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16年春リニューアルしました! 蒼辰が書くおハナシを随時アップしております。ちゃみのMCともども、読んでやって下さいまし。
by planetebleue
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<   2014年 09月 ( 18 )   > この月の画像一覧

秋だっ、運動会だっ、弁当だっ!

 まいどっ、ちゃみでっす。
 昨日の月曜日、なぁ~んか昼間っからガキどもが・・あ、いや、子どもたちがうろうろしてると思ったら、代休なんですね、運動会の。
 先週の土曜が運動会だったとこ、ウチの近所じゃ多いみたいです。
 そっかぁ~、運動会シーズンですわな。
 運動会といえば、おべんとっ。
 てなわけで、突然ですが、今週は運動会の定番お弁当についての、[これ知ってる?]でございます。
 でね、メニュはね、鶏の唐揚げっ、おお~っ、タコさんウィンナッ、おお~っ、でもって助六寿司っ、おお~っ、の予定でございます。
 ってゆうのわ、助六寿司のハナシ、確か前にやったよね。なので、かぶらないで出来るか、今ちょっと?になってるので、そこたどりついてから考えます。
 でもって、先ずは鶏の唐揚げぇ~っ。d0287447_18393078.jpg

 けど、これ、なんかパッとしない写真ですね。ホームメイドじゃなくて、買ってきたヤツなんだ。どぉ〜りで。
 けど、トリカラ。こらもう、ニッポンのおべんとのおかずのテッパンでございます。
 もう、運動会で、仲良し数人でお弁当なんか開けると、そらもうトリカラ・コンテスト状態でございます。
 男子によし、女子によし、さらにですね、家帰ってから、パパの酒の肴によしと、万能の一品でございます。
 てなわけで、[知ってる]らしく、先ずは始まりをたずねよう・・なんですが、これが意外とムツカシイことに気づきました。
 みなさま、そもそも、[鶏の唐揚げ]なんですよね。略してトリカラでございます。
 けどさ、[唐揚げの一種としての鶏の唐揚げ]なんて意識、あります?
 ないよね。トリカラはトリカラ。ひとつの独立した料理でございます。
 なのに、トンカツほど、独立感がないのわ、どうしてなのでございましょうか。
 こんだけ定番メニュになってるのにさ、トンカツみたいに、ルーツたどれないのでございますよ。
 ふ・し・ぎ。
 なので、先ずは、唐揚げの語原からたどります。
[唐揚げ]って、ATOKが変換するままに表記してますが、そもそも、唐揚げにはほかに、[空揚げ][から揚げ]という表記がございます。
 どれが正しいのか・・じゃなくって、どうやらルーツが異なるようでございます。
 いっちゃん古いのは、[唐揚げ]だそうです。
 江戸時代のはじめごろ、中国から普茶料理・・そっ、精進料理ですわな・・あれが伝来いたしましたです。
 それを紹介する本の中に、[唐揚げ]登場するそうです。
 ただしこれは、厚揚げの煮たものに近かったようです。
 でも、ここで分かること。熱した油に、具材をじゅっと入れて熱を通す、いわゆる[揚げる]という料理が、江戸時代からあったということでございますね。
 そしてそれは、中国から伝来したので[唐揚げ]と、こういうことのようでございます。
 そういえば、野菜の天ぷらのこと、精進揚げって言いますね。精進料理には、お肉を使わない分、油分をとるために、揚げ物、以外と多いようです。
 でもって、[空揚げ]のほうは、明治以降に、[空揚][虚揚]という料理名が見られるようになるんですって。
 これ、肉や魚を揚げたものらしいんですけど、要するに、衣をあまりつけないものを指してたみたいですね。
 衣をつけないで揚げる。すなわち、素揚げです。この、素揚げとほぼ同意語として、空揚げ、使われていたようです。
 今はどっち? 居酒屋のメニュなんか見てると、唐揚げのが多いような気がしますよね。
 だって、空揚げよりは、なんかちゃんとした料理っぽい。
 と、こう、たどってゆくと、小麦粉を卵でといた、たっぷりの衣をまとう天ぷらや、明治以降に洋食として登場する、パン粉をつけたカツまたはフライトは別に、あまり衣をつけない料理の流れがあったことが分かります。
 でも、分かることはそこまでなんですね。
 鶏の唐揚げが、いつ、どのように誕生したのか、分かりません。
 大ざっぱ、なに揚げても、唐揚げなわけですよ。
 今でも、居酒屋さん行けば、小エビの唐揚げとか、軟骨の唐揚げとか、これまた定番ですものね。
 その中でも、おそらく、多分、きっと、唐揚げの主流といってもいいだろう鶏の唐揚げ、ルーツが分からないんです。
 なんかちょっとさみしくありません?
 名前だって、[鶏の唐揚げ]ですよ。“の”が入ってますよ。大ジャンルの中の小ジャンル扱いですよ。
 トンカツや天ぷらとの、この扱いの違いはなんなんでしょうか。
 そこで、じゃ鶏肉、いつから食べてたのよ、にアプローチしてみました。
 したら、こっちも分かんないんでやんの。
 古くわ、日本書紀の天武天皇5年 西暦675年、飛鳥時代に、肉食禁止令が出されております。
 もちろん、仏教の影響でございます。
 禁止された五畜の中に、ニワトリ、入ってます。
 ってことは、仏教の影響で、ニホンジンは、明治維新まで大っぴらには肉食しなかった、という常識の中には、ニワトリも含まれているのであります。
 けど、玉子は、江戸時代のヒト、けっこう食べてるから、ニワトリはふつうにいたんだよね。
 きっと、こっそり食べていたに違いないと思います。
 でもって、維新になり、文明開化で、ニホンジンも肉食にトライします。
 けど、そこで語られるのは、牛肉ばっかです。
 豚肉を、いつ食べるようになったのか。こっちは、最近分かりました。
 日清・日露の両戦争のとき、牛肉の缶詰を糧食にしたせいで、牛肉のお値段が高騰しちゃったんですって。
 なので、仕方なく、庶民は豚肉に移行したんですって。
 しっかし、ここでも鶏肉のハナシは出てきませんでした。
 なんともはや。なんとなぁ~く、チキン愛を感じない結末となってしまいました。
 なので、分かってることをふたつだけ紹介しておきます。
 先ず、最初に唐揚げをメニュにのせたレストランは、三笠会館でございます。
 あの、三笠会館です。
 1936年 昭和11年のことでございました。
 で、中国伝来説をとって、唐揚げと表記した、と。
 もちろん、鶏です。今もメニュにあって、三笠会館の名物料理のひとつらしいのですが、表記[鶏の唐揚げ]でございます。
 もいっこ。
 三笠会館が唐揚げを出し始めたのと同じ時代、1937年 昭和12年に発行された軍隊調理法という本にも、唐揚げ、乗ってるそうです。
 ってことは、昭和初期には、鶏の唐揚げ、わりとポピュラーな料理になりつつあったようです。
 ってゆうか、それくらいのことしか分かりませんでした。
 他の、トンカツとかに比べると、実に盛り上がらないハナシになってしまいました。
 なんだかなぁ~。

 てなわけで、トリカラのハナシ、明日もつづきます。
 トリカラが終わると、タコさんウィンナに行きます。
 こ~ゆ~ハナシさせると、ちゃみも蒼辰も、長いです。
 しばし、お付き合いください。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-09-30 18:40 | 読むラヂオ

マダムの韓国旅行・みやげの話。

 まいどっ、ちゃみでっす。
 さて本日は、蒼辰マダムの韓国旅行リポート、金曜日は食べもの篇でしたが、本日は、おみやげ篇でございます。
 といっても、大したもの、ありません。d0287447_18433912.jpg

 まずは、キンパッでも食べながら、おハナシしましょうか。
 これ、帰りがけの空港で買ったという、ごくプレーンなヤツです。
 つまり、魚肉ソーセージとかカニかまとかニンジンとか入ってて、あんま味付いてないヤツね。
 ほかに、コンビニで買ったというのもあって、そちらは、ツナマヨだったりするの。
 ま、コンビニがやりそうなことではありますが、でも、プレーンなヤツよりいおいしかったかもしれない。
 しかし、ニホンには高級なのり巻き・太巻きってあるけど、キンパッの高級なヤツって、あるの?
 見たことないぞ。
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 そして、無料パンフの数々。
 と思ったら、景福宮と昌徳宮のパンフは、200円相当、取られたそうです。
 以前は、入場チケット買うと無料でくれたらしいんですよ、日本語パンフ。けど、今は別売りでございます。
 なんか、世知辛いね。
 けど、こういうパンフ類って、留守番組にも楽しいよね。見てるだけで、なんだか行きたくなってきます。
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 でもって、コンビニ菓子の数々でございます。
 蒼辰は、あんまりこういう買い方しないんだけど、マダムとお嬢ちゃまは、コンビニでオトナ買いするの、好きなんだよね。
 やっぱ女子だなぁと思います。
 あと、ばらまき系みやげが必要だからってこともあるかもしれません。
 けどねぇ、台湾でもそうだけど、こりゃなんじゃ系のお菓子って、なくなってきましたよね。
 どこいっても、やや洋風のスナック菓子が主流になっちゃったのは、ちょとさびしい気もします。
 伝統菓子とかのが・・と思ったら、ちゃんとありました。
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 これ、要するに饅頭ですね。ニホンでゆうと、チョコまんとかに似てて、でもちょっと皮がかたいの。
 けど、ほとんどなんの違和感もなく食べられました。和菓子と、なんら変わりません。
 そういう意味では、つまんないっちゃつまんないです。
 なんかもっと、かんこくぅ〜な味のお菓子のがおもしろかったのに。
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 じゃ、これどうだ、って? なんのことはない、ジャガリコじゃないですか。
 しかも、ちゃんとカルビーのだし。
 まぁね、蒼辰マダム、2年に3回くらいのペースで行くソウルですから、待ってるほうも、もひゃや珍しいモノ、あんましございません。
 それと、金曜日にもハナシましたけど、現地の値上がり傾向と、このとこの円安のせいで、ものみな割高感があるようでございます。
 以前は、山ほど買ってきてた化粧品も、今回はほとんどありませんでした。
 ってゆうかさ、かつての、円高・ウォン安で、割安感ばりばりだった時代を知ってるせいですよ。
 そうじゃなかったら、ものみな珍しくて、あれもこれも買ってるって。
 そんなわけで、珍しい外国感の薄れているソウルでございました。
 こら、あとは行くしかないな、行くしか。
 ぬあんと、ちゃみも蒼辰も、ソウル・バージンなのでございます。
 台北はけっこ行ったのにね。
 やっぱ、本場のタッカンマリとか、カルクッスとか、食べてみたぁ〜い。
 行こうよ、ソウル。

 てなわけで、今日はここまでです。
 明日からは、なんかどれやるか悩むほどネタがあるようです。
 きっと、食べモノのハナシだと思いますケド。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-09-29 18:44 | 読むラヂオ

マダムの韓国旅行みやげ話。

 まいどっ、ちゃみでっす。
 あはは、ごめんなさい。昨日、サボっちゃいました。
 ってゆうか、ちょと飛びこみの仕事があって、蒼辰がばたばたしてたんですけどね。
 へへ、言い訳でした。
 というわけで、本日は、せんだって、ソウル旅行に行ってきた、蒼辰マダムのみやげバナシです。
 みやげバナシったって、食いもののハナシですけどね、例によって。d0287447_18483119.jpg

 はい、まずは[ブテチゲ]です。
 これ、部隊チゲとかゆうんでしょ。徴兵制のあるソウルで、若い兵隊さんが、ありあわせで作ったとか言われてますよね。
 ケド、さすがにお料理やさんだけあって、見た目はきれいですよね。
 でも、あれか、ソーセージとかランチョンミートとか見えてるな。
 だいたいが、あんまり高級食材入ってないんですよね。
 そらま、元が、兵隊さんがありあわせで作ってたんですから。d0287447_18484996.jpg

 そして、食べてるさなかがこちら。
 中に、即席ラーメンの麺が入ってるんですよね。
 あちらでは、ラミョンとかいうと、即席ラーメンの麺なんですよね。
 こちらじゃ、スープなしの麺って売ってませんけど、あちらではふつうに売ってます。
 大久保の韓国市場にも積んでありますよね。裸の即席麺が、5個くらいセットになったヤツを売ってます。
 でもね、だからね、そんなお高級な料理じゃないんですよね、ブテチゲ。
 けど、本場で食べると、やっぱ味わいも違うのかな。
 マダム、わざわざ出かけて、食べてるわけですからね。d0287447_1849720.jpg

 そしてこちらは、サムギョプサルとおかずのセット。
 おかずのこと、なんとか言うんですよね。忘れちゃった。
 何品か、頼まなくてもおかずが並ぶのが韓国流でございます。
 ありゃ、奥にしっかり焼酎のボトルが立ってますね。
 ちっ、羨ましい。d0287447_18491716.jpg

 さらにこちら、定食です。
 こんな感じなんですよね、韓国の定食って。
 ニホンの定食より、品数が多いのが特徴でございます。
 これで、千数百円くらいだとか。
 でも、高くなったと感じるそうです。
 なんか韓国、物価高傾向みたいですね。そこにさらに、円安が追い打ちかけてます。
 全体に、割安感がなくなって、購買意欲がわかなかったようでございます。
 けどこれ、食器とか見ても、そんな安食堂じゃないよね。
 おいしそう。
 ちゃみ、正直言って、ここまでの三品の中では、これに一番ひかれます。d0287447_18492895.jpg

 最後は、今回の目玉のこれっ。
 ぬあんと、アワビ・ビビンパッでございます。
 けど、あれ? ビビンパって、ご飯料理だよね。なんで横にご飯がついてるの?
 ん? 左の緑の器に、ご飯を入れて、コチュジャンくわえて、まぜまぜするのですか。
 ひょえ〜っ。
 あ、そういえば、ビビンパッって、ビビンがまぜるで、パッがご飯なんですよね。
 つまり、まぜご飯。
 たいていの場合は、ご飯の上に具が乗ってて、味もついてて、それをまぜまぜするんですよね。
 けど、そうなんだ。別ご飯を上からくわえて、まぜまぜするスタイルもあるのですね。
 緑の中に、ちょろっとアワビ、見えてますが、この葉っぱの下に、けっこ食べ応え量のアワビが入ってたとか。
 い〜な〜、これ。豪華じゃないっすか。
 やっぱり、ちゃみも定食やめて、こっちにします。

 ほかに、タッカンマリの写真もあったんですが、あんまり写りよくなかったので、割愛しました。
 てなわけで、本日は駆け足で、ここまでです。
 来週は、なんか季節の食べモノのハナシをメインにしたいとか。
 い〜っすよぉ。上等じゃないっすか。
 ほいでわまた来週。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-09-26 18:49 | 読むラヂオ

虎の巻って、そもそもナニ?

 まいどっ、ちゃみでっす。
 え〜と、っと。今週は、ノープランでスタートしております。
 金曜日はね、せんだって、蒼辰マダムが韓国旅行にでかけたので、そのお土産話でも、と思っておりますが、さて本日。
 しょうがないので、虎の巻をひもとくことにいたしましょう・・ったって、当Blogのための虎の巻なんて、ないんですけどね。
 そこで、虎の巻ってなぁ〜に? というおハナシにしようと、今、決めました。
 虎の巻って、最近使います?
 もともとは、教科書のわかんないとことかが、すらすら分かる参考書のこととかを言いますよね。
 みなさんも、中高時代に使ったことのある、アレです。
 最近だと、PCの使い方とか分かんないときにひもとく、マニュアル本的なヤツ? 中でも、分かりやすく解説してある、「猿でも分かるワード」的なヤツね、あれのこと、虎の巻とかって言いますよね。
 けど、なんで虎の巻?
 てなわけで、虎の巻の語原、調べてまいりました。
 古代中国に、六韜三略(りくとうさんりゃく)と呼ばれる兵法書がございます。
 つまり、戦争のやり方を指南した本でございますね。
 六韜の韜は、剣や弓などを入れる袋の意味なんだそうですけど、これを、第何巻の巻の意味で使っているわけでございます。
 全6巻、文韜・武韜・龍韜・虎韜・豹韜・犬韜です。
 はい、4巻目に虎韜、ありましたね。これが、虎の巻と、こういうことなんです。
 とりわけ、この虎韜は、兵法の極意が書かれた一巻なんだそうです。
 つまり、これ勉強すれば、むっちゃ戦争につおくなれるわけです。
 ふむふむ、なるほど。
 兵法を指南する本の、極意が書かれた本が、虎の巻。
 だから、参考書・アンチョコか・・って、まぁ、分かったような分かんないようなおハナシです。
 けど、そこんとこがよぉ〜く分かってくる伝説が、あとにくっついていたのでございますよ。
 ほんでわ、虎韜をめぐる伝説でございます。
 先ず、この六韜三略という書物、古代中国で、殷王朝を倒し、周王朝を立てた武王の軍師・太公望さんが書いた本ということになっております。
 太公望さんって、あの釣り師の代名詞になってるヒトですよね。
 なんでかっつうと、これまた伝説なんですが、殷に仕えていた太公望さん、肘王ってヒトが暴君なもんで、やんなって殷の朝廷、やめちゃった。
 でもって、なにもせずに、釣りばっかしてる。しかも、鉤型になってない、真っ直ぐな針を、川に垂らしてるんです。
 それじゃ魚なんか釣れるわけありません。みぃ〜んな、バカにしてた。
 だが、たまたま通りかかった若き日の武王が目に止め、「なにか訳あってのことであろう。聞かせてくれぬか」と、太公望さんに声をかける。
 すると太公望さん、にやりと笑って、「やっと私が待っていた魚がかかりました」と答えて、自ら軍師になったという。
 そこで、大きな魚を狙っている釣り人を、太公望と呼ぶようになったそうなんです。
 ま、それはともかく、偉い軍師です。そのヒトの書いた、兵法書です。
 で、おハナシ飛んで、ニッポンの平安時代です。
 鞍馬山に、鬼一法眼という、僧籍の陰陽師がいて、このヒトが、六韜三略を持っているだけでなく、その極意も習得したというヒト。
 かの牛若丸、のちの源義経さんが、この鬼一法眼から、六韜三略を授かった、という伝説があるんだそうです。
 授かった、ってゆうのは、本もらっただけじゃなくって、講義も受けたんでしょうね、きっと。
 ほいでまたおハナシ飛んで、江戸時代。
 この伝説を元に、「鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)」というお芝居が生まれました。
 初演、1731年だそうですから、けっこう古い狂言です。
 この3幕目、通常「菊畑」と呼ばれている一幕が、ずばり、法眼の家の家来になっている牛若丸が、法眼の娘・皆鶴姫らの助けを借りながら、虎韜を手に入れるというおハナシなのでございます。
「かの虎の巻、手に入れんものと・・・」とか、台詞の中にも、ずばり[虎の巻]という表現が随所に出てきます。
 ってことは、[虎の巻]というコトバが、人口に膾炙する・・すなはち、ヒトの口の端にのぼりはじめたのは、この頃だったんじゃないでしょうか。
 江戸時代の半ばくらいのことでございます。
 この頃、お芝居の台詞などで使われたコトバが、そのまま、当時の流行語になるってこと、多かったです。
 そのひとつとして、[虎の巻]、はやったんじゃないでしょうか。
 モノゴトの極意が書いてある文書、すなはち、虎の巻でございます。
 使いやすかったんじゃないのかな。
 例えば、料理人が、師匠から教わった、今でゆうレシピみたいなのつけた帳面とか。
 なにしろ親の言いつけをよく守る二代目が大事にしてる、先代の家訓とか。
 ね、江戸時代でも、使いやすそうなコトバですよね。
 こうして連綿と受け継がれた[虎の巻]が、戦後、きっと団塊の世代の高校受験・大学受験時代だよね。分かりやすい参考書の代名詞になっていったのではないでしょうか。
 おう。我ながら、なかなか分かりやすい説明ではありませぬか。
 ちなみに、「鬼一法眼三略巻・菊畑」、今月、歌舞伎座で上演中です。
 太公望さんや、武王のエピソードは、「封神演義」という、明時代に成立した人形劇台本に、詳しく描かれてます。

 てなわけで、ノープラン・ウィークの初日、虎の巻をひもとくのおハナシでございました。
 明日は? 明日の風がふ〜くぅ〜、でございます。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-09-24 19:08 | 読むラヂオ

タイヤ耐久レースだったシンガポールGPテレビ観戦記

 まいどっ、ちゃみでっす。
 いちんち遅れになっちゃいましたが、いつものように、シンガポールGPの、テレビ観戦記でございます。
 予選、エキサイティングでしたね。
 ルイスとニコの差が1000分の7秒ってゆうのもすごかったけど、5番手のアロンソさままで、詰まってたじゃないですか。
 モナコに次ぐ低速サーキットで、エンジンパワーのハンデがなくなるか。
 こらひょっとして激戦になるか。
 期待したんですけどね。
 レース始まったら、やっぱりメルセデスのレースペース、抜群でございました。
 ケド、その前に。
 ニコがスタートできなかったのは衝撃的でしたですね。
 メルセデスの発表によると、ステアリングホイールのハーネスに問題があったとか。
 けど、分かりにくい説明ですよね。
 だって、別のステアリングホイールと交換してたじゃないですか。それに、ソフト上の問題とか、レース前には言ってたし。
 どうも、ソフト上のトラブルのが可能性高そうだけどな。
 それにしても、今のF1マシンって、電子制御のカタマリなんですね。
 あのギアシフトのフリップにしても、要するに、マウスをクリックしてるようなもんでしょ。
 機械的になにかが動く訳じゃなくて、あらかじめ用意してある制御プログラムが、ギアをシフトさせるわけですよね。
 ニコによると、回生エネルギーもDRSも使えなくなってたとか。
 これもソフト上のトラブルを示唆してますよね。
 今のPCそんなことないけど、突如、アイコンがクリックに反応しなくなるっていうトラブル、以前はよくありましたよね。
 どうも、アレに近いトラブルじゃないかと。
 そういえば、リタイアしたバトンも、突然、落ちてましたね。
 ふつう、クルマが走れなくなるときって、壊れるとか、外れるとか、止まる、とかなんだけど、近ごろのトラブルは、“落ちる”って表現がピッタシですよね。
 バトンのマシン、シフトした瞬間に、ステアリングホイールの液晶がぼんって落ちるのが、よく見えてました。
 あ、あれどこだっけ、ベッテルさまも、似たような“落ちる”トラブルで止まっちゃったことありましたよね。
 今年になって、よく目立つトラブルでございます。
 そもそも、電子制御のカタマリと化しているマシンが、以前までのKERSとも違う回生システムまで積んで、電気系統が相当ややこしくなっているのかもしれません。
 けどさ、機械部分ちゃんとしてるのに、電子制御系が“落ちちゃう”だけでリタイヤって、見ているほうとしてもちょと面白くないですよね。
 この対策、早く打ってくれないと、興をそぐコトになりそうな気がいたします。
 興をそぐと言えば、後半のSC、どう思いました?
 あそこからレースが変わっちゃいましたもんね。
 ひたすらタイヤを持たせるしかないベッテル以下と、まだレギュレーション消化してないルイスがいつ入るのかと、そこに焦点が移っちゃいました。
 あそこまで引っ張って、ギャップ作って、自力で買ったルイスは見事でございます。
 それはそれとして、なんですが、チームラヂオ公開したことで、ファンはもちろん面白くなりました。
 けど、今回みたいなばやいさ。
 いっちゃん走ってるウィリアムスが、真っ先に「このタイヤでラストまで行くぞ」ってラジオしたら、そりゃ、ほかのチームも行くしかないですよね。
 なので、タイヤ換えたヒトからだつらくぅ〜、みたいなことになっちゃいました。
 けど、もし、チームラジオが公開されてなくて、ヨソの作戦が分からない状態だったら・・・。
 後半のレースの興味、また違ってきてたと思うんですが、いかがでしょ。
 ま、SCはね、いつ来るか、分からないわけですから、そこで運不運、明暗が分かれちゃうのはしょうがない・・ってゆうか、そこもレースの楽しみのひとつでございます。
 けどさぁ、電子トラブルはさぁ。
 どうも興をそがれてる気がするんだけどなぁ。
 とりわけ、ここ何年かで、信頼性がすごく高くなって、どのレースでもリタイヤ率低くなってる中で、なんか、がっかり感のあるトラブルなのでございます。
 PCっぽくゆうとさ、フリーズしたら、一旦、電源落として、再起動する、がセオリーですよね。
 あ、そうそう。いつか、タクシー降りるときに、領収書もらおうとしたら、出ないの。
 どうすんのかな、と思ってたら、運転手さん、先ずエンジン切って、10カウントしてから、再始動。
 そしたら、ちゃんと出てきました、領収書。
 あれも、電子システム一度落として、再起動したわけでしょ。
 なんか、そういうシステム、できないんっすかね。
 そら、F1マシン、自分でエンジンかけられないから、タクシーとおんなじ手は使えないケド。
 たとえば、いわゆる電気系統と、制御システム系の電源を別にして、落ちたら、制御システム系だけをシャットダウンして、再起動するとか。
 そんな単純じゃないのか。
 きっとそうなんだろな。
 でも、来年以降、この手のトラブルが減ることを願ってやみません。
 はい。今回のレース、いっちゃんがっかりしたで賞は、ボッタスくんでした。
 6番手走ってたんだっけ? ケド、最終ラップに悪夢のクリフが。
 結果11位、ノーポイントはお気の毒さまでした。
 そして、ルイスがポイントリーダーに復帰。
 残り5戦。しかも、最終戦ポイント倍。
 けど、スズカ、ルイスのが速そうだな。ニコとしては、負けても自分も2位が、生き残りへの絶対条件ですね。
 あ、それと、聞いた? ひょっとして、アロンソさまが、マクラーレン・ホンダに移籍か?
 今年は、ストーブリーグも、いろいろあるかも。

 はい、てなわけで今日はここまでです。
 明日以降の予定は、例によって決まってません。
 どうにかするんでしょ、きっと。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-09-23 19:10 | 読むラヂオ

歌舞伎のハナシその2昔の上演形態は・・・。

 まいどっ、ちゃみでっす。
 さぁて、昨日から、大好きな歌舞伎のおハナシをしております。
 第1回の昨日は、歌舞伎は上演時間が長い。でも、客席まで飲食可だから、お腹が空く心配はありません。
 という、いかにもちゃみらしく、食べもののハナシから入らせていただきました。d0287447_183452.jpg
 そんな本日は、んじゃ、なんでそんなに上演時間が長いの? というおハナシでございます。
 これ、カンタンに言うと、江戸時代からの伝統なのでございますよ。
 ってゆうか、江戸時代のやり方が、少しっつ変わってきて、今のカタチになったのでございます。
 ほいじゃ、江戸時代の上演形態はどうだったかってゆうと、もっと長かったんです。今より。
 朝からやってます。それも、今の感覚でゆうと、朝8時くらいとかからやってたみたいですね。
 でもって、そのまんまずうっと、夕方までやります。
 夜は、やりません。
 だって、電気ないもの。
 今みたいな照明ありませんから、夜間の上演はムリだったのです。
 ただ、それでも、ろうそくいっぱい立てたり、あと、面明かりってゆうものを、役者さんの顔に差し出してたんだそうです。
 面明かり、燭台に長い棒がついてるようなものです。これを、役者さんの顔を、下から照らすように差し出します。
 一台じゃありません。二台か、場合によってはもっとです。
 この面明かりに照らされた、隈取りの役者さんの顔が、かぁ〜っと紅潮するところが美しかったと、記録には残ってます。
 もちろん、どんなだったか、もはや見たことあるヒトいませんから、ふぅ〜ん、そうだったんだ、と感心するだけです。
 でも、このエピソードからだと、かなり日没近くまでやってたんでしょうね。
 この件は、そのうち詳しく調べて、改めて紹介することにします。
 それにしても、当時の芝居見物、一日がかりだったんですね。
 なので、みんなお弁当持っていって、食べながら、お芝居見ます。
 見ながら、食べるのです。
 幕の内弁当が、芝居小屋由来なのは、ミナサマもご存知と思います。
 江戸時代、幕間に食べるように調整したお弁当だから、幕の内弁当、なんて説明をときどき見かけます。
 あれ、間違いです。
 芝居やってるさなかに、お弁当食べてたんです。
 だから、幕の内弁当なのでございますよ。
 なんせね、江戸時代の芝居見物、飲んだり食べたりしながらが、当たり前だったようでございます。
 この伝統が、今も歌舞伎座の場内での飲食可、につながってるのだと思います。
 だからね、今の歌舞伎座でもね、まわりに迷惑にさえならなければ、見ながら食べていいんですよ。
 昨日紹介したブドウとか、あと、みかんなんかだったらね。
 そうやって、リラックスして楽しむものなのでございます。
 でもって、もちょっとお金持ちは、お茶やというところに行きます。
 お茶やさん、劇場に隣接してます。そもそも、切符取ったりもしてくれるとこです。
 で、劇場でなく、先ずこっちに、お客さん、上がります。
 開幕まで、お茶飲んで待ってて、始まるよってゆうときに、お茶やの若い衆の案内で、席につくわけ。
 そいで、幕間になると、またお茶やさんに戻って、そこで、ゆったりとお食事するわけでございますね。
 幕間も、今より長かったんでしょうね。
 面白いのは、通し狂言といって、ながぁ~い芝居を一日がかりで上演するわけ。
 けどね、午前中の早い時間は、若手や中堅の、ちょと格下の役者さんしか出ません。
 でもって、午後になり、ハナシも佳境に入ってくると、名代、あるいは大名代という、トップクラスの役者さんが出てくるのであります。
 だから、たとえば忠臣蔵なら由良助とか、義経千本桜だったら義経の役なんかは、通し狂言の中で、同じ役を別の役者さんが演じる。そういうことが普通だったんだそうですね。
 あ、でも、これ、今でもあるな。
 去年12月の、昼夜あわせての忠臣蔵通し上演のとき、5段目と6段目のお軽は七之助さまだったけど、7段目は玉三郎さまでございました。
 そういうことが、ふつうに行われるのも、歌舞伎ならではでございます。
 そいでね、この上演形態、なにかに似てると思いません?
 朝からやってて、最初は若手で、だんだんトップ・クラスが出てきて、夕方に終わる。
 見物は、飲んだり食べたりしながら、楽しむ。
 でもって、お茶やさんとゆう、なにかとお世話をしてくれるお店がある。
 そう、現代のお相撲も、ほぼこういうカタチでやってますよね。
 お茶やさん、昔ほど機能してないみたいだけど、今や、お茶やさんが存在するのは、お相撲の世界だけでございます。
 ここから分かること。
 江戸時代は、お相撲も歌舞伎も、こんなふうな、ほぼ同じような興行形態だったんでしょうね。
 けど、時代が移り、先ず、お茶やさんが廃止になっちゃいました。
 その前から、劇場が椅子席になりました。
 そして見物衆も、なにかと忙しくなってきた。
 そこで、いつの間にやら・・って、戦後になってからですけど、現在のような2部興行になったのでございます。
 それで、キホン、三本立てでやるわけです。
 どういうモノを、どういう順番でやるか、基本形があります。
 最初が、いわゆる時代狂言。真ん中が、所作物。そして最後の幕が、世話狂言です。
 って、きなり言われても、分からないよね。
 こういうことも、おいおいみなさまに分かっていただけるように、あくまでちゃみ流におハナシしていこうと思ってマス。
 ま、ともかくね、歌舞伎、今では現代的な劇場で公演してますが、演目の並べ方や、飲食可なこととか、やっぱり、江戸時代からつづく伝統が、そこかしこに見られるのですよ。
 舞台の上だけじゃなくて、ふつうの演劇とは違う、そういう雰囲気から、味わってほしいな、楽しんでほしいな、と思います。
 ちなみに、毎年一月には、浅草公会堂を舞台に、若手の新春歌舞伎が行われます。
 この公演には、淺草お茶屋の会というものが協賛してます。
 お寿司やさんとかどぜうやさんとか、そういうお店が何軒か加盟してるんですよ。
 そいで、お店で切符の手配もしてくれて、昼の部だったら席までお弁当が届くし、夜の部だったら、江戸装束の若旦那が迎えに来てくれて、お店まで案内してくれて、そこで晩ご飯が食べられるの。
 基本メニュとチケットのセット価格になってます。
 昔と同じじゃないけど、そんなお茶や気分を味わいたいヒトには、お正月の淺草、うってつけでございますよ。

 てなわけで、今日はここまでです。
 来週は、月曜日はF1です。
 でもって、そのあと飛び石になっちゃうので、水曜から、またなんか違うおハナシを用意しておこうと思ってマス。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-09-19 18:04 | 読むラヂオ

歌舞伎の、どこが他の芝居と違うんだろ。

 まいどっ、ちゃみでっす。
 今までもね、ときどき、歌舞伎のおハナシ、当Blogで、やってきました。
 ハッキリ言って、歌舞伎見にいったあと、ネタがなくて困ってたときなんかに、ネタにしてたとこ、あります。
 それはともかく、なんとなぁ〜く、ちゃみは歌舞伎見にゆくヒトなんだなと思っててもらってるんじゃないかと思います。d0287447_19154952.jpg

 はい、ちゃみは歌舞伎、好きです。
 でもって、蒼辰も好きです。ちゃみが歌舞伎好きなのは、蒼辰の影響です。
 さらにいうと、蒼辰は、かなり歌舞伎に詳しいヒトです。
 でもね、世の中には、蒼辰なんかよりもっともっと詳しいヒトいっぱいいるし、さらに専門家の文章だっていくらでも読めるし、ちゃみと蒼辰で歌舞伎のハナシ? ちょと照れくさいよね、って感じがしてました。
 けど、やっぱり好きなんだし。もいっこの蒼辰のシュミ、F1は、堂々とテレビ観戦記毎レースupしてるわけだし。
 だったら・・・。
 というわけで、歌舞伎、新たにジャンル立てまでして、当Blogの柱のひとつにすることにしちゃいました。
 というわけで、本日は、その第1回目でございます。
 でね、どんなハナシにしよ〜かなぁ〜と思ったわけですよ。
 いずれ、当Blogらしい、歌舞伎の雑学ってゆう部分に入ってくわけですが、第1回だ。さて、どうしよう、ってわけ。
 ん〜と、ほいじゃ、こうしましょう。
 歌舞伎、なんだかんだ言っても、日常的に親しんでいるヒトは少ないです。
 見たことないってヒトも、かなりになります。
 そこで、歌舞伎見たことないヒトも含めて、その面白さ、楽しさを伝えるようなおハナシをしていきたいな、と。
 その方向でいくなら、まずは、歌舞伎が、他の演劇とどんなところが違うか、そんなハナシからはじめましょうか。
 先ず、上演時間が長いです。
 歌舞伎座は、たいてい昼の部と夜の部の2部構成になってます。
 昼と夜、別の切符買わないと入れません。
 なので、通常、昼の部か夜の部、どっちかを見ることになります。
 でもって、昼の部はおおよそ午前11時開演で、終わるのが、午後の3時半とか、そんなもんです。
 夜の部はというと、午後の4時半に開演して、終わるのが9時半くらいになることが多いです。
 劇場入ってから出るまで、だいたい5時間です。
 ええっ、って驚いたヒトも、いるかもね。
 そんなに長いお芝居をやってるのか、って思った?
 それ、違います。
 キホン、その時間内で、3つの狂言、すなわちお芝居を上演します。
 カンタンに言うと、昔の映画館の3本立て上映といっしょです。
 まったく違うお芝居が3つ見られるわけ。
 そう考えると、お得でしょ。
 けど、お腹空いたらどうするの? と思ったミナサマ、そこもご安心ください。
 3本立ての間には、2回の休憩があるわけですが、そのうちの1回は、たいてい30分のなが〜い休憩です。
 その間に、ご飯食べればいいわけ。
 あ、そうだ。歌舞伎座ってね、場内での飲食、可なんですよ。
 客席で、お弁当食べて、お茶や、ときにはビール飲んでもかまわないわけ。
 ここ、他の劇場とのいっちゃん大きな違いかもしれないね。
 今さ、客席での飲食禁止の劇場多いもんね。
 シアターコクーンとか、赤坂ACTとかって、歌舞伎やるときでも、客席内飲食禁止ですものね。
 そうだ。客席で飲食できるんです。これ、歌舞伎が他の演劇と違う一番大きいとこかもしれない。
 でもって、昼の部だと、最初の幕が終わったあと。だいたい正午過ぎ。
 夜の部も、最初の一幕が終わったあと。おおよそ6時前。
 ここに30分の休憩があって、みんなご飯食べるわけです。
 そいで、歌舞伎座にはちゃんと食堂もあります。地下と3階です。
 場内入ったら、お芝居が始まる前に予約しておきましょう。すると、休憩時間にすぐ食べられます。
 3階には、なんと吉兆も入ってます。
 もちろんお高いけど、一流の日本料理も、劇場の中で食べられます。
 前の歌舞伎座は、3階に、おそば屋さんと歌舞伎茶屋ってゆう、おでん定食食べられるとこ、さらに、カレーコーナーまであったんですが、新歌舞伎座になって、なくなっちゃいました。
 なので、テーブルについて食べようと思うと、残念なことに食堂で食べるしかなくなっちゃいました。
 食堂のメニュですか? あんまり行かないんで、詳しくないんですが、幕の内弁当、寿司、うなぎ、なんかが食べられます。
 あ、そうそう。新橋演舞場にいくつかある食堂のひとつは、[かべす]という屋号です。
 この[かべす]って、劇場の中でよく食べるものの頭文字なんですよね。
 菓子・弁当・寿司、でございます。
 助六寿司のハナシは、以前にもしましたよね。あれ、助六ゆかりのものでございます。
 でもって、昔風にいうと、劇場内で簡便に食べるお弁当の代表みたいなものでもあるんですよね。
 もっとも、近ごろは食生活も贅沢になってきましたから、助六くらいだと、寄席か、歌舞伎座でもお一人様限定みたいなイメージがあります。
 そうなんですよ。食堂予約しなかったミナサマは、たいがい、客席でお弁当食べてます。
 どなたもね、けっこう豪華なお弁当、食べてますよ。
 買うなら、やっぱり三越が便利かもしれません。新歌舞伎座開場にあわせて、観劇弁当を充実させてます。
 目移りしちゃって、大変なんだ、いっつも。
 あ、や、食べ物のハナシになると、つい力が入ってしまいました。
 ま、ともあれ、5時間という長丁場には、食べる楽しみもあるのですよ。
 なにしろ、客席内飲食可ですから、上演中に飲んだり食べたりも、まわりに迷惑にならない範囲なら、オッケーなんです。
 こないだも、タッパに入れたブドウを、ふたりでつまみながら見ているおばさまコンビがいたな。
 そんなふうに、リラックスして、まるで居間でテレビを見る延長のようなスタイルで見物できるのも、歌舞伎なのでございます。

 てなわけで、なんせ好きなハナシですから、つい長くなります。
 なので、本日はここまでにいたします。
 明日は、この続き。
 んじゃ、なんでそういう上演形態なの? というおハナシを、歴史的かつ、食べもの的に、みていきたいと思っとりますでございます。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-09-18 19:16 | 読むラヂオ

亡くなられた山口淑子さんのハナシ。

 まいどっ、ちゃみでっす。
 三連休最後の日、15日の新聞各紙の一面に、山口淑子さんの訃報が掲載されていました。d0287447_14404199.jpg

 みなさんもご覧になったことと思います。
 新聞には、略歴ってゆうか、その生涯も特集されてましたね。読んだヒトも多いことと思います。
 それ読むと、すんごい一生を送った方なんだと、あらためて驚いてしまいました。d0287447_1441775.jpg

 こっちの写真は、当日のサンケイ・エキスプレスのものですが、まさに、歴史に翻弄されたって感じですよね。
 とくに、中国時代の前半生。
 ま、新聞とかにも紹介はされてたけど、ざっとおさらいしましょうか。
 山口淑子さんは、1920年 大正9年に、現在は中国・遼寧省にある撫順という町で生まれています。
 ご両親とも、日本人です。
 ではなぜ、その時代の中国・東北地方に、日本人が住んでいたのでしょう。
 ちなみに、日本が作った傀儡国家・満州国の成立は、1932年 昭和7年、だいぶあとのことでございます。
 ヒントは、お父さまのお仕事にありました。
 淑子さんのお父さま、満鉄で、中国語の先生をしていたのだそうです。
 なんですケド、こんだ、満鉄ってなぁに、ってハナシですよね。
 満鉄、南満州鉄道といいます。これ、もともとロシアが建設し、権益を持っていた鉄道でした。
 しかし、1905年 明治38年に、日本が日露戦争に勝利します。
 その結果、この鉄道の権益が、日本のものとなったのでした。
 そいでね、鉄道っていっても、沿線に多くの付属地を持っていて、炭鉱開発や農地の経営、製鉄所まで持っていたんですって。
 要するに、租借地、ってゆうか、ほとんど植民地状態だったのでございます。
 そんな満鉄で、淑子さんのお父さまは、中国語の先生やってました。
 ってことは、もともと中国語ができて、あらたにやってくる日本人が生徒だったんですよね、きっと。
 でもって、親中国的な方だったんだそうです。そのために、淑子さんも、子どものころから中国語に親しんでいました。
 つまり、バイリンガル。学校も、北京のミッション・スクールを出てらっしゃるんですね。
 ってことは、中国語で教育受けてたんだ。
 日本が、中国に権益を持ちつつあった時代に、日本語・中国語、両方できて、しかも、絶世の美貌の持ち主で、歌声もきれい。
 まわりがほっとくわけありませんよね。
 かくして、満州国が成立した翌年、1938年 昭和13年に、18才で、映画女優としてデビューするのであります。
 その時につけた芸名が、李香蘭。
 中国人として世に出たのでありました。
 けどさ、若き日のお写真とか見ても、まさに絶世の美貌ですよね。
 ヘンな言い方かもしれないけど、この時代に、日本人を両親にもって、それでこのエキゾチックな美貌ですよ。
 そりゃ、ほっといてはもらえませんわな。
 絶世の美女というものは、その美しさゆえに、時に、自分の人生を縛られてしまうものなのかもしれません。
 ちゃみはだいじょぶですけどね。
 こうして、中国人女優として一躍スターダムにのし上がっていくわけですが、この頃に交流のあった人物として、川島芳子さんの名前がありました。
 そうなんですよ。
 日中戦争時代に、歴史に名前を残した女性と言えば、なんといっても川島芳子さんと、李香蘭さんでございます。
 このお二人に接点があったとは、雑学好きの蒼辰も知らないことでありました。
 んじゃ、川島芳子さんのこと、ざっとおさらいするね。
 川島芳子さんは、1907年 明治40年のお生まれ。なんと、清朝の皇族・粛親王のお嬢さまでございます。
 その後、川島浪速という人物の養子となり、8才で来日、以後、日本の学校で教育を受けています。
 つまり、李香蘭さんとは、真逆の立ち位置。
 養父だった川島浪速さんは、清朝の警察部門の顧問だったヒトでした。
 しかし、辛亥革命が起こり、中華民国が成立しちゃいます。
 すると、清朝の皇族だった粛親王は、清朝の再興のための活動を開始します。
 その支援者の、日本での代表格が、川島浪速でした。そして、粛親王との信義のために、芳子さんを養女としたのでした。
 もう初めっから、今どき考えられない、政治がらみの生い立ちの方なのです。
 その後、大幅に省略しますけど、満州国成立の裏ではさまざまな工作に関わったり、日中戦争でも、日本軍に協力するさまざまな活動を行った方です。
 で、ついたあだ名が[東洋のマタ・ハリ]。
 マタ・ハリって、第一次大戦のときに活躍した有名な女性スパイでございますね。
 その一方で、ラジオに出演したり、歌もうたったり、当時の中国では、有名人の一人です。
 芳子さんは、17才年下の李香蘭さんを、妹にように可愛がったそうです。
 しかし、片や政治的人物、片や、国策映画でスターになったばかりの若手女優。
 二人の交際に危険なものを感じた周囲の人々によって、交際は長くつづかなかったそうです。
 しかし、のち、李香蘭さんにあてた手紙の中で、「私のように利用されるばかりの人間になってはダメ」みたいなことを、芳子さん、言っているそうです。
 やがて、日中戦争が、日本の敗北で終わります。
 中国人・李香蘭も、日本への戦争協力者として、逮捕されてしまいます。
 しかし、純粋な日本人ということが証明され、無事、帰国しました。
 でも、川島芳子さんは?
 中国を裏切った人間として、銃殺刑に処されてしまいました。
 まさに、歴史に翻弄された人生だったのですね。
 同じ第二次大戦におけるニホンでも、対米戦争は、ほぼ軍隊同士の衝突に終始しました。
 もちろん、無差別爆撃や原爆のことはあったけど、あれもまぁ、軍事的な戦略です。
 けど、日中戦争のほうは、なんせニホンは、中国に権益を保持したい、さらには拡大したいわけですから、もう謀略や策謀の渦でございます。
 それだけに、そのプロセスを正確にたどるのが難しい戦争でもあります。
 そんな中で、いわば利用されてしまった女性たちがいたこと、歴史の事実として、覚えておきたいと思います。
 最後に、新聞に紹介されていた山口淑子さん、晩年のコトバを紹介しておきます。
「なんで日本人はあんなに威張っていたのでしょうか。自分たちが『東洋の盟主』なんだと、勘違いしていたのでしょうか」と。
 虎の威を借りるナントカ、みたいなニホンジンが、あの時代、ニホンの内に外に、大勢いたことも、やっぱり覚えておきましょうね。
 そして、そんなニンゲンには、決してなってはいけないと、改めて、自分に言い聞かせたいと思います。
 哀悼。

 はい、今日はここまでです。
 明日は、なんですか、当Blogの新しい柱として、やっぱり歌舞伎のハナシを少しっつしようかな、と蒼辰が言ってます。
 わい。歌舞伎、ちゃみも大好きなんだよん。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-09-17 14:42 | 読むラヂオ

敬老の日なので、年寄りのハナシ。

 まいどっ、ちゃみでっす。
 三連休、いかがお過ごしでした?
 でもって、昨日は、敬老の日でございました。
 お年寄り、大切にしました?d0287447_1855716.jpg

 てなわけで、本日は敬老の日がらみのおハナシにしたいと思います。
 ほいでね、9月15日から21日までは、毎年、老人週間でもあります。
 ん? 敬老週間じゃなくて、老人週間なのかい。
 と思ったので、ちょと調べてみました。
 先ず、敬老の日のルーツは、1947年 昭和22年に、兵庫県多可郡野間谷村の村長さんが提唱した[としよりの日]でございました。
 「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という趣旨だったそうでございます。
 「」内、ウィキに紹介されてる文言をそのまんま引用させてもらったんですが、ここでもう、老人と年寄り、用語の不統一がございます。
 そいで、農閑期にあたり、季候もよい、9月15日を、[としよりの日]と定め、敬老会なんか開いてたそうです。
 これが、1950年 昭和25年には、兵庫県全体に広がり、そこから全国に広がっていったんだそうです。
 そして、1964年 昭和39年に、[としより]という表現はよくないということで、[老人の日]と改められました。
 さらに、野間谷村からの働きかけもあり、1966年 昭和41年に、国民の祝日[敬老の日]となったのであります。
 一方、15日から21日までの一週間を、老人週間としていたのは、中央社会福祉協議会というところでございます。
 ここを管轄する老人福祉法が2001年 平成13年に回生され、9月15日が[老人の日]、15日から21日までが[老人週間]と定められたのだそうです。
 つまり、役所の管轄ちがいのおかげで、前の言い方が残っちゃったんだ。
 なんかなぁ〜って感じのおハナシでした。
 ちなみに、9月11日から20日までは、[高齢者交通安全旬間]でもあります。
 こちらは、きっと警察の管轄でしょうね。
 としより、老人、高齢者、そして敬老の日。
 どうも、なんか、遠慮がちな物言いが多いようでございますが、これ、もしかして、肝心の年寄りが、年寄り呼ばわりされると、すぐ怒るのがいけないんじゃないの?
 ま、気持ちは分からないじゃないけど、こっちはせっかく大切にしようと思ってんのにさ。
 あ、失礼しやした。
 ともあれ、お年寄りを敬い、大切にしようというココロは大切でございます。
 なんたって、私たちが、今生きてる、この時代を築いてきたカタガタなんですからね。
 しっかし、今やニホンは高齢者社会でございます。
 65才以上が、3300万人近くですよ。
 人口のおよそ4人に1人が、65才以上なわけですか。てえへんです。
 でもって、100才以上の方が、58000人だっけ? なんかそのくらいいて、これまた、過去最高なんだそうですよ。
 しかも、近ごろのお年寄りって、みなさん、お元気ですよね。
 今では、高齢者、65才からってことになってますが、昔は、サラリーマンの定年は、55才がふつうでした。
 でもって、60才になると、還暦祝い。赤いちゃんちゃんこなんか着せられてるヒトは、かなり老人でした。
 今どき、55才や60才なんて、現役ばりばりでございます。
 70才でもねえ、かなり元気な方、多いですよね。
 さらに80才を過ぎても、背筋のシャンとした方が、年々増えていっているような気がいたします。
 この傾向って、どんどん進みそうですよね。
 今の65才が、昭和25年生まれくらいですか。
 さらにそれ以上の方になると、戦中戦後、経験してます。
 つまり、栄養の悪い時代もあった。
 けど、今、60代前半の、これから高齢者予備軍になると、栄養面がかなり違いますよね。
 子どものころからちゃんと食ってる。その上、途中からロハスなヒトとかあらわれて、健康的な食生活がどんなものか、理解してるヒトも多い。
 こりゃなかなか、それだけでも元気。
 さらに、体格自体も、どんどこよくなってきました。
 つまり、そもそも、健康で丈夫な体を持っているんですね。
 年々歳々、今のイメージより若々しい70代、80代が登場してくるのだと思います。
 さらに、医療の進歩って、すごいですものね。
 ついに、再生医療が、実用化されそうな気配になってまいりました。
 今まで難病とされていた病気までもが、克服されるのかもしれません。
 よく、健康寿命って言いますよね。
 寝たきりになっては、どうしようもありません。
 でも、心がけひとつで、健康寿命も延ばせそうな勢いになってまいりました。
 食生活、日頃の運動、定期検診、こういったあたりを怠りなくやっていれば、相当な年齢まで、健康でいられそうです。d0287447_18552775.jpg

 そうはいっても、やっぱり体力は衰えるし・・と思ったら、ぬあんと、パワードスーツも、もう実用化段階なのでありますよ。
 写真の新聞記事が紹介しているのは、重いモノを動かすときの補助パワードスーツでございますが、他にも、歩行補助のパワードスーツもぼちぼち実用化されるんだそうです。
 これ、歩けなくなったヒトの補助をすると同時に、再び歩けるようになる訓練までできちゃうんですって。
 すごいですね。
 どうやら、かなりな年齢まで、元気で活動できる社会がやってくるようでございます。
 それはもちろん結構なこと。
 けど、時間を持て余しちゃうっていうのも、どうなんでしょうね。
 蒼辰は、高齢化が進む団地に暮らしておりますが、とくに午前中、ヒマそうなお年寄り、とくに男性、つまりじいさんをよく見かけると言っております。
 健康で、元気であっても、ヒマを持て余しちゃしょうがありません。
 じゃ、あとはなに?
 好奇心か。
「俺みたいな年寄りにはもういいよ」みたいなことを言わないことね。
 若々しい感受性と好奇心を持ち続けること。
 これ、健康寿命も上がってゆくこれからの社会で、高齢者の仲間入りをするヒトに、ぜひ持ってもらいたいと思います。
 だって、人生、最後まで楽しくやろうぜ。
 蒼辰も、気をつけてね。
 あ、蒼辰はだいじょぶか。あのヒトから好奇心とったら、ほぼなにも残りませんから。
 ひひっ。

 はい、てなわけで、本日はここまでです。
 明日は、ちょと予定を変えて、先日お亡くなりになった山口淑子さんのおハナシを、ちょっとだけやろうかなと考えております。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-09-16 18:56 | 読むラヂオ

ジーンズのハナシ3回目は、ニホンでの歴史っ!

 まいどっ、ちゃみでっす。
 さて、ジーンズのおハナシの3回目は、ニホンでのジーンズの歴史なんですが、その前に今日の一本。d0287447_19254185.jpg
 これ、蒼辰がわりとふだん履きにしてたんですが、このとこ、ちょと再評価されて、軽いお出かけにも履いてるヤツです。
 これまたエディ・バウアーのなんてことないストレート・ジーンズです。
 ただしこれ、お嬢ちゃまからのお下がりなんですって。
 ほいでね、蒼辰、お嬢ちゃまより、数センチ身長高いのに、裾丈、ぴったしなんですって。
 あはは。
 さて、ニホンでジーンズが履かれるようになったのは、第二次大戦後のことでございます。
 アメリカ軍が放出した古着のなかにあったのが始まりってなことになってますね。
 ナルホド。
 でもって、戦後は、映画や音楽など、アメリカの風俗が一世を風靡いたしましたから、ジーンズ、一気にもてはやされるようになっちゃいます。
 ついこないだまで鬼畜だったアメリカが、アコガレの存在になっちゃったわけでございます。
 日本で初めてジーンズを輸入販売したのは、青山一丁目にあった栄光商事さんで、1956年 昭和31年のことなんだそうです。
 ここ、超有名なお店だったんだそうですね。ニホンのジーンズの聖地みたいなとこだったとか。
 けど、昭和31年、戦後11年もたってますよ。遅いんじゃないですか? もてはやされたわりに、輸入販売が始まるの。
 なになに。それまでは、中古ジーンズが一般的だった。
 あ、そういうことか。さきほどの米軍放出品をはじめ、中古の輸入販売ってのは、あったのかもしれませんね。
 アメ横とか、あと、横須賀あたりとか。
 その頃から、ワガクニでは、ジーンズのことをGパンと呼ぶようになります。
 今でも、ふつうの言い方ですよね、Gパン。
 これ、GI、すなわちアメリカの兵隊さんは履いてたパンツだから、Gパンという説もあります。
 けど、間違いですよね、きっと。アメリカの兵隊さんが履いてるのは、ほぼチノといっていいコットンパンツです。
 なので、Gパン、やっぱし、ジーンズ・パンツの縮めたカタチではないでしょうか。
 ちなみに・・これ作品リスト調べてもタイトル分かんなかったんだけど・・三島由紀夫の小説に、当時の若者風俗を扱った作品があって、その中では“ジンパン”と表記されてました。
 多分、三島由紀夫の間違いだと思います。
 ジーンズ履きそうなヒトじゃないしね。
 あと、ニホンで最初にジーンズを履いたのは、白州次郎さんだという説もあるそうです。
 戦後、占領下のニッポンで、吉田茂の側近として活躍された方で、戦前のロンドン仕込みのダンディだった方らしいです。
 でもさ、これもね、戦前にアメリカに移民として渡り、苦労したカタガタの中には、かなりの数、ジーンズを履いて働いたニホンジンがいたに違いありませんものね。
 やがて、ワガクニでもジーンズの生産が始まります。
 1958年 昭和33年に、倉敷市児玉の、マルオ被服というところが、受託生産を始めました。
 このマルオ被服さん、現ビッグジョンです。
 でもって、倉敷市児玉地区といえば、近ごろ、ジーンズの里として町おこししてるとこですよね。
 内装も、運転手さんの制服もジーンズの、ジーンズ・バスが走ってるんですよ。
 ちょと行ってみたい。
 そいでね、このマルオ被服さん、1960年 昭和35年には、自前ブランドでの生産販売を開始しています。
 ってことはさ、その頃、もうかなりの需要があったってことですよね。
 ニホンの若者がジーンズ履きはじめたのは、やっぱり「理由なき反抗」などのアメリカ映画と、そしてロカビリー歌手のみなさんのファッションだったようでございます。
 やがて、60年代の後半になると、つまり全共闘運動がピークを迎えるころになると、女性もジーンズを履くようになります。
 ってか、もうこの頃になると、アメリカとほぼ同時に、ベルボトムの時代になるんだよね。
 てなわけで、カウンター・カルチャーとサヨク運動とともに、ジーンズは若者ファッションの一部となってゆくわけでございます。
 けどさ、ファッション化も意外と早かったんだよね。
 あれは70年代の前半・・と、蒼辰が言ってます。京都は、京都大学のキャンパスにほど近い、百万遍というトコロに、ハーフっていうブランドがあったんだそうですね。
 ここ、きれいな赤や緑でステッチしたジーンズを売ってて、その頃、ヒットしてたんだそうです。
 でも、東京じゃ売ってない。
 若き日の蒼辰、わざわざ買いに行ったそうですよ、京都まで。
 ま、ホントに駆け足でしたが、ニホンでのジーンズの歴史、おさらいしてみました。
 もうすっかり、ジーンズのない生活なんて考えられなくなってる今日でありますが、でもやっぱ、あくまでカジュアル・ファッションでございます。
 公式な場に履いてくものじゃございません。
 最近はね、以前ほど、あそこもダメ、ここもダメってこと、なくなりましたけど、けど、だからこそ余計に、どこでもジーンズは、やっぱやめたほうがいいんじゃないかな。
 ハナシは突然、ジーンズから浴衣にいくんですけど、今年になって聞いたハナシを2題。
 ひとつめ。[浴衣、着付けします]という美容院の貼り紙を見て、「浴衣なんか、なんでヒトに着付けしてもらうのよ」と驚いていた、初老の女性がいらっしゃいました。
 ふたつめ。「ちゃんと着付けしてあって、きれいに着てるんだけど、でもやっぱり、5月に浴衣はダメでしょ」と嘆いていた和服好きの女性。
 さいごに目撃談。
 やっぱり、髪もセットし、きれいに浴衣着付けてもらった数人の若い女性が、下駄でホテルのロビーを歩いてたとさ。
 ねえ。おキモノ、ニホンジン着なくなっちゃいましたから、ちょっとちゃんとした浴衣なら、外出着にもなります。
 外苑の花火大会なんか、浴衣で出かけると、「おお、キモノ・ガール」と、ガイジンにカメラ向けられます。
 でもやっぱり、浴衣は、浴衣。
 元はと言えば、風呂上がりにはおる、湯上がり用の簡単キモノでございます。
 と、まぁ、こんなふうに、着るモノにも、やっぱり出自というのは関係あるようです。
 ジーンズも、どれだけ高級ジーンズが登場しようとも、元はといえば、作業着です。
 当時の・・ってゆうのわ、ジーンズが生まれたころの、カリフォルニアの働くヒトたちも、日曜日、教会にいくときには、ジーンズ、履いてなかったと思うよ。
 お洒落はやっぱり、てーぴーおーが大切という、平凡なオチになったようでございます。

 はい、てなわけで、今日はここまでです。
 明日は、なんかあっさりしたハナシにしたいと思ってマス。
 でもって、三連休です。その間に、つぎのネタをじっくり考えておくと、蒼辰が言ってます。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-09-11 19:26 | 読むラヂオ