに、モンツァに・・・。
 おや、ヨーロッパ・ラウンド後半、目が離せないじゃありませんか。
 てなわけで、今日はここまでです。
 再来週はシルバーストーン。再び高速バトルです。
 そして、当Blogの今週は、オーストリアGPにちなんで、オーストリアからの話題をピックアップする予定でございます。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-06-23 19:05 | 読むラヂオ

遠くて近いぞブラジルのハナシその5・最後はやっぱサッカーでしょ。

 まいどっ、ちゃみでっす。
 ドローですかぁ・・・。これでグループリーグ、自力での突破はなくなっちゃいました。
 コロンビア戦に勝っても、コートジボアールとギリシアの結果次第ってことになっちゃいましたね。
 ってことは、コロンビア戦、少なくとも2点差以上の勝利が、ほぼ絶対条件でございます。
 厳しいなぁ。
 てなわけで、今週は、ワールドカップにちなんで、ブラジルのハナシ、してきました。
 となれば、最終回の本日は、やっぱし、ブラジル・サッカーについてでございますね。
 ブラジルのサッカー、なんであんなに強いんでしょ。ま、南米全般でもいいんですけど、なぁ〜るほど、それで強いのか、という答えがほしいところでございます。
 けど、残念ながら、どこ探しても納得できる答えはありませんでした。
 ブラジル人または南米の気質みたいなものに、サッカー、よっぽど合ってたんだろうと思います。
 韓国における唐辛子みたいなものかもしれません。
 そもそもは、1880年代ごろ、イギリス人が持ちこんだものでございます。
 なんか、鉱山労働者としてやってきたヒトたちがはじめた、とかいうんでしょ。
 このあたりは、ブラジルだけでなく、他の南米諸国でも、事情はほぼ同じです。
 ってことはさ、ニホンだって似たようなもんでしょ。
 そもそも、サッカーの統一ルールできたのが、明治になるのとほぼ同じ時期で、それからイギリス人によって持ちこまれて、明治時代には、早稲田や慶応に蹴球部ができてたわけだよね。
 けど、ブラジルをはじめ、南米の各国は、かなり早い時期からサッカー強豪国になり、ニホンはまだその手前です。
 なにが違うのかねぇ。
 ニホンの場合、ヨーロッパよりアメリカのが近いです。そのせいで、影響も多く受けてます。
 だから、野球がさかんになり、サッカーはそれほどでもなかった・・・。
 う〜む。あり得る答えだけど、けど、さっきの気質問題取り上げると、最初のうち、野球のがニホンジンの気質に合ってた、ってゆうのわ、なんとなぁ〜く納得できる答えではあります。
 ま、それはともかく、20世紀に入ると、ブラジルにもクラブチームが作られ、リーグ戦が行われるようになります。
 そして、1030年の第1回ワールドカップにも、もちろん参加し、以来、一度として出場しないことのなかった唯一の国なのは、みなさまもご存知の通りでございます。
 初期の頃から、サッカー強豪国だったんですよね。
 そして今日まで、最多の5回、ワールドカップで優勝しているんですよね。
 けど、初優勝は、1958年の第6回大会まで待たなくてはいけませんでした。
 そしてその前に、アノ話しなくっちゃね。
 優勝じゃなくって、開催のほうは、1950年が最初でございます。
 当然のことながら、ブラジル国民は、ブラジルの優勝を期待します。
 その期待に答えて、ブラジル代表は快進撃。この時は、決勝もリーグ戦だったんですが、最終戦、引き分け以上で、優勝というカタチで、その最終戦、ウルグアイ戦を迎えます。
 ところは、あのマラカナン・スタジアムでございます。
 ここ、ブラジル・サッカーの聖地なんですよね。
 今回のワールドカップでも、改修された新しいマラカナンが、決勝戦の舞台となります。
 でもって、1950年7月16日午後3時に、その最終戦はキックオフとなりました。
 前半は0-0で終わった後半開始早々、ブラジルは先制点をあげます。
 なんせ引き分け以上でいいんですから、これで優勝は決まりか、ブラジル国民の誰もがそう思いました。
 けど、後半21分、34分と、立て続けにウルグアイがゴールを奪い逆転。
 そのままし合いは終わり、ウルグアイが2回目の優勝を達成してしまうのであります。
 そらもう、ブラジル国民の落胆はすさまじいものでございます。
 その場で二人が自殺し、二人がショック死したってゆうんですから、たいへんなことです。
 なんでも、2点目を奪われ、逆転されたときでさえ、スタンドから身を投げるヒトが大勢いたとか。
 スタンドから身を投げちゃうんですよ。
 その場で自殺しちゃうヒトがいたんですよ。
 なんつうサッカーに対する情熱でありましょうか。
 びっくりしちゃいますよね。
 ブラジル代表は、この時初めて、白のホーム・ユニホームを着用したのだそうですが、この一戦のあと封印されました。
 以来、ブラジル代表は、あのカナリア色と呼ばれる黄色のユニホームを身につけることになったのだそうです。
 余談ですが、ニホンだと、カナリア軍団って言い方することありますよね。
 けど、ブラジルでは、カナリアって、なんかヒトを罵るときの語彙に近い響きがあるのだそうで、カナリアにからんだ言い方はしないようですね。
 なので、ブラジル代表は、あくまでセレソンでございます。
 それはともかく、この1950年の出来事、マラカナンの悲劇として、今も語り継がれているのだそうです。
 その日、落胆する父親を、ひとりの9才になる息子が励ましたそうです。
「パパ、そんなにがっかりしないで。ぼくが、ワールドカップで優勝してみせるから」と。
 その少年の名前は、ペレ。
 8年後の1958年、17才のペレは、ブラジル代表となり、見事に、ブラジルをワールドカップ初優勝に導いてしまうのでございます。
 なんとまぁ、サッカー王国らしい伝説でございましょうか。
 美しいっつうか、うるわしいっつうか。
 英雄にふさわしい伝説ではございますです。
 そのペレとともに、ブラジルは62年には2連覇を。そして70年にも、再びペレの活躍で優勝を果たしております。
 5回の優勝のうち、3回にからんでいるんですから、やっぱりペレってすごいヒトです。
 ブラジルの英雄なのも分かりますよね。
 ここでまた余談。ペレに続くブラジルの英雄って、F1のアイルトン・セナなんだそうですね。
 ジーコよりも、セナなんだって。
 そらもちろん、セナも英雄の一人には違いありません。
 けど、F1マイナー国のニホンから見てると、ちょっとフシギな感じがしますよね。
 ブラジルにおけるF1、そんなに普段から人気あるんでしょうか。
 はい、余談でした。
 でもって、サッカーのブラジル代表のこと、あれこれ調べてて面白いなと思ったのは、勝てばいいってもんじゃないみたいなんっすよね。
 82年の大会では、優勝を期待されながら、2時リーグで敗退しちゃいました。
 けど、ジーコをはじめとする、あの黄金のカルテットを中心に、魅力的なサッカーをやったと、賞賛の声が上がったのだそうです。
 が、94年大会では、ちゃんと優勝したのに、守備重視の占術や、なかなか点の取れない攻撃に批判が集まったんですって。
 なんつうか。さすが通の国というか。
 勝つだけじゃダメって、なんかすごいことになってますよね。
 ちなみに、94年大会の決勝の相手はイタリア。あの、バッジオがいたときでございます。
 さて、ここまでまずまずのブラジル代表でございますが、64年ぶりの自国開催で、優勝できるのか。
 そして、うるさがたの、通なファンを納得させられるのか。
 日本代表の戦いとは別に、そっちにも注目したいと思ってます。

 てなわけで、ワールドカップにちなんだブラジルのおハナシはここまでです。
 あり? カーニバルのハナシとかできなかったじゃん。じゃ、こんつぎ、リオのカーニバルの前にでもやろうよ。
 ねっ。
 でもって、来週の週明けは、F1です。オーストリアGPです。
 それにちなんで、来週はオーストリア関連のおハナシをなんかしようかなと考えております。
 ちゃみじゃなくって、蒼辰がね。
 でもさ、間に、なんか気の抜けるハナシ、はさもうよ。食いもの系とか、なんかそういうの。
 ねっ。
 はいっ。ということで、本日はここまででっす。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-06-20 12:59 | 読むラヂオ

遠くて近いぞブラジルのハナシ・その4・ブラジルの食べモノッ!

 まいどっ、ちゃみでっす。
 さぁ〜て、今週はワールドカップにちなんで、ずぅ〜っとブラジルがらみのいろぉ〜んなおハナシをしています。
 でもって、本日は、食べモノッ。
 わ〜、ぱちぱちぱち。
 なのですが、ぬあんと、ちゃみはもちろん、蒼辰も、ブラジル料理、食べたことありませっん。
 なのにブラジルの食べモノのハナシするのか、図々しい、とか言われちゃいそうですけど、そこは知ったかぶりの当Blogでございます。
 たべたいなぁ、という気持ちをこめて、紹介したいと思います。
 とはいうものの、食ったことのないもんのハナシ、そう詳細にはできませんわな、やっぱ。
 そこで、ちょっとだけ趣向を変えて、食べもんは代表的なモノだけ紹介し、それが食べられる店を、みんなのメモ的にお知らせいちゃおっかなと思ってます。
 でもって、ブラジルの料理といえば、そらもう、なんつったって、シュラスコですわな。
 これ、料理ってゆうより、食しかた、供しかたに特徴があるというべきでしょうか。
 簡単にいえば、串に刺して、塩だけで焼いた肉の塊を、テーブルに持ってきてくれて、その場で切りさばいて、お皿に乗せてくれる、ということになります。
 で、こういうサービスをしてくれるお店が、シュラステリアというのだそうですね。
 ん? シュラスカリア? ともかく、どっちか。
 お家とかでやるときも、キホンは同じ。肉をおっきな串に刺して焼いて、その場で切り分けて食べるわけです。
 ガーデンパーティとかやるときは、やっぱりお父さんの仕事でしょうね。肉焼いて、切り分けるの。
 お肉は、牛肉が中心なんですが、いろんな部位が供されます。だから、お店なら、部位で注文できる。
 ほかに、鶏肉とかも、同じやり方で焼いて食すようであります。
 ってか、これ、肉好きには究極のスタイルなんでないの?
 ちゃみも蒼辰も、さほど肉好きではありませんが、さすがにこれにはひかれます。
 味が塩だけなのと、油を使わずに焼くところもヘルシーでございますよね。
 というわけで、前から気になってたお店を紹介。
 青山の、バルバッコア・グリルでございます。
 正しくは、バルバッコア・グリル 青山店となってるので、何軒かお店があるのかもしれません。
 行ったヒト、リーフレットかなんか、もらってきてください。
 ここ、20世紀の終わりくらいからあるんじゃないでしょうか。
 なんせ、気にはなってるんだけど、未だに入ったことのない一軒なんですよね。
 場所は、表参道交差点から、原宿駅方向に下っていった右側、伊藤病院の角をちょっと入ったところです。
 ちゃみ、誘ってくれたら、もちろん、ついていきます。
 そしても一軒。ここの紹介コピー、ちょとそそられるよ。
[23年前の1991年、東京でシュラスコの大ブームを作った「バッカーナ」が復活しました]とあります。
 残念ながら、23年前の大ブームに間に合わなかった、ちゃみとしては、大いに気になり、そそられたのであります。
 場所、銀座通り、7丁目の信号から、外堀通り方向に一本裏へ入ったとこのようです。
 ここも、誘ってくれたら、断らないからね。
 だいたい、東京のシュラスコやさんは、時間制食べ放題というところが多いようです。
 でもってもちろん、お肉や焼いて持ってきてくれる。けど、その他に、ま、サラダバーなんですが、そこにけっこういろんな小皿料理が並ぶみたいですね。
 うっかりすっと、数十種。
 うふっ。たまんないね。食べてみたぁ〜い。
 けど、ご予算のほうもそれなり。ワイン込み1万円ってとこは、覚悟しといたほうがいいみたいです。
 でも、たべほーだぜ。
 ほいじゃもいっこ。
 これまた、ブラジル料理を代表するひとつが、フェッジョアーダでございますですね。
 なんかさ、豆の煮こんだヤツと思ってたら、ちょと違いました。
 黒い隠元豆と、豚や肉の干し肉や燻製、生ソーセージ、豚の耳や鼻、豚足、皮、尾、などを煮こんだものなんですって。
 おいおい。耳に鼻に、皮に尾?
 ちょとびっくりしましたが、よくよく聞いてみたら、そもそも、昔のアフリカから連れて来られた奴隷さんたちが考案した料理とされているんですね。
 つまり、ご主人さまが食べない、捨てちゃうようなとこを、じっくり煮こんで、やらかくして食べてたのか。
 う〜む、奴隷じゃないけど、ホルモン焼きと、ちょと起源が似てるかも。
 けど、そういう、そもそも捨てちゃうとこを、それしか食べられないヒトたちが利用して、食べられるようにした料理で、なおかつ、今日まで残ってる料理って、結局、おいしいかヘルシーか、あるいはおいしくてヘルシーなんだよね。
 だって、ホルモンだってそうじゃん。昔は、下品なとゆうか、下等な料理だったけど、今じゃ高タンパク低カロリーのヘルシー料理。ホルモンヌとかいって、立派な女子が食してるんだぜ。
 フェッジョアーダも、きっとそういう料理なんじゃないかと思います。
 ただ、こちらは、おいしいけど、ヘルシーじゃないらしい。
 豚の脂身とかが高カロリーなので、近年、あまり好まれていないのだとか。
 ほう。ブラジルもやっぱ、ヘルシー志向なんだ。
 でもってもいっこ。間違ってました。
 家庭料理の、豆を煮こんだ料理は、フェイジャオンという、フェッジョアーダとは別の料理なんだそうです。
 でもって、フェッジョアーダは、お店で食べる料理のようですね。
 ま、なにはともあれ、食べてみなくっちゃ・・と、検索してみたんですが、フェッジョアーダだけではなにも出てきません。
 つまり、フェッジョアーダをウリにしてる店はないのか。
 そこで、ブラジル料理で検索し直したら、ありましたありました。
 ここ、ブラジル料理一般を味わうにはい〜かも。
 なんと、あのラモス瑠偉さんが経営しているお店です。その名も「カリオカ」。
 場所は、外苑前から神宮球場のほうに歩いていって、三笠宮ラグビー場のちょと手前です。
 でもって、フードメニュにちゃんとありました。フェイジョアーダ。
 ライスと付け合わせのお皿がついてますね。フェイジョアーダそのものは、焦げ茶色で、どんなものか分かりません。
 結局、近いうち食えってことだな。
 ほんじゃもう一軒。ここもね、蒼辰的に、一度ゆきたいと思いつつ、果たしていない店なのです。
 四谷のサッシペレレです。場所、四谷の駅から、外堀通りを市ヶ谷方向に下りて行った左側です。分かりやすい。
 でもってですね、ここ、歌手の小野リサさんのご両親がやってるお店なんですよね。
 なので、夜には、ボサノヴァのライヴがあります。お料理とボサノヴァ。目いっぱいブラジル気分にひたれるお店です。
 フェイジョアーダ、ちゃんとあります。
 こちらも、フェイジョアーダという表記ですね。フェッジョアーダじゃないの? ま、外国語の表記ってね、どっちが正しいということでもないのかも。
 でもって、前菜の盛り合わせと、フェイジョアーダやステーキ、グリルドチキンなどのメインを一品選ぶ、お手頃なコースもあるようです。
 やっぱ、近いうち行くっきゃないかも。

 てなわけで、なんとか、数ヶ月以内に、食べましたブラジル料理のおハナシができたらい〜なぁ〜。
 というところで、本日はここまでです。
 明日も、ブラジル関連になるかどうかは、分かりません。
 でもって来週は、オーストリアGPあります。
 なので、オーストリア関連のおハナシにしようかなと思ってます。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-06-19 19:55 | 読むラヂオ

遠くて近いぞブラジルのハナシ・その3・ブラジルの音楽っ!

 まいどっ、ちゃみでっす。
 さて今週は、ワールドカップにちなんで、ブラジルのおハナシしております。
 昨日は、ブラジルの歴史を、ざぁっとおさらいしました。ブラジルだけが、ポルトガル語を話すだけあって、他の、スペイン語圏南アメリカとは、成り立ちもちょっと違ってましたね。
 というわけで、今日は、わりと蒼辰の得意分野の、ブラジルの音楽のおハナシにしようかなと思っております。
 ブラジルの音楽といえば、そらなんつったって、サンバでございますよね。
 いろぉ〜んな打楽器を使って、みぃ〜んなで作り上げる、複雑なリズムがその特徴でございます。
 だって、ねぇ。サンバのリズムを聴けば、体は自然に動き出すけど、踊り手のあの複雑なステップにはついていけません。
 やっぱワガクニは、リズムじゃなくって、間の音楽だからなのでせうか。
 ブラジルって、移民国家だってハナシ、昨日しましたよね。でもって、それ以前の奴隷制の時代には、アフリカの黒人が多く連れてこられたりしました。
 そうしたヒトたちが、楽器や音楽、そして食文化を、ブラジルにもたらしました。
 あの複雑なリズム、アフリカからもたらされたものなのですね。
 けど、ブラジル音楽の特徴、それだけじゃありません。
 あの、哀愁のある、独特なメロディーがそこに乗っかったとき、ブラジル音楽だけが持つ雰囲気に包まれるのでございますよ。
 あれ、サウダージってゆうんだそうですね。
 おおむね、哀愁って意味でございます。
 似てるモノある? って考えると、そりゃ先ず、ヒスパノ・アメリカ系のいわゆるラテン楽は、やっぱどっか似てます。
 じゃルーツは? ってゆうと、たとえば、アルゼンチンの先住民族の音楽っていわれるフォルクローレとか。あと、ポルトガルの、伝統歌謡って言えばいいの? ファドとか?
 南米にもともとあった、サウダージな旋律と、宗主国ポルトガルからやってきた、これまたサウダージな旋律が、いつの間にか合体したものなのかもしれません。
 そして、ブラジルを代表する音楽っつうと、もいっこ忘れちゃいけないのが、ボサノヴァでございます。
 好きですよね、ニホンジン、ボサノヴァ。
 カフェとかでよくかかってたりするし、ボサノヴァ調のヒット曲ってゆうのも、時々あらわれますよね。
 ボサノヴァは、わりと出自がはっきりしております。
 1950年代の後半から60年代にかけて、リオデジャネイロのコパカバーナやイパネマなどの海岸地帯に住む音楽家によって生み出されたのだそうです。
 これ、知ってるヒトも多いと思うケド、ボサノヴァのノヴァは、新しいって意味です。じゃボサは? これ、もともと“こぶ”って意味らしいんけど、俗語で、尖ってるとか、決まってるとか、そんなニュアンスがあったみたいですね。
 なので、ボサノヴァは、ナウくてクールな、くらいの意味だったのかもしれません。
 ほんで、ま、ちょっとスノッブな若者中心に、ブラジルで流行りだしたボサノヴァでございますが、世界的に知られるチャンスが、ふたっつありました。
 ひとつめが、59年公開の映画「黒いオルフェ」でございます。
 この映画の音楽を担当したのが、ボサノヴァ生みの親の一人、かのアントニオ・カルロス・ジョビンでございました。
 あの、ラストシーンの“フェリシダージ”でしたっけ? すんごい印象的でしたよね。
 そしてもいっこ。63年には、アメリカの有名なジャズミュージシャン、スタン・ゲッツが、ジョアン・ジルベルトと共演したアルバム「ゲッツ/ジルベルト」が発売されました。
 この中で、アストラッド・ジルベルトが歌った「イパネマの娘」が、大ヒットするのでありました。
 有名な曲ですよね。
 こうして、ボサノヴァは、アメリカを中心に、世界に知られることとなりました。
 ってゆうよりさ、世界中のポピュラー音楽に与えた影響って、すんごいものあると思わない?
 たとえば、マイケル・フランクスがそうでしょ。フランスのクレプスキュール系の音楽なんかもそうだし。
 かくして、トロピカル気分のプールサイドにもっとも似合う音楽となったのでありました。
 だけど、ボサノヴァの登場って、世界的にも、若者の気分を反映してたのかもね。
 第二次大戦後の世界で、平和は戻ってきたけど、文化的には戦前と同じものばかり。
 それじゃつまらない、どっか古くさい、俺たちの音楽を作りたい、ってゆう欲求が、世界的にも充満してたような気がします。
 ボサノヴァが世界に翼を広げた60年代は、アメリカでは、シンガーソングライターと呼ばれる、自分で作った歌を、自分で歌うヒトたちが、台頭した時代でもありました。
 でもって、70年代に入ると、音楽的にはボサノヴァの影響を受けつつ、潮流的には、シンガーソングライター的な、自分たちの音楽を作ろう派のミュージシャンたちがあらわれます。
 カエターノ・ヴェローゾとか、イヴァン・リンスとか、ジルベルト・ジルとか、ミルトン・ナシメントとか、そうしたヒトたちでした。
 ってゆうけど、みなさん、知ってます?
 そっち方面興味ないと、分かんないよね。
 蒼辰は、なんですか80年代からそっち系聞いてたのだそうで、うっわぁ〜なつかし〜い、とか言ってます。
 けど、知らねえし。
 それはともかく、こうしたヒトたちの音楽が、80年代ごろから、フランスを火付け役に、世界に広まります。
 これが、今もMPBって呼ばれる、ブラジル音楽の一潮流になるのであります。
 MPB。フランス語で、Musica Popular brasieira の頭文字とったものです。
 ニホンでいうニューミュージックに相当するわけでございますな。
 ニホンでも、もうニューミュージック、流行歌の主流になっちゃいましたけど、ブラジルでも、MPB系、流行歌の大きな潮流になっちゃいました。
 あの、ロンドン・オリンピックの閉会式に、次回開催国のブラジルのヒトたちが、旗、受け取りにやってきました。
 あのとき、一曲だけ歌ったのが、マリーサ・モンチという女性歌手でした。
 彼女のデビューが、たしか90年代の後半だったと、蒼辰が言ってます。
 音楽的には、ブラジルらしさはたっぷりなんだけど、伝統的とはいえない、ブラジルのニューミュージック・MPB系だったそうです。
 うん、でもね、親しみやすい音楽ですよ。
 ちゃみも、BGMでかかってるから、時々聞かせてもらうけど。
 やっぱどっか、哀愁があるし、ポルトガルの音が独特だし、アメリカ系のポップスに飽きたとき、ちょうど耳心地がよいことは、保証いたしますです。
 ただ、いろいろ資料読んでると、ご当地ブラジルの若者は、やっぱ今は、ロック系やヒップホップ系にいっちゃってるみたいですね。
 ボサノヴァ、オトナの古い音楽と思われてる部分もあるとか。
 まぁね、時がたつとね。
 また、ブラジルの俗謡にブレーガというのがあるそうで、そっちを聞く層も多いのだとか。
 これがね、残念なことに、ブレーガ、聞いたことないんですよ、蒼辰も。
 なので、断定はできませんが、連想したことがひとつ。
 あのさ、世界中どこ行っても、その国の歌謡曲的なものって、あるよね。
 インドネシアなんかでも、Jポップに影響受けたみたいなニューミュージックっぽいのや、逆にガムランみたいな伝統音楽とか、蒼辰はそういうの探すわけ。
 けど、カーラジオから流れてるのって、そら、旋律あっち系の独特さはあるんだけど、どう聞いても歌謡曲なんだよね。
 あれって、民謡ってゆうか、各地にあった歌謡が、20世紀前半あたり、ジャズとかの影響受けて、ああなったのかもね。
 ニホンの、今は演歌ってゆうけど、昔の歌謡曲って、ねぇ、そんな感じじゃありません?
 ああいうのを聞くのも、ああいうので、なんてゆうのかな、独特なムードにひたれるから好きなんだ、と蒼辰は言ってます。
 でも、これまた世界的傾向として、あの手は、古くさいって思われてるんじゃないかな。
 ニホンでは幸い、ブラジルの音楽、とても人気あって、いろんなタイトル発売されてます。
 なんですか、ブラジルのミュージシャンが、これ本国にないって買ってく音源もあるのだとか。
 雑色系ミュージック・フリークを自称する蒼辰は、流行追っかけるのも大切だけど、やっぱルーツを感じる音楽は心地よい、などと申しております。
 あ〜ん、blogじゃ音出せないからアレだけど、いつか、音楽のハナシ、しましょうか。
 iTunesで視聴してもらうこと前提で。
 それなら、文句言われないっしょ、きっと。

 てなわけで、本日はここまでです。
 明日は、ブラジルの食べモノのハナシにしよっかなと思ってます。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-06-18 20:10 | 読むラヂオ

遠くて近いぞ・ブラジルのハナシその2/歴史のおさらい。

 まいどっ、ちゃみでっす。
 昨日っから、ワールドカップにちなんで、ブラジルのおハナシをしております。
 本日は、昨日の前ふりにつづいて、ブラジルの歴史をざっとおさらいしちゃおうかと思っております。
 ところで、南米の歴史って、私たちにはわりと縁遠いですよね。
 大航海時代にスペイン人が植民地化し、その後、次々と独立を果たし、今のカタチになった、くらいですよね、大ざっぱにいうと。
 けど、ブラジルはポルトガルの植民地でした。そのために、他のスペイン語を話す南米地域・・ヒスパノ・アメリカとゆうんだそうですが・・とは、ちょと違った歴史を歩んでました。
 なので、ヒスパノ・アメリカ圏との違いを比べながら、その歴史をおさらいしてみたいと思います。
 南米の歴史は、大ざっぱに分けると、どこも先ず、先コロンブス期という時代区分から始まります。
 コロンブスに発見される前、ってことですよね。
 知ってのとおり、先コロンブス期、南米には、マヤ・アステカ・インカなどの先住民族の国と文化がありました。
 けどブラジルには、それらの帝国の影響、届いてなかったみたいですね。
 北米先住民といっしょで、インディオと、ヨーロッパ人から一括して呼ばれちゃうヒトたちが住んでいるだけだったようです。
 そこに、ポルトガル人がやってきました。おおむね、1500年代に入ってすぐのことでございます。
 ニホンだと、室町時代、ですかね。
 そのころもちろん、スペイン人は、南米大陸のあちこちに進出していました。
 なんですか、トルデシリャス条約とかのために、スペイン人は、新大陸に入るときは、侵略を目的にするしかなかったんだそうです。
 そこで、マヤ・アステカ、そしてインカの帝国を次々と滅ぼし、その金銀財宝を奪い取ります。さらには、先住民たちを虐殺さえしてしまいます。
 スペイン人が残虐のかぎりを尽くしたってゆうのは、わりと有名なおハナシですよね。
 しかしポルトガル人は、先ず交易を目的とした拠点を作りました。
 つぎに、サトウキビをはじめとする農場経営に乗り出しました。
 もちろんそこでは、先住民を奴隷労働に駆り立てたりもしました。けど、虐殺とかは、なかったようなのです。
 やがて労働力が足りなくなると、北米と同じように、アフリカから黒人奴隷が連れてこられました。
 これもね、インカ帝国が栄えていた地方に比べると、そもそも、先住民の人口が少なかったせいみたいですね。
 こうして、ブラジルにアフリカ人たちがやってきて、アフリカの食文化や楽器を持ちこんだのであります。
 ね、ヒスパノ・アメリカとの違い、ひとつ出てきました。
 そして、ヒスパノ・アメリカのスペイン人たちが、都市を建設して、そこを支配の拠点にしようとしたのに対して、ポルトガル人は、都市、あんまり作りませんでした。
 あくまでも、農場が主体。
 そのため、ヒスパノ・アメリカの文化が都市文化であるのに対して、ブラジルは農村文化が中心となったのだそうです。
 ふぅ〜ん。農村文化なんだ。
 そういえば、アルゼンチン・タンゴって、強烈に都会的だけど、サンバって、いわれてみりゃ農村っぽいかもね。
 もちろん今は、ブラジルにも都市型文化育ってます。けど、文化の底に流れるものとして、そういう違いがあるってことなんでしょうね。
 そして、18世紀には、ゴールドラッシュが起こります。
 この時期だけで、30万人のポルトガル人が、一攫千金を求めて、ブラジルにやってきたのだそうです。
 その、金がめっかった場所が、南の地方だったために、ブラジルの中心地も南に移動してしまいます。
 それまで、ブラジルの首都はバイーアでしたが、18世紀の後半には、リオデジャネイロに移されています。
 でもって、19世紀に入ってすぐ。宗主国ポルトガルで、大事件が起こっちゃいます。
 なんと、ナポレオンによって、滅ぼされちゃったんです。
 そのため、ポルトガルの王室は、ブラジルにやってきて、いわば亡命政権を立てることになっちゃったんですね。
 こうして、ブラジルはなんと、ポルトガル王室の、事実上、唯一の支配地域として、帝政時代に入っちゃうのです。
 これまた、常にスペイン人総督に支配されてきたヒスパノ・アメリカとは違ってるとこです。
 亡命政権時代は短かったんです。だって、ナポレオン、失脚しちゃいますからね。
 1821年には、ポルトガル王室、無事帰国しました。けど、ブラジル公として、王太子を残しました。
 この人を、ブラジルに定着していた有力者たちがそそのかして、ぬあんと、1822年に、ブラジルはポルトガルからの独立を果たしてしまうのです。
 ヒスパノ・アメリカでは、スペイン支配からの独立を目指して、16年にもわたる戦いを繰り返していたさなか、ブラジルは、なんと、皇帝を頂いた帝国として、ポルトガルからの独立を果たしちゃったのです。
 これまた、スペイン語圏との、大きな違いです。
 もいっこ。ヒスパノ・アメリカで、スペインの支配と戦ったヒトたちは、フランス革命とかの自由思想の影響を受けた、共和主義者のヒトたちでした。
 けど、ブラジルには、なぜか高等教育をする学校がほとんどありませんでした。
 なので、フランスの自由思想その他の革新的な思想を理解できる人材が不足してたんですって。
 なんともはや、でございます。
 やがてその帝政も、軍事クーデターによって崩壊します。
 けど、この時も無血革命だった。
 民衆の血を流すことなく、ブラジルは共和制に移行します。
 ここもまた、ヒスパノ・アメリカとの違いなのでございますですよ。
 共和制に移行すると、アメリカなどの影響で、奴隷制が廃止されました。
 そのために、各国からの移民を、積極的に受け入れるようになります。
 そんな流れの中で、1908年に、初めてブラジルにやってきたのが、笠戸丸に乗った日本人移民者でした。
 そういうお国柄のせいか、人種差別への反対意識は強い国のようですね。
 けっこうなことだと思います。
 ついでにいうと、今日の新聞に、今、ブラジルでもっとも有名な日系人女性だという、すんげえ美人の女優さんのインタビューがのってました。
 その中で、こんなこと言ってました。
「ブラジルは移民の国だ。みんな、危険を覚悟で海を渡ってきたからこそ、国への思いが強いのだ」って。
 ふぅ〜む、そういうことなのか。
 ヒスパノ・アメリカの国々が、独立を果たし、共和制を実現しても、植民地時代の支配構造からなかなか自由になれないのとは、ちょと違いますよね。
 ブラジル、自由にして、多民族国家でありながら一体感があり、アメリカン・ドリームに似た、夢を持てる国なのかもしれません。
 もちろん、夢、なかなか実現しないし、持てないヒトたちがいるのも、ゲンジツですけど。
 でも、あの反ワールドカップのデモも、わりと平和的ですよね。それでも催涙弾だもの。どっかの国みたいに、いきなり機関銃やロケット弾ぶっぱなすこと考えりゃ。あのデモ、民主的な範疇に入るデモだと思いました。
 こうして、無血革命によって共和制に移行したブラジル、何度かの政権交代を経て、今日にいたってます。
 そんな中、1960年代にクーデターがあり、1985年まで、軍事政権の時代があったこと、付け加えておきます。
 南米において、旧宗主国の支配が終わったあと、経済的支配権を確立したのは、アメリカでした。
 けど南米、とりわけヒスパノ・アメリカは、自由主義思想の強い国。もっといえば、親共産主義的な人々も多い国です。
 60年代と言えば、まだまだ冷戦まっただ中。南米に、新ソ連的政権ができてしまったら・・・。
 南米を裏庭と考えるアメリカにとって、そんなこと許せるはずがありません。
 50年代から70年代にかけて、アルゼンチンでも、チリでも、アメリカの後押しを受けたクーデターが、たびたび起きたのは、そんなわけだったのですね。
 あ、このハナシ、蒼辰がわりと好きなんだよね。
 いつか、ヒスパノ・アメリカの歴史もおさらいしてみたいね。

 てなわけで、今日はここまでです。
 明日も、ブラジルのハナシ、続ける予定になってます。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-06-17 13:30 | 読むラヂオ