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16年春リニューアルしました! 蒼辰が書くおハナシを随時アップしております。ちゃみのMCともども、読んでやって下さいまし。
by planetebleue
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<   2014年 08月 ( 19 )   > この月の画像一覧

ジンルイの始まりについての雑談デス。

 まいどっ、ちゃみでっす。
 え〜と、昨日は、ニンゲンのおっきさのハナシしました。
 結局、文明まで築くのに、ちょうどいいサイズだったんですよね、ジンルイのおっきさって。
 稲や麦の高さが、腰くらいですか。
 あれが、見上げるほどの林だったり、くるぶしくらいしかなかったりしたら、育てるのも、収穫も、大変ですものね。
 てなわけで、ジンルイは、直立歩行をするようになり、やがて、道具を持つだけでなく、作れる、器用な手と、そしてコトバを持てるようになりました。
 コトバも、直立したことと関係あるってハナシ、昨日しましたよね。
 声帯が、口腔の下にいったおかげで、誤飲の危険とひきかえに、舌がいろいろ動ける空間を手に入れたのでありました。
 そのおかげで、さまざまな発音が可能になり、最初は合図だったものが、次第に複雑な音の組み合わせの、コトバになっていったんでしょうね。
 あ、そうそう。誤飲ともども、直立したおかげでかかっちゃう病気も出現いたしました。
 腰痛・胃下垂・妊娠中毒症。
 この三つって、直立歩行のジンルイだけの病なのだそうですよ。
 そうか。どれもウィルスとか、関係ないもんね。
 腰痛は、結局のところ、上半身の重さを、腰だけで受け止めて、動かしてるからなんだよね。
 四つ足歩行より、負担がかかっているのです。
 胃下垂、面白いね。立ってるおかげで、重力で下がってきちゃうんだ。
 これ、ある程度の腹筋が、予防になるんだそうです。なるへそ。きちんと吊ってなきゃいけないんだ。
 そして妊娠中毒症。これ、胎児が内臓を圧迫することで、腎臓とか膵臓の働きが悪くなっちゃうのね。
 で、症状が出た妊婦さんは、塩分控えたりしなきゃいけない。
 けど、この症状、四つん這いになってると、緩和されるんですって。
 そう。これまた、四つ足歩行ではなかった症状。胎児を保持する位置が、直立歩行に対応してないのですよ。
 こういうのって、進化で改善するものなのかしらね。
 文明築いてからの、ジンルイの外観って、絵とか見るかぎり、あんまり変わってないよね。
 ってことは、数千年単位じゃムリなのか。
 進化って、何万年もかかるんだな、きっと。
 そうすっと、あと2万年もすると、腰痛や胃下垂や妊娠中毒症にならない新人類が生まれているのでありましょうか。
 もっとも、エネルギーっ食いの文明が、そこまで持つかどうか分かんないケド。
 二足歩行ロボットにこだわる技術者さんに聞きますと、なにもアトムに憧れたばかりじゃないんですね。
 段差や、でこぼこ道を、車輪やキャタピラで移動するのは不可能だからなんですって。
 ってことはあれか、人類文明の始まりからローラースケートがあったら、階段じゃなくて、ぜ〜んぶ傾斜通路だったのかな。
 それはそれで、バリアフリーな感じが・・・。
 それはともかく、二足歩行ロボットで難しいのは、体重移動なんだそうですね。
 そこが、なかなかクリアできなかった。
 けど、クリアすると、進歩、速いです。今どきの二足歩行ロボット、走るわ、片足立ちできるわ、ですもんね。
 そういや飛行機も、飛ぶまでが大変で、飛べるとなってからは、ものすごい勢いで進歩しましたもんね。
 ロボットの進歩も、きっと想像以上に速いに違いありません。
 あ、そうじゃなくって、ジンルイの始まり関係のハナシしてたんだ。
 食物連鎖ってありますよね。草を草食獣が食べて、その草食獣を肉食獣が食べて、ってゆう、あれ。
 この食物連鎖に、ジンルイは入ってません。
 なんでも、火を手に入れてから、食物連鎖の輪から外れてしまったのだそうです。
 そうか。生じゃ食えないものも、食べられるようになっちゃったのか。
 火を手に入れたの、自然発火した山火事とかの、燃え残りを拾ってきたのが始まりじゃないか、みたいなこと言いますよね。
 そいで、次第に火を手なずけ、たき火とか出来るようになったわけだ。
 でもって、お肉焼いたりしたんだよね、最初は。
 おいしかったでしょうねぇ。なんせ、それまで生でしか食べてなかったんだから。
 あるいは、山火事とかで焼け死んじゃった獣を食べてみたりが始まりだったのかもね。
 お、これいけるじゃん、なんてね。
 そしてもいっこ。火を手に入れたことで、暖まれる。これも大事ですよね。
 風邪ひき率が大幅に低下したに違いありません。
 あと、衣服。衣服って、いつから着るようになったんでしょうね。
 それと、どういう必要があって着始めたのか。
 寒いから? 怪我防止? 大事なトコ、露出するのやめようってなったから?
 考えていると、ナゾでございます。
 でもやっぱ、寒いからなんでしょうね。そいでもって、住めるエリアを広げていったんだな、きっと。
 だって、今の気候で考えても、裸で生きていけるエリアって、相当狭いもんね。
 でもって、最後にコトバのハナシしておきます。
 コトバがどうして発生したか、そのへんはもう話したよね。
 そいで、コトバが次第に発達していきます。ここで大事なのはきっと、何代にもわたって、モノゴトを伝えられるということじゃないでしょうか。
 たとえば、分かんないケド、危険な山があるとします。
 その山に入って、怖い目にあった猿は、自分と、自分の子どもたちには、行かせないようにするでしょう。
 でも、2代3代とくだってくと、それ伝わらないから、また入ってっちゃう。そいで、怖い目にあったり、命落としたりする。
 けど、コトバを得たジンルイは、そこ、何代にもわたって伝えることができます。
 なんか分かんないけど、あの山は怖いから、入っちゃいけないってことが、何代にもわたって、伝えられる。
 神話とか伝説って、こうして生まれたのかもしれませんね。

 はい、昨日今日と、ジンルイの始まり系のおハナシを、ちゃみが雑談しちゃいました。
 でもさ、たまぁ〜にこんなこと考えるのも、面白いよね。
 取りあえず、ちゃみはそう思ってマス。
 てなわけで、ちゃみの雑談も、今日のおハナシも、ここまでです。
 来週は・・ねぇ、タマには[知ってる]っぽい、ちゃんとしたことやりません?
 あ、蒼辰、なんか調子悪そう。
 ま、い〜か。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-08-29 17:15 | 読むラヂオ

ジンルイのサイズについての雑談デス。

 まいどっ、ちゃみでっす。
 今日はですね、ちゃみのとぼしい知識を元に、ごくくだんないハナシをしようと思ってマス。
 なので、ジャンル分類は[ちゃみの雑談]でございます。
 あのね、海老さんって、大小いろいろあるじゃないですか。
 え〜と、桜エビから、車エビ・ブラックタイガー・クラスまで。
 アミと伊勢エビは、マジ仲間かどうか、確信もてなかったので外しました。
 そいでも、かなりのおっきさの違いですよね。
 桜エビと車エビが同じモノとは誰も思わないくらいに、サイズに違いがある。
 でね、ニンゲンもそんくらい大小あったらおもろいんでないかと、ちょと思ったわけですよ。
 小はネズミさんくらいから、大はクマさんくらいまで。
 そうしたら、蒼辰がこんなこと言い出しました。
 世界中に、小人伝説とか、巨人伝説とかあるのは、ひょっとして、古代には、ニンゲンにも大小あったんでわないか、とね。
 ふふ〜ん。
 そこで、貧しい知識、動員してみることにしました。
 先ず、島現象=アイランド現象というものがございます。
 これ、どういうものかというと、限られた土地しかない、島では、肉食獣が生きられない、とゆうのです。
 どういうことかというと、大陸の大平原だと、草食獣のキャパ、かなりあります。
 こっちの草がなくなれば、あっちの草生えてるほうへ移動すればいい。
 ところが、草地の限られている島では、自ずと、草食獣のキャパも限られます。
 つまり、ある数以上には、増えることできません。
 そこに、肉食獣やってきます。
 草食獣を餌に、生活を始めます。
 肉食獣、一般に生殖力強くないですが、そいでも、餌あれば、だんだん増えてきます。
 しかし、草食獣は、草地面積のキャパ以上増えません。
 するとどうなるか。
 ある時点で、肉食獣の増える数より、草食獣の減っていく数のが、多くなっちゃいます。
 すると・・・やがて草食獣いなくなり、餌を失った肉食獣も、生きていけなくなってしまうのです。
 てなわけで、アイランド現象が起こった島には、肉食獣、いません。
 するとどうなるか。
 肉食獣に対抗するために体をおっきくした草食獣はちっちゃくなり、ちっちゃくなってたヤツらは、おっきくなっちゃうんですって。
 その典型が、マダガスカル島に生息するコビトカバでございます。
 肉食獣いない→体おっきくして対抗する必要ない→体、ちっちゃくなる。
 と、こうしてコビトカバは、あのサイズに落ち着いたのだそうです。
 そうだよね。ちっちゃくなれば、群れ全体の食糧消費量も減るから、なにかと好都合なわけだ。
 カピパラとかの、わしらびっくりするくらいおっきい齧歯類、つまりネズミさんの仲間ね、あれも、そんな理由でおっきくなれたものなのだそうです。
 はい、このハナシ、おしまい。
 別のハナシします。
 その昔、アフリカの某所で、古人類の骨が、洞窟からめっかったんだそうです。
 ところが、めっかった骨、みぃ〜んな、同じ幅の二ヶ所の傷跡があって、それが致命傷になってたんですって。
 めっけた学者は考えました。
 これは、古代の槍状の武器で攻撃されたにちがいない。そうだ、人類は、そんな昔から戦争していたのだ、って。
 けど、のちに、疑問符つけた学者さんがいました。
 この古人類、道具やコトバ持つ以前の古人類だよ。いくらなんでも、戦争? まして、槍使ったって?
 疑問に思った学者さんがたんねんに調べたところ、同じ幅の二ヶ所の傷、古代虎の牙だと分かったんですって。
 つまり、見つかった古人類さんたち、洞窟の中で、虎に襲われて、絶命してしまっていたのです。
 こわぁ〜〜っ。
 このハナシから分かること。
 やっと二足歩行するようになって、どうやら猿ではないなにかになりつつあった古人類でも、肉食獣の餌食になっていた。
 逆にゆうと、古人類は、肉食獣から身を守らなくてはいけなかったのです。
 ってことはさ、おっきくなったり、ちっちゃくなることで、肉食獣に対抗しようとしたかもしれないよね。
 もちろん、筋トレしたとか、ダイエットしたとか、そんなレベルじゃないよ。
 何千年、何万年かけて、肉食獣居住地で生きていくために、体をおっきくして対抗する、体をちっちゃくして、めっかりにくく、逃げやすくなる。
 ひとつの方法として、古人類のDNAが、その方向に持ってったかも、ってハナシですよ。
 しかしながら、いろいろいたらしい古人類のなかで、結局、ホモサピエンスだけが、生き残りました。
 今、地球上にいる人類は、すべてホモサピエンスでございます。
 その他の原人は、みな滅びてしまったのです。
 どうやら、アイランド現象が起こるような場所で生き延びた原人は、いなかったようであります。
 ほんじゃ、ホモサピエンスは、どうして生き残ったのか。
 先ず、道具使うこと覚えました。
 これ、よく言われるから、知ってますよね。
 親指と他の指で、はさんだり、つかんだりできるようになったのです。
 つまり、棍棒握るにも、しっかりつかめるようになりました。
 でもって、どんどこ器用になるから、道具を作ることもできるようになりました。
 さらに、手先の作業をすることで、脳みそも刺激されたのだと思います。
 ほら、ボケ防止には、手先の作業ってゆうじゃないですか。あれの反対ですよ。
 でもって、コトバを獲得します。
 これ、脳みそよりも、直立歩行になったことと関係してるんですってね。
 あのね、四足歩行の類人猿だと、口腔の上の方に声帯があるんですって。これ、誤飲防止のためらしいんですけど、そのせいで、声帯まわりが狭くて、舌の自由度も低いんですって。
 ところが、直立歩行を始めた原人は、口腔の舌に声帯が落ち着きました。
 そのために、声帯まわりが広く、舌も、いろんなカタチに動かせる。
 これが、コトバを獲得した大きな理由なんですとさ。
 そのかわり、ニンゲン、誤飲するようになりした。
 ほら、飲みながらしゃべろうとして、むせたりしないの。
 ま、それはともかく、道具とコトバ、このふたつによって、チームワークで肉食獣に対抗できるようになった。
 つまり、武器といっていい尖った棒とかを持って、コトバで連係しながら対抗できるわけですから。
 これ、大きいですよね。
 恐らく、最強のケダモノとなったのだと思います。
 そうして、さまざまな外敵と戦うには、おおよそ、今のサイズがちょうどよかったのかもしれませんね。
 その後の環境の違いで、今いう人種や民族の違いが生まれて、サイズのほうも、多少の違いは生まれましたけどね。
 そいでも、成人でおおよそ150センチから200センチの間くらいにおさまってるわけです。
 ちょと下品な言い方すると、Hできるサイズ差だもんね。
 桜エビと車エビほどの違いではありません。
 一説によると、引力と大気圧に対して、ちょうどいい清朝は160センチ前後ともいうらしいですし。
 文明を築くのに、ちょうどいいサイズが、ここらへんだったようですね。
 そいでも、進化の過程で、小人さんや、巨人がいたかもって考えるのは、楽しいですよね。
 もちろん、そういう骨はみつかってませんけど。

 あ、このハナシ、ちょと面白くなってきたので、明日も、つづきってゆうか、ちょと違うハナシ、することにします。
 今、決めました。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-08-28 18:29 | 読むラヂオ

昨日、歌舞伎座行ったので、歌舞伎のハナシ。

 まいどっ、ちゃみでっす。d0287447_19385560.jpg
 さて本日のこのお写真は、昨日の夜、歌舞伎座で食べたお弁当でございます。
 はいな。納涼歌舞伎、いっちゃん楽しみにしていた3部に行ってきたでございますよ。
 演目は、華やかな「勢獅子」という踊りと、[訪米歌舞伎凱旋記念]と銘打った「怪談乳房榎」でございます。
 そう。7月に、平成中村座としてニューヨークで成功を収めた、あのお芝居の、凱旋公演でございます。
 だから、ニューヨーク演出、そのまんまでございました。
 あのね、一旦、幕しめて、舞台転換する時間があるでしょ。あのときに、幕前に、花見客に扮した役者さんが出てきて、間をつなぐわけですよ。
 そこがね、英語まじりなのです。
 終幕前、本水を使うので、濡れないように注意する場面があるんだけど、そこも英語。
「protect Prada」には、笑っちゃいました。
 お芝居は、もちろん面白かったですよ。勘九郎ちゃんの早変わり、見応えありましたぜぇ。
 でね、中村座のお芝居で、思わず「ひゅうっ」って声が出ちゃうような場面があるんだよね。
 なんか、他の歌舞伎にはない、わ〜きゃ〜状態で見る楽しさがあるのですよ。
 ってことは、あれなんですよね、故勘三郎が、どれだけ面白いお芝居を作り続けてきたかってことでもあるわけです。
 改めて、勘三郎の偉大さと、その不在を、深く感じたしだいでございます。
 で、まぁ、観劇記にするつもりはないので、そのハナシはここまでなんですけど、ついでとゆうか、その延長で、歌舞伎のハナシ、少しだけしますね。
 ん〜と、年寄りの蒼辰は、ぬあんと、2代目松緑さんの勧進帳の弁慶を見たことあるんですって。
 現松緑さんの、お祖父ちゃんですよ。
 見たの、小学生のときらしいんだけど。
 でね、今でも、その弁慶が最高だったってゆうんですよ。
 なにしろ、声。最初に声を出した、その瞬間から圧倒されたんだそうです。
 人間って、こんな声が出るんだって思ったんだって。
 そして、姿・・ってゆうか、顔。
 あの、六法のひっこみのときね。その時の顔が、もうヒトのものじゃなかったってゆうんですよ。
 ま、今なら、浮世絵から抜け出たような、とか、そんな表現になるんでしょうけど、その時は、もう人間とは思えない、そんな感じだったらしいです。
 でね、言うんですよ、蒼辰が。
 江戸時代、歌舞伎役者は、ヒトならぬなにかに化身するものだったのじゃないか、って。
 観客・・っつうか、江戸時代風にいうと見物は、役者の演技が、もはや人間ではないなにかに化身する、その姿に、神々しいものを感じ、拍手を送っていたのではないか、と。
 もちろん、そう感じさせるような工夫はあったんでしょうね。
 隈取りだってそのひとつだろうし、ちょっとした仕掛けでも、昔のヒトは驚いてたのかもしれない。
 もちろん、そういう技術も、ちゃ〜んと受け継がれているのだろうと思います。
 そいでもやっぱ、ほんとうに、役者さんをして、ヒトならぬなにかに化身したと感じさせるものは、役者さんの力・力量なのでしょうね。
 最近でいうと、結局、勘三郎最後の舞台になってしまった、淺草・平成中村座の5ヶ月連続公演でしたっけ。
 あのときの、法界坊の終幕、勘三郎の立ち姿には、ヒトならぬなにかの気配を感じたものでした。
 さっき役者の力・力量といいましたけど、それだけじゃなく、今風にいうと、神が降りてきた、ってヤツ? なにか、ひとつの境地に達した状態なんだろうと思います。
 6代目菊五郎という方は、昭和の名優です。ってゆうか、もはや伝説の名優です。
 なにしろ、歌舞伎界・ファンの間では、6代目といえば、この菊五郎さんをさすんですから。
 で、この6代目さん、むらっけのあるヒトだったらしいですね。
 やる気のあるときは、ものすごい演技をする。でも、やる気がないときは、もう、ひどかったらしいです。
 これ、今では許されませんよね。
 一ヶ月の間、どの日に来たお客さんも満足させられるよう努力するのが、役者として当然の仕事である、と。
 こういう考え方が、今日では一般的です。
 そしてもちろん、正論です。
 なんつうか、平均点主義とでもいいましょうか。全てにおいて、より高い平均点を維持できるよう努力する、みたいなことが、今日のニホンでは、ヒトとして正しいあり方、みたいなことになってます。
 ま、簡単にいえば、マジメ。
 でも、それだけでいいのかな、と思うわけですよ。
 もしも、3日間のだれた日々があって、でも、その日々のおかげで、4日目に神が降りてくるとしたら・・・。
 もちろん、お客さんには、行く日で運不運、出ちゃいますけどね。
 でも・・・。
 もちろん、世の中のたいがいの仕事は、マジメ主義・高い平均点主義じゃないと困ります。
 だって、バスの運転手さんに、突然、神降りてきても、迷惑なだけです。
 けど、ときに、神が降りてくることを期待される仕事をやっているのだったら・・・。
 そのための方法論は、ヒトそれぞれ。ってゆうか、マジメ主義・高い平均点主義では、決して神は降りてこないでしょう。
 あ、歌舞伎のハナシしてるつもりだったのに、なんか、近頃ニホン論みたくなってきた。
 ニホンジンは、総じてマジメで優秀です。
 そして、まわりのニンゲンにも、それを求める傾向があります。
 ね、そういう社会だから、神が降りるヒト、天才が出にくい、あるいは出る杭打たれしちゃってる。
 ま、おおよそ、こういうこと言ってるヒトって、ここ何十年か、ずうっといますけどね。
 でも、大多数のマジメ派は、認めてくんないんだろうな。
 あ、いや、そんなことはどうでもいいんだった。
 と、まぁ、そんなわけで、ぞくぞくさせてくれるような役者が出ないかなぁと期待する蒼辰なのでありました。
 11月、歌舞伎座では、染五郎が弁慶やります。
 今だと、いわゆる家柄でいうと、あと、海老蔵、松緑ってあたりが、弁慶役者です。
 でも、もっと広い視野で、これまで弁慶やる柄ではないと思われてたヒトも抜擢してみたら面白いのにね。
 もう年代的にも染五郎世代が担うしかないわけだし、困ったときの勧進帳の配役に苦労するようじゃ困るし。
 ぜひ、わくわくするような配役の勧進帳を見てみたいものだと思います。
 松竹さま、考えてみてっ。

 てなわけで、強引に歌舞伎のハナシに戻した、本日のおハナシでございました。
 はい。明日は、また別の話題考えます。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-08-27 19:39 | 読むラヂオ

食べものでたどる戦後・おまけ

 まいどっ、ちゃみでっす。
 え〜っとですね、先週金曜日にupした、[食べものでたどる戦後]の中に、誤解を招く表現があったんじゃないかと、蒼辰がみょ〜に気にしております。
 いえ、別に、差別的発言とか、そのテのハナシじゃないんですよ。
 だから、別に誤解されてもよくね? と、ちゃみは思ったのですが、蒼辰、みょ〜に気にしてるので、本日は、そこらへんのおハナシです。
 って、どこらへんなんだよ。
 ま、い〜か。
 で、どこが誤解されてると思ってるんですか?
 ん? [そこそこのお値段で、それでいてハレ気分味わえるお店とかって、ほぼないっすもんね、今]ってゆうくだり。
 はぁ、そのどこがいけないんですか?
 なに? 真意が伝わってないんじゃないか、と。
 だからさぁ、そんな気にするほどのことじゃないんじゃないの?
 んなことないよ、と思うヒトがいても、それはそれでいいんじゃ・・・やっぱ気になる。あ、そうっすか。
 で、じゃ、真意はどこにあるんですか?
 なになに。近ごろ、ちょっとお洒落でカジュアルなイタめしやさんとか、ビストロみたいな看板出したフレンチ系のお店とか、けっこう見ます。
 はい、見ますね。
 そういうとこって、そこそこのお値段で、それでいてちょっとハレ気分味わえるじゃないか、と。
 だから、そういうお店を日常使いしてるヒトたちは、蒼辰の言いたかったことに対して、「んなことないよっ」と鼻で笑うんじゃないか、ってゆうのね。
 つまり、鼻で笑われるのがイヤだったのか。
 え? そうじゃない、って?
 そうかなぁ。
 ま、い〜や。そいで?
 けど、なのだと。ん? なにが、けど、なの。
 なんつうか、いろいろ考えてくと、結局のとこ、蒼辰にしては珍しく、昭和ノスタルジーを感じただけなんじゃないかと、反省しちゃったわけね。
 ちょっぴり高級感あって、落ち着いた洋食屋さんとか、確かに今、ありません。
 でも結局、需要がなくなっちゃったんだよね。
 バブル期以降、本格的なフレンチやイタリアンが入ってくれば、洋食、ださく感じられるのは、仕方ないです。
 ニホンの洋食、ランク落ちちゃったんです。そうなると、高級感、求められなくなります。
 なので、洋風定食やさんまで、ランク落ちちゃったのは、仕方ないことではありますよね。
 ただ、ねえ、こうして、食べもので戦後たどってみると、ひとつ思うのは、一新されると、以前のモノが駆逐されるという傾向です。
 今や、昔ながらのお店って、お寿司やさんとか、鰻屋さんとかくらいだもんね。
 それも、鰻屋さん、別の事情でどんどこ減ってるし。
 あともいっこ。ニホンって、外国の食べものとか食文化を取り入れるの、得意です。
 戦後ニホンの二大国民食であるカレーとラーメン、どちらも元はと言えば、外来の食べ物です。
 それ以外にもさ、今だったらパンケーキ・ブームとか、アサイーに注目だとか、そういうブーム現象って、繰り返し起きてますよね。
 で、忘れられることもあるんだけど、なにげに、今の私たちの食文化の中に入りこんでるものもあります。
 なんつうかさ、なんでこんなに、どん欲なんだろ。
 って、思わない?
 こんなに外国の食文化どんどこ取り入れて、飲食店の形態もどんどこ変わってく国、ないよ。
 これ、よくよく考えると、まか不思議なのでございます。
 そんなこんなの21世紀に、日本食=和食が、世界遺産になりました。
 季節を生かしたとか、ヘルシーだとか、いろんな理屈っつうか、理由がくっついてます。
 けどさ、今どき、ウチはあくまで和食ベースです、なんてヒト、どんだけいるんだろね。
 子どもの好きなおかず並べたって、ハンバーグに、トンカツに、カレーに、ミートソースに、って、ちっとも和食出てこないじゃないか。
 和食を世界遺産にするのはいいけど、世界に発信するより、国内で、[もう一度和食を見直そう]キャンペーンでもやったほうがいいんじゃないでしょうか。
 いえいえ、ホンキの提案じゃなくって、和食を世界にって、ホンキで考えてるヒトたちへの、半分ヒニクの提案でございます。
 はい。ちゃみはこの、現代ニホンのごった煮感満載の食文化、楽しんでおりますから。
 昨日は中華だったから、今日はイタめし風ね。明日は、ひさびさ鍋にでもすっか、とかさ。
 こんな食生活をお家でもしてる国なんて、ほかにないんだもん。
 このごった煮感、大いに楽しんじゃおうと思います。
 ってゆうか、それが21世紀の[和食]なのかもね。
 こうしてみると、食べ物でたどれる戦後って、いいとこ70年代までだな。
 それくらいまでだと、戦後を生きてきたヒトたちがそこにいるから、戦後ってゆう時代を感じられるケド。
 それ以降、とりわけバブル以降のワガクニの食文化って、どうしてこうも目新しいモノ好きで、世界の食と食文化をかくもどんどこ取り入れられるのか、という、別の問題になってきそうな気がいたします。
 だってさ、こんなハナシあるんだよ。
 イタリア人は美食家である。確かにそうなんだけど、それだけに、かえって保守的なんだ、ってゆうの。
 イタリアとかでは、外国の食べ物がブームになったりとか、あんまりないんですってさ。
 でも、食べるコトって、わりと保守的だから、そういう傾向はどこの国でもあると思うんだ。
 マクドナルドは世界中にあるけど、その一方で、その国らしい、昔ながらのお店も繁盛している世界の街は、あちこちにあります。
 けど、ほら、ニホンらしい、外国人が和食の一端に触れられるような、気軽で手頃なお店、案外ないよね。
 さぁ〜て、これから先、和食とニホンの食文化は、どんなことになっていくんでしょ。
 いえ別に、ちゃみはおいしいもんさえ食べられれば、どっち行こうと、かまわないんですけどね。

 はい、そんなこんな、言い訳のおハナシで、今日はお終いです。
 なぁ〜んかごまかされた感じだよね。
 明日は、食べ物のハナシだけは、取りあえず避けると、蒼辰が言ってます。
 そうなんだよね。ちゃみも蒼辰も食うこと大好きだから、食べ物のハナシ始めると、キリがなくなるんだ。
 てなわけで、ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-08-26 13:36 | 読むラヂオ

こういうシーズンには起こりがち・ベルギーGP観戦記。

 まいどっ、ちゃみでっす。
 世間も、徐々に夏休みはもう終わりモードに入っておりますが、F1の世界もサマーブレイクが終了。いよいよ後半戦になだれこんでいきます。
 てなわけで本日は、いつものようにベルギーGPテレビ観戦記でございます。
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 でね、シーズンがこういうカタチになると、起きうるインシデントなわけですよ。
 分かってますよね。2ラップ目のルイスとニコの接触でございます。
 ニホンのファンは、ついセナ・プロ対決を思い出すわけでございますが・・あの、カシオ・トライアングルの接触ね・・近くは、っつうか、蒼辰とちゃみは、トルコの土ぼこりを思い出したのでございますよ。
 もちろん、あってはいけないことでございます。
 だがしかし、あの気迫が、あの年、セバスチャンにチャンプへのドアを開かせたのでございます。
 そりゃもっとクリーンであれば、もっといいです。
 でも、同じチームだからこそ、そのシーズン断トツのマシンを持っているからこそ、起きうるインシデントでもあるわけでございます。
 今シーズンのこり、最大の注目点でございますね。
 予選、スタート、そして、競ったとき。
 それにしても、レース後のインタビュー読んでると、ルイスのほうがいささかクレイジーに感じたのは、ちゃみだけでしょうか。
 インシデント後のレースで、ああまでモチベーションを失ったようすも含めて、なにか、おかしいです、今、ルイス。
 まぁ、いろいろアンラッキー続きで、自分のが速いのに、つねに追う立場。焦り、あるのかな。
 いずれにしろ、これでまた一勝分+αのポイント差になってしまいました。
 次は多分晴れるだろう、最高速サーキット・モンツァ。
 今度こそ、クリーンな、二人の対決を見たいモノだとおもいます。
 そうそう。トルコのインシデント思い出してて思ったんだけど、ウェーバーって、欲のないヒトだったんですかねぇ。
 あれだけチャンプのチャンスがありながら、がむしゃらにそれを取りに行く場面は、結局、見られませんでした。
 速いドライバーと勝てるドライバーの違いもそうだけど、チャンプとれるドライバーとそうじゃないドライバーの違いってゆうのも、やっぱりアルんじゃないでしょうか。
d0287447_12454457.jpg
 と、そんな前ふりで、リカルドでございます。
 連勝です。3勝目です。立派です。
 リカルドだけなぁ〜んもなかったから、淡々と勝った・・などと思ってるアナタ、それ、違います。
 自分に向いてきた運を、ずべて、きっちりモノにしたからこその勝利でございます。
 どうやらリカルド、勝てるドライバーになってきたような感じがいたしますです。
 ホレ、去年終盤のグロージャンと比べてみてみ。勝つこと、ポジションを上げることへの執念・・っつうか、気持ちの強さで、リカルドのが勝っている気がいたしますデス。
 で、あとは、チャンスがめぐってきたときの、チャンプへの執念なんだよね。
 ウェーバー以上のなにかを、ここ数年のうちで見せてくれたら、新時代スターの誕生でございます。
 これからのリカルド、注目しましょうよ。
 にしても、ベッテルさまなんですよね。
 今回こそ、リカルドの前を走り、アロンソさまとポディウムを争う姿が見られると思ってたのに・・・。
 あんさぁ、よほど今年のマシンと相性悪いんだね、ベッテル。
 あの、リカルドにパスされたとき。あれ、ベッテルのミスだと思うんだけど、ミスを誘発したのは、ベッテルにとっての、マシンの扱いずらさ、なのではないか、と。
 ふつう、マシンというモノは、チームのエースドライバーの好みに合わせて、開発するものでございます。
 けど、大幅改変レギュレーション下でのマシン開発、エイドリアン・ニューウェイの方針、かなりベッテルさまの好みとかけ離れちゃったみたいっすね。
 もちろん、あの5-8位争いから、するりと抜けだしたところは、さすがでございましたけど。
 でも、来シーズン、どうなるんだろ。
 レッドブルのマシンが、今年の延長線上だとしたら・・・。
 あと、なんせホンダの参戦問題があります。エンジンの優劣がなかなか埋まらないときには、いろぉ〜んなシャッフルがあるかもね。
 搭載エンジン、そして有力ドライバーに関しても。
 高速コース・スパでのフェラーリのさんざんぶりを見ていると、数年後、フェラーリ・ホンダもあり得るかも・・などと夢想してしまうのでありました。
 全体として悪くなかったフェラーリなのに、あ〜もストレートエンドで簡単にパスされちゃね。
 ティフォッシ、「あんなフェラーリは見たくねぇ」って、怒ってますよ、きっと。
 この調子じゃ、モンツァもつらそうだけどね。
 あと、アロンソさまに不運だったのは、パレードラップ前でしたね。
 バッテリー2台も並べて、なにやってるのかと思ったら、最初のバッテリーが不調で、エンジンがかかんなかったとか。
 けど、あのようす見ていると、伝統のスパ・フランコルシャンの雰囲気に、クルーが1950年代か30年代くらいまでタイムスリップしちゃったような、牧歌的で、イタリアンな、おミスに見えたものでございます。
 それにしても、スパ・フランコルシャン、きれいだったですねぇ。
 あの、森林のエアショットが、山をこすと、向こうにサーキットが見えてくるショットなんて、それだけで涙もんでしたよね。
 オー・ルージュの雰囲気とか、すっかり変わっちゃったけど、そいでも、今から80年くらい昔のマシンが、ココを走っていた姿をイメージしてしまいました。
 一度訪ねて、昔の面影を探してみたくなるサーキットのひとつでございます。

 はい、てなわけで、本日はここまでです。
 F1次戦は、モンツァ、再来週、9月7日でございますね。
 そして明日は、なんか先週最後のupが、誤解されそうな気がしてきたと蒼辰が言い出しまして、その言い訳になる予定です。
 って、なんじゃ、そりゃ。
 でもって、週のまんなからへんは、なにか別の話題になるようでございます。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-08-25 12:56 | 読むラヂオ

食べものでたどる戦後・その3

 まいどっ、ちゃみでっす。
 え〜、昨日、サボっちゃいました。ごめんにゃしゃい。
 てなわけで、今週は、食べものから見た戦後、火曜水曜とやってきました。
 いちんちあいたけど、本日は、70年代でございます。
 70年代に入ると、ニホンが先進国の仲間入りしたということ、誰も疑ってませんでした。
 東京タワーの完成が、60年です。オリンピックが64年です。この年に、首都高速できて、新幹線走りはじめました。
 なんかね、気分は欧米なみだったんですよね、この時代、もう。
 ってか、今振り返ると、[欧米なみ]ってことに、明治維新以来、ずっとこだわってたのかもしれませんね、ニホンジンは。
 今でも、韓国や中国、あるいは東南アジアとかを、ニホンより下に見たがるヒト、いますよね。
 あの感覚って、この時代、つまり70年代に培われたものなのかもしれません。
 確かに、ニホンは、他のアジアの国々より先に、先進工業国の仲間入り、果たしました。
 技術の面でも、この頃には、世界の先端を走ってました。
 けど、韓国やベトナムみたいに、冷戦の最前線にいたわけじゃありませんでした。
 とにもかくにも、民主主義国家でしたから、軍事独裁政権に苦しめられることもありませんでした。
 これ、もっとハッキリ言ったほうがいい?
 アメリカの同盟国だったおかげで、民主的な安定政権を保てたんですよね。
 だから、軍事費も、他国のように必要ありませんでした。
 それが、高度経済成長を果たせた大きな理由なんですよね。
 ニホンが、ニホンだけの力で、ニホンジンの能力だけで、先進国の仲間入りをしたというのは、ちょと違うのかもしれません。
 それはともかく、食べもののハナシでした。
 70年代、ニホンの食文化は、大きく変化します。
 とりわけ、外食産業において、その変化は大きかったんですよね。
 これ、バッとジジツ、上げていきますね。
 なんと、2年の間に集中してます。
 先ず、大阪万博に試験出店したケンタッキー・フライド・チキンが、その年、70年 昭和45年の11月に、1号店を開店します。
 同じ年の7月には、すかいらーくが、1号店を開店してます。
 そして、翌年の7月には、マクドナルドの1号店が開店します。
 そうなんですよ。ファストフード、そしてチェーン店というものが、この時期にわっと増えるのでございます。
 ここでちょと、ここまでの復習しましょうか。
 昭和20年代、飢えてさえいた時代から、徐々に復興し、この年代の後半には、どうやら戦前なみに食べられるようになります。
 池田勇人首相の「貧乏人は麦を食え」発言が、調べてみたら、昭和25年のことでございました。
 逆に言えば、この頃やっと、[みんなが米が食べられて当たり前のはず]ってとこまで来てたってことですよね。
 でもって、昭和30年代、世の中は高度成長期に入りました。
 みんな仕事が忙しくなってきます。
 そこに登場したのが、戦後母の味の代表カレーライスであり、独り者の支え・即席ラーメンでございました。
 やがて、みんなが先進国の仲間入りをしたと思えるようになった、70年代の初頭、外食チェーン店産業というものが生まれたわけでございます。
 てなこと紹介するだけでは、当Blogらしさがございません。
 ここで蒼辰は、別の角度から、モノ見てみたいと言ってます。
 どういうことなんですか?
 この時代に、戦前からつづいていたニホンの外食文化が、一度、断ちきられてしまったのではないか、と。
 ん? どゆこと?
 こんな例を上げてみます。
 昭和30年代の半ばごろ、蒼辰は、お父上の会社が、接待にも使っていた洋食屋さんにときどき連れてってもらうのが、楽しみだったそうです。
 そんなに大きなお店じゃないけど、二階には座敷もあったんだ。ふむ、洋食屋さんに、個室の座敷があったのね。
 そこで、ステーキとか、海老フライとか、その頃、家ではなかなか食べられなかったグラタンとか食べるんだ。
 前菜は出なかったけど、先ずスープが出てきていた。
 ああ、お料理の前にね。
 でもって、パンかライス選べるんだ。パンはロールパンで、ライスはお皿に乗って出てくるのね。
 でも、ご馳走だったんですよね、その当時は。
 そのお店を、十数年後、近くまで行った機会に、探してみたんだそうです。
 十数年後だから、あ〜、70年代の後半くらいか。
 すると・・ありました。あったんだけど、かつての、落ち着いたたたずまいはすっかり失われ、外の窓や壁にも、べたべたとメニュの貼り紙が。
 すっかり、若いヒト向けの、洋食風定食屋さんになっていたのだそうです。
 あ〜、ミックスフライ定食とか出す、そういう店ね。
 で、なにが言いたいの?
 あんなに、高級感のあった洋食屋さんが、定食屋みたいになっちゃった。
 ってゆうか、庶民的な個人経営のお店が、チェーン店に駆逐され始めた、70年代はそういう時代でもあるのじゃないか、と。
 庶民的な個人経営のお店って?
 たとえば、定食屋さんとか大衆食堂と呼ばれる店が、昔はあちこちにありました。
 そういう、手頃なお値段で、手作りのおかずを出し、お腹いっぱいになれるお店がなくなった、と。
 どうして?
 そらやっぱし、より手軽な、牛丼やさんとか、そういうとこに客を奪われたのだろう、と。
 ふむ。それで?
 あと、戦前風の中華そば屋さんもなくなりました。
 これは、戦後型の中華そば屋さんに席巻されちゃったんだけど、そのハナシは、いずれ別にやるんだ。あ、そうっすか。
 ま、それはともかく、70年代からはじまった外食チェーン店が、じわじわと庶民的な個人経営のお店を圧迫していったんだ、と。
 ま、そうっすね。そうかもしんない。
 蒼辰は、そんな中で、失われたメニュも、失われたたたずまいもあるのだと、そう言ってます。
 懐古趣味ですかね。
 もちろん、知らない街でご飯食べなきゃいけないとき、チェーン店は安心です。
 値段もお味もわかってますからね。
 その反面、個性のあるお店や、落ち着いたお店を探すのは、大変です。
 そして、庶民的な個人経営のお店が少なくなったことで、ニホンの外食文化は、やせてしまったのではないかと、蒼辰は言ってます。
 確かにね、台北とか香港とかいくと、ごく大衆的で、お値段も安くて、それでいておいしい料理出すお店、い〜っぱいあるもんね。
 70年代よか先のハナシ・バブルの頃になると、本格的な外国料理がいぃ〜っぱい入ってきました。
 その結果、東京は、お金さえ出せば、世界中のご馳走が食べられる都市になりました。
 けど、日常的に、つまり普段使いできるお店の質が、落ちたんじゃないかと、蒼辰はそう思うわけですね。
 う〜む、確かにその傾向、あるかもしれないね。
 安かろう、不味かろうが当たり前で、だったらチェーン系ってなってるとこ、あるもんね。
 そもそもニホンジンって、家食が多くて、外食ってゆうと、どっかハレ気分で食べたいとこ、ありますよね。
 でも、その辺が、ずたずたに分断されちゃって、ご近所で、そこそこのお値段で、それでいてハレ気分味わえるお店とかって、ほぼないっすもんね、今。
 逆に、毎日食っても、飽きないし、懐もそんなに痛まない、気楽でおいしいお店というのも、ほぼないっす。
 そっか。日常的に、食べることを楽しめる街ではなくなってるかもと、蒼辰は言いたいわけね。
 う〜む、かなりあたってるかもな、それ。
 だとしたら、そら食文化がやせたと、言えるのかもしんない。

 てなわけで、本日はここまでです。
 明日、っつうか、来週、このつづきやるかどうか、決まってません。
 ってゆうか、蒼辰、食文化史的なコト、大好きだから、断続的につづくと思うよ、このテのテーマ。
 もう、戦後中華史やるって、約束しちゃったみたいなもんだし。
 あ、けど月曜はF1だ。
 そこでちょと気分変えて、また改めて、ネタ探しましょうかね。
 てなことで。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-08-22 16:52 | 読むラヂオ

食べものでたどる戦後・その2

 まいどっ、ちゃみでっす。
 え〜、昨日から、終戦の日がある八月にちなんで、食べもので戦後をたどろう、などという大胆な試みにチャレンジしております。
 さて、昨日は、終戦直後の、食べものがない時代のおハナシをしてまいりました。
 スイトンにカボチャ。二度と見たくないってゆう戦中戦後派もいるかもね。
 そんな戦後も、10年もたつとかなり落ち着いてまいります。
 例の、経済白書が「もはや戦後ではない」とうたいあげたのが、1956年 昭和31年のことでございました。
 やっぱ、ここが高度成長期の入り口って考えるべきなんでしょうかね。
 世の中、かなり落ち着いてきた。
 貧しかったんですよ。今に比べれば、う〜んと貧しかった。
 けれども、仕事はどんどん増えていくし、マジメに働いてさえいれば、収入も上がってゆくと信じられた。
 ここ、今とは違うよね。今は、貧しくはないけど、未来が信じられなくなっちゃってる。
「三丁目の夕日」じゃありませんけど、あの時代を懐かしむ気分ってゆうのわ、まだ人情があったとかそんなことじゃなくって、素直に、未来を信じられたからなんじゃないでしょうか。
 今は貧しくても、未来が信じられるから、人情も生きてたのかもよ。
 ま、それはともかく、もいっこ、こんなことがありました。
 最初の、集団就職列車が、青森から上野に向かって走り出したのが、1954年 昭和29年のことだったそうです。
 それから、20年間にわたって、中学を卒業したばかりの子どもたちを、田舎から都会へと、送りこみ続けたのであります。
 こうして、工業化がすすむにつれ、都会にヒトが集まり、ニンゲンが増えた都会では、販売業・サービス業などなど、ますます人手が必要となります。
 高度成長期は、都会の人口がどんどこ増えていく時代でもありました。
 そしてこの時代に、今日のワガクニの二大国民食が定着するのであります。
 なぁ〜んだ。
 そっ。カレーとラーメンでございます。
 先ず年代記をひもとくと、チキンラーメンの発売が、1958年 昭和33年です。
 相前後して、いわゆる袋ラーメンも登場しているはずなんですが、なぜか、即席ラーメンの歴史っていうと、なにわともあれチキンラーメンなんですよね。
 でもって、カップヌードルの発売が、1971年 昭和46年のことです。
 それまでは、即席ラーメンといえば、袋ラーメンが主流だったわけですよね。
 そしてカレーのほうはというと、ヱスビー食品が、カレールウに参戦したのが、1954年 昭和29年のことでした。
 このころ、粉末状のカレールウの競争がとても激しかったのだそうです。
 そして、1960年 昭和35年に、ハウス印度カレーが発売になります。
 これをきっかけに、カレールウは、固形タイプが主流となってゆくのでした。
 さらに、1969年 昭和44年には、あの、ボンカレーが発売になっています。
 こうして、即席ラーメンと固形カレールウを使った家庭料理としてのカレーは、二大国民食への道を歩み始めるのですが、もいっこ、忘れちゃいけないファクターがありました。
 ワガクニで、テレビの本放送が始まったのが、1953年 昭和28年のことでした。
 でもって、1959年 昭和34年の、皇太子さまご成婚の中継がきっかけで、テレビが家庭に普及し始めたのは、みなさまご存知のとおり。
 でもって、その頃までに、1・4・6・8・10の各局も、勢揃いするのでございますね。
 分かりました?
 そうなんです。即席ラーメンも、カレールウも、テレビCMをきっかけに、消費を大幅に増やしていくのであります。
「インド人もびっくり」とか「パパと一緒に食べたいな」などのフレーズ、蒼辰によりますと、ある年代以上のヒトには懐かしいはずなんだそうです。
 もちろん、ちゃみはそんなん知りません。
 戦後の混乱も終わった。生活も落ち着いている。まだ貧しいけど、仕事はどんどん増えている。がんばれば、収入も増えそうだ。
 そんな時代、お母さんも、パートとかに出てて忙しかったかもしれない。
 カレールウ、手軽に作れて、みんなが喜び、お腹いっぱいになれる家庭料理だったんですよね。
 あれ、不思議なことに、ルウ使ってても、家庭料理って気分がするんですよね。買ってきたものや店やもの食べるのに比べると。
 夕暮れ、遊び疲れて、家に帰ろうとすると、どこからか漂ってくるカレーの匂い。
 今でもそそられますもんね。
 まさに、昭和30年代の匂いなのかもしれません。
 でもって、即席ラーメンの消費を支えたのは、いわゆる団塊世代。戦争終わって、安心して子ども作れるようになって、昭和21年からの数年間は、ベビーブームでございました。
 そんな世代が、集団就職で都会に出てきたり、やがて昭和30年代の後半には、大学生となって都会に出てまいります。
 一人暮らしで自炊は大変。そこに、袋ラーメンですよ。
 そらまいんちでも食うわな。
 かくして、団塊の世代の青春の味となってゆくわけでございます。
 あ、そうか。
 団塊世代。先ず、小学生のころに、家庭の味をしてのカレーライスを覚え、青春の味として即席ラーメン食ってたのか。
 そら国民食にもなるわな。
 かくして、どちらも外来の食べ物にもかかわらず、カレーとラーメンは、二大国民食となってゆくのであります。
 んでもって、それから50年あまりたった今日ではどうなってるでしょう。
 ラーメン、もはや独立したジャンルになっちゃいました。
 本格中華とも、ニホンの中華そばとさえも別の、ラーメンという独自のジャンルに発展しちゃった感があります。
 カレーが、今でも、困ったときの家庭料理の王道なのとは、ずいぶん違いが出たものだと思います。
 でもって、ラーメン党の方々って、せまいほうせまいほうに入ってくんですよね。
 やれ家系だの、背脂系だの、はてはジロリアンだの。
 もう、他のモノには目もくれない。狭いとこに入ってっちゃいます。
 方や、数の上では劣勢のカレー党はというと、なんでもありなんですよね。
 ニホンの母の味・カレーライスだけじゃなくって、本格インドカレーでも、タイカレーでも、各地のご当地カレーでも、なんでもあり。
 この求心性と拡散性の違い、どこからきてるのだろうと、ふと不思議になることがございます。
 ま、どっちもおいしけりゃ、そいでいいんだけどさ。
 てなわけで、なかなか腹いっぱいにならなかった昭和20年代にくらべると、30年代は、とりあえず満腹になることはできるようになったようでございます。

 はいはいはい。だいたい、今日はここまでって感じになってきましたね。
 んじゃ、明日は?
 ちょと外食に目を向けてみたい。
 ふ〜ん。あ、そうですか。
 なにが出てくることやら。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-08-20 16:22 | 読むラヂオ

食べものでたどる戦後・その1

 まいどっ、ちゃみでっす。
 さて今週は、終戦の日のある八月にちなんで、食べもので戦後をたどろうなどという、大胆なおハナシをすることになっております。
 てなわけで、第1回の本日は、戦争直後のおハナシです。
 戦争直後ってゆうか、その前の、戦争中から、ニホンはずいぶん食べものがなかったんですよね。
 教科書とかにものっている有名な写真に、国会議事堂の真ん前で、カボチャ植えているのがありました。
 あれ、まだ戦時中だよね。
 戦争の終わりごろには、もう食べもの、なかったんですね。
 これ、なんでなんですかね。
 第一に、やっぱり軍用が優先されちゃいます。兵隊さんにご飯食べさせないわけにいかない。なので、民間が、後回しにされます。
 つぎに、働き手がいなくなっちゃいました。
 農地はあっても、働き手が兵隊に取られちゃえば、まだ機械化前の時代です。いっきに生産量、落ちちゃいます。
 さらに都会は、空襲を受けました。工場とかを爆撃して、生産力をそぐのが、アメリカの目的だったわけです。
 ってことは、軍事目的だけじゃない、いろんな工場も爆撃されたでしょう。
 そんな中には、食品関係の工場もあったことと思います。
 そんなこんな、生産力がそがれてゆけば、食べるモノがなくなるのも、当たり前だったわけでございます。
 でも、戦争終わりました。
 解放感があったんじゃないかなぁ、と思ったら、甘かったです。むしろ、虚脱感、脱力感が、ニホンを支配してしまったようです。
 そういうもんなんでしょうね。
 それまで、お国のために、この戦争に勝つために、いろんなことガマンしろって言われてたわけですから。
 そんな中では、戦争が終わったからといって、そう簡単に生産力は戻らなかったと思います。
 まして、戦争終わったの、八月ですからね。
 米作りだって、翌年の田植えに間に合ったか。多分、苗が間に合いませんよね。
 兵隊に取られてた働き手が戻るにも時間かかるでしょ。
 やっぱ、2、3年は、かかりますよね。そこそこのお米が作れるようになるまで。
 なので、昭和20年の秋から、翌年の春まで、食べるモノ、なかったんだろうなぁと想像します。
 そして、そんな状態が、数年は続いていました。
 ほら、闇市の不法な品物は食べないっていって、配給物資だけで生活してた検事さんが、餓死するってゆう事件があったの、確か、昭和22年ですよね。
 検事さんの生き方もすごいけど、配給物資だけでは餓死するっていうゲンジツに驚かされてしまいます。
 配給物資だけは餓死する。
 じゃ、どうしたか。闇市で調達するか、そのお金がなければ、自給自足するしかありません。
 よく、戦中派のヒトで、「カボチャはもう一生分食ったからいいんだ」ってヒト、います。
 あれ、戦後の何年間か、カボチャがほぼ主食だったからなんでしょうね。
 あと、やっぱり戦中派のヒトで、「猫はアクが多くて食えない」って言ってたヒト、いたんです。
 あれも、ひょっとして、そんな時代に、トライしたんだな、きっと。
 ただ、誰もかれもが餓死したわけじゃないわけですよ。
 ってことは、闇市には、それなりの物資が流通してたのかもね。
 けど、鉄道も道路もずたずたになった中で、行き渡っていなかったって側面も、あるのかもしれません。
 そいでですね、学校給食が始まるのが、昭和23年のことでした。
 パンと脱脂粉乳でございます。
 こうした物資は、アメリカからの援助でした。
 給食に関しては、日系アメリカ人の方が組織した、市民援助団体があって、その物資によって、始められたようです。
 それとは別に、アメリカ政府からの援助物資も、食べ物がなかった時代のニホンを支えました。
 主に、小麦でございます。
 この援助物資のおかげで、なんとかかんとか、食いつないだといっていい部分はあるようでございます。
 けど、ま、アメリカ人、パン食ですから、小麦こそ、主食でございます。
 でも、ニホンジン、米食派です。
 しかも、パン、家で焼けません。
 だって、ベーキングパウダー、なかったろうし、そもそも、カマ、パン焼く窯なんて、ニホンの家庭にはありません。料理屋さんにだってありません。
 てなわけで、多分、配給で配られた小麦粉、どうしたんでしょうね。
 出来ることって言ったら、うどん?
 けど、毎日うどんこねるの、大変だよ。
 てなわけで、家庭に登場したのは、すいとん、でした。
 これ、食べことないよね。ちゃみもありません。そして、もはやお店で見ることもなくなりました。
 要するに、小麦粉をこねて、団子状にしたものを、スープで煮るんだよね。
 敢えて言えば、スープ水餃子に近い感じ?
 けど、まぁ、具ったって、ネギとかモヤシとか、あと例のカボチャとかでしょ。
 出汁、ちゃんととってあったかどうか疑わしいでしょ。
 醤油だって貴重だから、塩でしょ。
 実は蒼辰、懐かしがるお母さんの作った[当時のすいとん]なるものを、子どものころに食べたことがあるそうです。
 はっきり言って、おいしくなかった、とか。
 う〜む。
 そいでも、カボチャを主食にするよりは、まだ食事って感じはするけどね。
 そして、闇市で売られていただろうものに、お好み焼きがあります。
 お好み焼き、そもそもは戦前からあったようです。でも、けっこう女子供の食べ物的な扱いだった。
 けど、この時期、小麦粉使って、そこそこお腹いっぱいになれる簡単料理っていったら、お好み焼きですよね。
 どうも、粉もん文化って、この頃、生まれたもののような気配はしております。
 もいっこ。焼きギョーザもそうですよね。
 なんとなくさ、初期の闇市では、皮が分厚くて、具の少ないギョーザだったのではないか、と。
 だって、そのほうがお腹いっぱいになるよ。しかも、食べ物がない中での、ちょっとしたエスニック感?
 闇市で、ちょっと稼げたヒトの、贅沢ご飯だったのかも。
 そんなこんなの、腹減った生活が、ほぼ数年はつづいていたのだと思います。
 こういう時代を生きていたヒトたちには、素直に頭が下がりますよね。
 よく頑張ってくれました。
 やがて、少しずつ回復していた生産力を、一気に稼働させる事件が起こります。
 昭和25年にはじまった朝鮮戦争でした。
 ニホンは、米軍と韓国軍のための、さながら補給基地的な役割を果たすことになります。
 朝鮮特需ってゆうんですよね。
 この、隣の国の内戦で生まれた需要を満たすことで、ニホンの経済は、一気に復興の右肩上がりへと向かってゆきます。
 皮肉なモノですよね。
 こうして、昭和20年代も後半になると、取りあえず、食うに困ることはなくなり、希望と期待の中で、食べ物にも、新しいメニュが加わってゆきます。

 と、今日はここまででございます。
 ニホンに生まれた、新しいメニュについては、また明日。
 昭和20年代後半から30年代ごろの食べ物のハナシになると、蒼辰、うるさいからね。
 ひょっとして、その時代だけで、一回じゃおわんないかも。
 うふ。どうなることやら。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-08-19 13:11 | 読むラヂオ

8.15パスしたので、改めてそのハナシ。

 まいどっ、ちゃみでっす。
 先週末、お休みしちゃいました。
 しゅいましぇん。
 8月の15日だったんですよね。
 そう、終戦記念日でございます。
 そこ、避けて通れないよなぁ、と思っていながら、いいコトバが浮かばないまま、その日が通り過ぎていってしまったのでございます。
 改めて、しゅいましぇん。
 けどね、よくよく思い直したら、その日の[朝礼でっす!]では、ちゃ〜んとその話題、しかもその話題だけで、やってたんですよ。
 なので、え〜と、単純に転載はしませんけど、[朝礼でっす!]でおハナシしたことを、改めて、ここでおハナシしようかなと思った次第でございます。

 んっとね、おハナシのきっかけは、新聞のスポーツ欄の記事でした。
 こないだのワールドカップ終わって、ひと月くらいたったころかなぁ。
 ま、ワールドカップ、ニホンは、期待されながら、一次リーグ敗退、それも、惨敗に近い状態で終わったわけですけど。
 その後の、サッカー協会のあり方を批判する記事だったんですよ。
 誰も責任をとってない、と。
 で、その記事の中に、「日本の敗戦処理とよく似ている」ってゆうような文脈があったんですよ。
 あの戦争が終わったあとも、結局、誰も責任を取らなかった。
 誰もが、自分には責任がないと言い逃れたし、それをとことん追求することもなかった、と。
 それが、日本的体質だとしたら、根本から改めないと、同じコト繰り返すぞ、と、そんな論調の記事でございました。
 もちろん、サッカー協会を批判する記事ですから、同じコト改めないと、というのわ、サッカー協会に向けられたコトバなんですけどね。
 でもね、そこでちゃみは思ったわけです。
 書いたの、現役新聞記者だから、ばりばり戦後世代ですよね。
 そういう世代にして、戦後処理って、そういう認識なのか、ってね。
 もっとも、朝日新聞ですというのは、割り引いて考えなきゃいけないかもしれませんけど。
 でね、思ったわけですよ。
 もう昔のコトになっちゃったじゃないですか。
 あの日のNHKの番組でも、若い世代が、8月15日がなんの日か知らないとか、戦争あったのは知ってるけど、どことやった戦争か知らないとか、そういうことじゃいかん的な番組のプロローグでやってました。
 もっとも、番組自体は見なかったんですけどね。
 確かにね、戦争のこと、ちゃんと知らなくても、あんまし影響ないっちゃないんですよね。
 でも、その一方で、改憲問題とか、集団的自衛権の解釈変更とか、あるじゃないですか。
 そういうときに、んじゃ、今の憲法って、どうやって出来たの? 的なこと、知らない、分かってない、ってのわ、まずいですよね。
 そこ行き着くと、やっぱり、どうして戦争があって、その結果どうなったかを知っておくって、大切ですよね。
 だって、そこないと、今のニホンの始まりが分かんなくなっちゃうわけだから。
 た〜だ、平和な民主主義国家ですとか、ふつうじゃない国ななぞ、とか言われても、根本のとこが分かってなきゃ、議論も出来ない。
 そうなんです。
 その通りなんです。
 でもゲンジツ、ニホンジンのほとんどが戦後生まれになった今、戦後処理のコトなんて、教科書を初めとする、のちに書かれた記録でしか、知ることできません。
 けど、のちに書かれた記録ってゆうのわ、たいがい、なにかひとつの立場の、あるモノの見方で書かれているわけですよね。
 そういう中から、若い世代が、ジジツやシンジツを見極めるのって、どんどんどんどん難しくなるよね。
 だから、陰謀史観みたいのを信じちゃうヒトとかも出てくるわけじゃないですか。
 わんやわんやですよね。
 そいでもって、一方では、お隣の国からは、歴史認識ってゆう宿題っつうか、課題を出されちゃってるわけじゃないですか。
 で、あちらはあちらで、あちらの視点での歴史教育をなさってるわけですよ。

 これじゃ溝、大きくなるばっかじゃん。

 やっぱ、どっかで、なんらかのケジメをつけてこなかったことの、ツケなのかもしれません。
 戦後のケジメが、どっか曖昧だから、議論が先に進めないのかも。
 よく、ドイツを見習えてってゆう意見も聞きますよね。
 あちらは、徹底して、ナチスのしたことを総括したと。それを近隣諸国も認めたから、関係が修復できたんだ、と。
 だからニホンも、あの戦争の総括と、責任がどこにあったかを明らかにすべきだ、と。
 けど、ちゃみ、思うわけですよ。
 その議論とはちょっと違うかもしれないけど、あちらは、まわりの国と地続きで、歴史上、何度も何度も、戦争やってるわけじゃないですか。
 だから、危機感も違うんだと思うんですよ。
 これ、キッチリ総括しとかないと、つぎ、なんかあったとき蒸し返されるぞ、みたいなことが、ピンッと来るわけじゃない。
 けど、海に囲まれてて、歴史的に、外国との戦争体験ほとんどないワガクニとでは、なにかとそのあたりの感じ方も違うんじゃないでしょうかね。
 なに、だいじょぶだよ、そのうちみんな忘れるから、って思ったかどうかは知りませんけど、なんか、いろぉ〜んなこと曖昧にしてきたんだなぁ、やっぱり、とわ思いますよね。
 そのせいで、戦後がこうだったんだから、本来はこうあるべきなんだ的な、いろんな方面からのご意見がまかり通っちゃうわけでしょ。
 そいでもって、根本のことを分かってない若者が、そうだそうだになっちゃったりするわけじゃないですか。
 風化させてはイケナイってゆう新聞の論調は正しいと思いますよ。
 でも、そのわりに、体験者に聞く戦争の悲惨、みたいなハナシが多いですよね。
 そら、実際の体験は大事でしょ。でも、戦争の悲惨さを伝えることよりも、どうしてあの戦争が起こったのか、結果はどうなったのか、その後、どのように処理したのか、そ〜ゆ〜ことのほうが、さらに終戦が昔になってゆくこれから、大切になるんじゃないかと思うのですが、いかがでしょ。

 てなわけで、今日はここまでです。
 そのかわりってわけでもないけど、今週は、終戦の日のつぎの週として、食べものから見た戦後ってゆうおハナシをしていこうかなと思ってます。
 なんで食べものからなのか? って?
 だって、ウチのblogらしいでしょ。
[読むラヂオ]らしい切り口を、少しっつめっけてけたらなと思っておりますです。
 待っててね。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-08-18 20:14 | 読むラヂオ

夏なので、スイカのハナシッ!

 まいどっ、ちゃみでっす。
 さぁ〜て、先週今週と、夏にまつわるおハナシしてきましたが、本日はその最終回。
 スイカのおハナシでございます。
 けどさ、今どき、[スイカ]で検索すると、Suica関連がいっぱい出てきちゃんだよね。
 めんどい。
 さて、スイカといえば、夏の果物の代表でございます。
 夏のイラストとかにも、半分とか、四分の一とかに切ったスイカ、定番ですよね。
 おいしいよねぇ。
 やはり、真夏には、スイカでございます。
 さて、そのスイカでございますが、原産地、熱帯アフリカのサバンナ地帯や砂漠地帯なんでございますね。
 そういえば、ニホンでも、鳥取だっけ? 海っぱたの、もともとは砂地だったところでスイカ、作ってますよね。
 ふ〜ん。砂地でも作れるんだ。
 ほいで、ニホンに入ってきたのは、サダカではないのですが、室町時代以降なんだそうです。
 そういえば、平安時代に成立した「今昔物語」には、瓜のハナシはあるけど、スイカのハナシはないような気がいたします。
 あのね、夏の暑さ対策に、ウリ、食べてたんだよ、平安時代のヒトは。
 そりゃ、ウリに比べたら、スイカのがう〜んとおいしいよね。甘いし、水分たっぷりだし。
 平安貴族のみなさま、お気の毒でした。
 ところでスイカ、漢字で書くと、西瓜です。西の、瓜。
 これ、中国でも西瓜なんですね。中国から見て、西、つまり中央アジアあたりからやってきたから、西瓜。
 中国のヒトにとっても、外からやってきた果物っていう認識があったんですね。
 でもって、ニホンにはもちろん、中国経由で入ってきますから、西瓜そのまま、ニホンでも名前になりました。
 ただし発音は、広東語のサイクワァが訛ったものなんだとか。
 そんなスイカでございますが、なってるとこ、っつうか、畑、見たことある?
 木じゃございません。地面のわりと低いとこを、わしゃわしゃって葉っぱがあって、でもって、実、大きいもんだから、地面の上でごろごろしてます。
 つまり、樹木じゃなく、植物。
 なので、野菜に分類されちゃうのです。
 だってほら、植物の実や葉や根が野菜で、樹木になる実が、果実ではありませんか。
 けど、なぁ〜んかヘンだよねぇ。
 というわけで、青果市場や栄養学上の分類では、ちゃ〜んと果物あるいは果実に分類されております。
 よかったよかった。
 そいでさ、昔は、スイカと言えば、塩、だったじゃない? って、ちゃみはその経験、ありません。
 いつごろまで? バブル前? 定かじゃない?
 でも、みなさんも知識としては知ってたり、子どものころに体験したりしてたでしょ。
 スイカに、塩をふって食べるの。
 あれ実は、もんのすごくい〜ことだったんですってね。
 なにがい〜かとゆうと、熱中症予防なのです。
 スイカは、90%が水分なんだそうです。
 なので、スイカ食うだけで、そも水分とれる。
 でもって、そこはさすがに実ですから、カリウムだとかのミネラルも含まれてます。ビタミンもあります。
 そこに、少量の塩ふる。
 これつまり、スポーツドリンクとおんなしなんですね。
 天然スポドリでございます。
 やっぱさぁ、昔のヒトって、大したもんだよね。
 スイカに塩しても、お味は大しておいしくなるわけじゃないんだよね。
 けど、熱中症の予防にはバッチリ。
 外で働くヒトの休憩、お茶の時間に、スイカと塩ですよ。
 昔の知恵って、マジ、バカにできませんね。
 あ、でも、そういえば、発売したばっかのころのポカリスエット、スイカジュースって言われてたな。
 ま、い〜けど。
 さらに、手足のむくみに、改善効果が期待できるんですって。
 そいからね、コラーゲンの形勢に関わってるなんだかが入ってるんだそうで、美白やシワ予防の効果も期待できるんですって。
 さらに、カロリーがないっ。
 ゴボウよりカロリー少ないくらいなんだって。
 なので、いくら食べても、太らない。
 実際、アメリカのダイエット・プログラムかなんかでも、スイカだけは、摂取制限ないんですって。
 よぉ〜し、食うぞぉ・・って、でもさ、子どものころ言われましたよね。
 スイカ食べ過ぎると、お腹こわすぞ、って。
 そらそうだ。近ごろは、冷蔵庫でたっぷり冷やしてあるもんんね。食べ過ぎりゃ、お腹冷やすわ。
 ま、みなさまはオトナだと思うので、そこいらへん、バランスとって食べてくださいね。
 そいでね、スイカといえば、あの縞しまじゃありませんか。
 緑の地に、黒の縞しまですよ。
 けどあれが登場したのって、昭和初期なんだって。
 わりと新しいんだ。
 じゃ、それまではってゆうと、黒玉ってゆうヤツ。
 今でも品種として見かけますよね。黒ってゆうか、う〜んと濃い緑色なので、ほとんど黒に見えるヤツ。
 でもって、世界的に見ると、縞しまより、黒玉系のが多いみたいですね。
 え? 外国でもスイカ、食べるのかッテ?
 これがびっくり。食べるんですよ、世界中で。
 しかも、生産量聞いて、びぃ〜っくりですよ。
 世界一スイカを作ってるのは、中国なんであります。
 ま、そこはなんとなく、そうかな、と思うでしょ。ところが数字を聞いてびっくり。
 ぬあんと、世界の生産量の7割を、中国が作ってるんですって。
 スイカだぜ。そら輸出も加工もするんだろうけど、キホン、まんま地元で食べる果物だぜ。
 中国のヒト、どんだけスイカ食べるんでしょ。
 あ、でも、蒼辰が言ってます。以前、6月の広州に行ったとき、そこらじゅうで、売ってたそうです。スイカ、それも屋台で、切って。
 で、買ったヒト、そのまま、食べながら歩ってくわけだ。
 ふ〜む。やっぱかなり食うんだな。
 もしかすっと、熱中症予防になること、体験的に、あるいは言い伝えで知ってて、だからってこともあるかもね。
 だって、ニホンほどスポドリとか売ってないだろうし。
 でも、天然のもので摂取できるなら、そのほうがいいに決まってるけどね。
 でもって、スイカの生産量、2位トルコ、3位イラン、4位ブラジルとつづいて、5位にやっとニホン・・じゃなくって、アメリカの名前が出てきます。
 以下、エジプト、メキシコ、ロシア、韓国、スペインとつづいて、ニホンの名前、まだ出てきません。
 ニホンのスイカの生産量って、世界のわずか0.5%なんですってさ。
 てっきり、スイカ大国のひとつだろうと思ってたのに、これまた、意外なことにびっくりでございます。
 メキシコや韓国よかも少ないのか。
 そうか。果物食べなくなってきてる影響かな。
 ついジュースとかに手が出るからな、近ごろは。
 でもって、スイカって、ジュースになんないしな。
 そんなことも影響してるのかもしれませんね。
 けど、やっぱ夏といえば、スイカだよ。
 もっと食おうzey!
 ん? 誰、消費量増やすために、盛大にスイカ割りやろうとか言っているのわ。

 はい、てなわけで、本日はここまでです。
 でもって、夏にまつわるおハナシも、今日でお終いです。
 明日、そして来週から、どうも蒼辰の頭には入ってるみたいなんですが、どぉ〜なるんでしょ。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-08-14 19:34 | 読むラヂオ