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16年春リニューアルしました! 蒼辰が書くおハナシを随時アップしております。ちゃみのMCともども、読んでやって下さいまし。
by planetebleue
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<   2015年 03月 ( 6 )   > この月の画像一覧

今ごろ開幕戦のハナシ。

 まいどっ・・とは、とても言えないちゃみでございます。
 なんでございますね。blogっちゅうもんは、いっかいサボり出すと、どうもいかんでございます。
 てなわけで、いつ以来だ? まともなupは、先々週の火曜日以来、になるのかな?
 ひでえもんだ。
 てなわけで、本日より、ぽっつらぽっつら、upを再開させたいと思っております。
 けど、あのぅ、なにかとありまして、週2くらいのupになるのかなぁ・・と、蒼辰が言っております。
 なにが、なにかとあるんだか、ちゃみは存じませんが。
 そんなわけで、本日は[ここんとこのあれやこれや]というおハナシでございます。
 ほぼ雑談に近いな、こりゃ。

 先ずは、15日の日曜日。いよいよでございますですよ。
 F1GPの2015年シーズンが開幕いたしました。
 ところはオーストラリア、アルバートパークでございますよ。
 まいど、荒れがちなアルバートパークですが、あんま、荒れたって感じではなかったですね。
 ってゆうか、メルセデス、あまりに順調に勝っちゃいました。
 それも、ディフェンディング・チャンピオンのルイスの、ほぼ独走でございます。
 あれ、どっこも全力で走ってなかったよね。
 ポールから飛び出て、あとは終始、レースをコントロールした、圧勝といっていい勝ち方でございました。
 脅かすとすれば、同じマシンに乗るニコしかいなかったわけですが、これまた、終始淡々と数秒後ろを走ってましたね。
 ニコ・ファン、怒れ。
 このまんまじゃ、いよいよセカンド・ドライバーだぞ。
 ほいで、3位がベッテルさま。
 ウィンターテストでは、好調を伝えられたフェラーリでしたが、あそこがいっぱいいっぱいというゲンジツを見せつけられちゃった感じです。
 果たして、今シーズンも、メルセデスと互角に戦えるマシンは登場するのか。
 そこがないと、今年も去年とおんなしになっちゃいそうですよね。
 フェラーリ、そしてレッドブル、期待したいです。
 でもって、今年は新人ドライバーがイキがいいようでございます。
 サインツとフェルスタッペン、二人の二世ドライバーも、まずまずのデビューだったんじゃないでしょうか。
 ほいで、マックス・フェルスタッペンって、まだ17才?
 来年からは、F1のレギュレーション変更で、18才以上じゃないと出場できなくなるそうで、史上最後の17才F1ドライバーになるかもしれません。
 ちょと、注目ですね。
 ほいでもって、パパとは違う道を選んだカルロス・サインツ。これまた注目でございマスですね。
 知らないヒトのために、いちおー説明しとくと、パパ・カルロス・サインツは、二度のワールド・チャンプに輝く、ラリードライバーでございます。
 アロンソさま以前の、スペインの英雄でございます。
 そらもう、カッコよかったんだぜ。
 ちょと闘牛士を思わせる風貌でね、マシンを降りて、さっとチームジャンパーを羽織る姿なんぞは、マタドールそのものでござんした。
 Jrのほうにも、そんな活躍を期待したいと思います。
 でもって、フェリペ・ナッサ? んまぁ、大ベテランとまことに紛らわしい名前の新人が登場したものでございます。
 けど、開幕戦について言えば、一番印象に残った走りでしたよね。
 生きのいい新人がいるシーズンは、きっと面白くなると思います。
 今シーズンは、中盤にも注目かも。
 そしてさいごは、やっぱマクラーレン・ホンダですよね。
 ま、ともかく1台完走というわけで、データはどんだけ取れたんでしょうか。
 そりゃ、まぁ、バトンも、アロンソさまも、オトナなドライバーだから、必要な仕事をきちんとこなしてくれるものとおもいマス。
 けど、そういつまでもデータ収集じゃねぇ。
 一刻も早く、戦える状態になってほしいものだと思います。
 ファンのほうも、長い目、必要な感じではあるけど。

 ああ、やっぱF1のハナシはじめると長くなるわ。
 てなわけで、本日はここまでにします。
 こんつぎ、どうなんのかな?
 土日は、キホンupありません。
 でもって、29日は、F1第2戦マレーシア。
 ってことは、月曜か火曜に、その観戦記があるのかな?
 それ以外は、なぁ〜んも予定されておりやせん。
 こちらも、どうか長い目で見守ってくださいまし。
 てなわけで、ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2015-03-26 13:28 | 読むラヂオ

おわび 15/3/20

 どもっ、ちゃみでっす。
 すいません、もう、先週から当ブログ、ほっぽらっぱなしで。
 なんせですね、蒼辰の旦那が、多忙と体調不良のダブルパンチに見舞われまして、てんやかわんやかになっておったのでございますよ。
 んなわけで、先週火曜日の、パンダのおハナシ以来、upができない状態が続いております。
 え〜と、来週にはぽちぽちどうにかなりそう?
 ま、あんまムリしないで、週2くらいのupで再会したら?

 てなわけで、当ブログは、また来週から、ペースを落として、再開する予定になっております。
 まずは、お詫び申し上げまする。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2015-03-20 17:19 | 読むラヂオ

3.11はパンダ発見の日なんだってさ。

 まいどっ、ちゃみでっす。
 えっとね、明日か、3月の11日は、パンダ発見の日なのだそうでございます。
 そこで、今週はまたしても発作的に、パンダのおハナシをしてゆきたいと思っとりマスです。
 で、じゃ、ま、先ずは、その、パンダ発見の日のおハナシからでございます。
 それは1869年 明治2年の3月11日のことでございました。
 中国四川省の西の方、宝興県というところにやってきたのが、伝道中のフランス人神父アルマン・ダヴィッドさん。
 このダヴィッドさん、地元の漁師から、白と黒の、変わった毛皮を見せられます。
 こりゃ珍しい、きっと珍獣に違いない、専門家にみてもらおう、というので、ダヴィッドさん、後日、毛皮と骨などを、パリの国立自然史博物館に送りました。
 このことが、欧米でパンダが知られるきっかけになったのだそうです。
 で、それを記念しての、パンダ発見の日ね。
 あっは〜ん。
 でもこれ、ニホンだけのおハナシらしいですね。
 しかも、どこが制定したとか、どんなイベントやってるとか、なぁ〜んも分かりまへん。
 どうもね、ダヴィッドさんのエピソードを知ったパンダ好きが、とりあえず記念日にしてみた、とか、そんな感じのように思えてきます。
 しかもですね、この記念日、どうなの? 的な部分がございます。
 だってさ、今、ふつうに、ただパンダ、パンダって言ってきたじゃない。
 でもって、みなさんも、あの白と黒のパンダを連想してたでしょ。
 しっかし。あの白と黒のパンダの正式名称は、ジャイアント・パンダなのでございますよ。
 言われて思い出したでしょ。
 じゃ、なんでジャイアントとついてるかとゆうと、レッサー・パンダと区別するためなのは、ゆうまでもありませぬ。
 レッサー・パンダ、知ってるよね。
 ほら、あの、立ち上がっちゃう風太で有名になった、あのレッサー・パンダですよ。
 わりあい、いろんな動物園にいるよね。確か、熱川のバナナワニ園にもいたと思った。
 そいでね、ガクジュツ的には、1835年にもう発見されていたレッサー・パンダのが先だったんだって。
 さらに、レッサー・パンダは、はじめ、ただパンダと呼ばれていたのです。
 ほいで、あとになって、あの白と黒が発見されました。うむ、これは大型のパンダだ、と、その時思っちゃったのね。当時の学者さんがね。
 そいで、大きいパンダという意味で、ジャイアント・パンダと名付けられた。
 ところがですね、ジャイアント・パンダ、なんせ、あの白黒です。
 珍しい。超珍しい。
 それに比べると、さきに発見された小さいパンダは、見た目、アライグマっちゅうか、なんちゅうか、まぁ、似たような生き物は他にもいるし、見かけたこともある。
 そんなこんな、アトから発見されたジャイアント・パンダのほうが有名になり、略して、パンダ、パンダと呼ばれるようになっちゃった。
 すると、先に発見され、ただパンダと呼ばれてた、小さいパンダとの区別が、ややこしくなります。
 そこで、小さいという意味のレッサーが、あとから加えられたのだそうです。
 なので、この、白黒パンダとの遭遇を記念する記念日を、[パンダ発見の日]と呼ぶことそれ自体、専門の学者さんは、どうも好ましく思ってないみたいです。
 まぁ、専門家にしてみりゃそうなんだろうけどね。
 けど、今や、パンダと言えば、あの白黒で定着しちゃってるものね。
 しかも、世界的にそういう傾向みたいですね。
 白黒のパンダのほうが、主に、単にパンダと呼ばれているようでございます。
 ケド、ニホンでほど、有名じゃないと思うよ、ヨソでは。
 なんかニホンってさ、珍獣とか、その類が、急にスターになっちゃうこと、多いよね。
 よってたかって「カワイイ」の連発で。
 それってどうなんでしょ。
 環境保護派からは、動物園そのものまで否定されかかっている今日でございます。
 珍獣のたぐいを、「カワイイ」の連発で、ペット扱いするのって、なんか違うような気がしますけどね。

 てなわけで、本日はここまでです。
 明日は、ついに発見された白黒パンダさんのその後ってとこから、おハナシを始める予定になってマス。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2015-03-10 18:45 | 読むラヂオ

箱根の関所のハナシ

 まいどっ、ちゃみでっす。
 え〜、先週からずっと、ほぼ発作的に、箱根のお話をしております。
 本日は、その最終回として、箱根の関所の話をしようと、こういうことになっております。
 箱根、関東と関西を結ぶ東海道の、最大の難所でございます。
 そも、さ、東海道線を作るとき、はじめは、今の御殿場線が、東海道線だったの、知ってる?
 つまり、箱根の山、丸ごと迂回していたのであります。
 それが、丹那トンネルの完成によって、熱海から函南まで、まっつぐ行けるようになって、距離も時間も、大幅に短縮されたのでありました。
 ケド、そのあとに作られた東名高速は、やっぱ御殿場線沿いを走ってますよね。
 あれ、トンネルが大変ってゆうより、小田原から熱海まで、真鶴半島の付け根を横切ってく、今の東海道本線のルートに、高速作るほどの敷地がなかったんでしょうね。
 行けば分かるけど、あそこを鉄道またはクルマで抜けると、片側・すぐ海、反対側・すぐ崖、という地形でございます。
 ね、そんなこんな、関東と関西を結ぶ東海道でも、もっとも難所だったのが、箱根なのでございます。
 当然のことながら、軍事的にも要衝でございます。
 なんせ、ここさえ押さえれば、敵の軍隊があっちからこっち、こっちからあっちに行き来するのを止められるわけですからね。
 なので、平時においても、ヒトの出入りをチェックするにはちょうどいい。そんなわけで、かなり早い時期から、ここ箱根には、関所が設けられていたようでございます。
 そもそも、関東・関西と言い方が、箱根の関所を境にしているんですよね。
 箱根の関所の東が、関東。西が、関西。関東・関西の関の字は、箱根の関所をあらわしているのでございます。
 ただ、おとついの箱根の歴史でも触れたみたいに、箱根越えのルート、少しっつ変化、ありましたから、関所の場所も、時代によって違ってます。
 ケド、やっぱ、よく知っているのは、江戸時代の箱根の関所ですよね。
 場所は、芦ノ湖畔、今の箱根駅伝のゴール地点のすぐ近くでございます。
 あのぅ、当時の建物が復元してあったり、資料館があったり、かなり整備されてます。
 観光スポットとしても、箱根の昔を知るには、いいポイントなのではないでしょうか。
 で、知らなかったのわ、脇街道にも5ヶ所の関所があったんだそうですね。
 ま、分署みたいなもんか。
 それだけ、幕府は東海道のヒトの出入りを、厳重にチェックしていたのであります。
 あれですよ、出女に入り鉄砲。入ってくる鉄砲と、出て行く女が、とりわけ厳重にチェックされていたのでございます。
 ただ、なんでもないヒトは、わりあい簡単に通れたみたいですね。
 町人の場合なら、大家さんに出してもらう通行手形さえちゃんと持ってれば、わりあいすんなり通れたものなんだそうです。
 ま、そりゃそうですよね。大半は、なんでもないヒトなんだから。そういちいち厳重にチェックしてたら大変です。
 成田空港の出入国手続きみたいなもんだったんでしょうね。
 ただし、通行手形ないヒトは大変です。先ず、通れません。
 ケド、どうしてもそこを抜けたいヒトはいます。
 そこで、関所抜けを請け負うヒトたちが、やっぱいたんだそうですね。
 もちろん、非合法です。
 かなりヤバイ仕事です。
 あ、そうそう。箱根といえば、雲助とか護摩の灰じゃないですか。
 要するに、強盗でございます。
 箱根は、暮れ六つから明け六つまで、要するに夜間は、通行禁止でした。
 ここにも、警戒の厳しさが窺えます。
 ケド、昼間といえど、山道です。
 おおよそ今の1号線、箱根駅伝でも走るルートが、昔の街道なわけですが、今でも、人家の途絶えるとこ、ありますよね。
 そういうとこに、強盗がひそんでいる。
 あるいは、湯本のあたりで傭った駕籠屋が、途中で強盗に変身する。
 そういうヤカラが、時に関所ヌケの案内人になったんでしょうね。
 ま、山ですから、獣道みたいなのでもなんでも、抜けられるルートはあったんでしょう。
 けど、案内人が、途中で強盗に変貌、なんてことも、ね。
 ただし、ちゃんと抜けさせてくれる案内人もいたそうですよ。
 これ、どこの関所でも、やっぱりそういう非合法の商売はあったんだそうで、世間が分かってて、金もあれば、関所抜け、そんなに難しいことじゃなかったとか。
 さっき成田のイミグレーションと比べましたけど、あれも、よくよく考えれば、島国だからできること。
 国境を接した国なんかではどうなってるんでしょうね。
 江戸時代に、関所抜け、難しくなかったなんて話を聞くと、今も、国境越えが難しくないとこ、あるんだろうなと思ってしまいます。
 それが日常の国を思えば、やっぱニッポン、島国だなと、改めて思ってしまいマスです。

 はい。そんなこんな、箱根のあれこれをおハナシしてきましたが、今日はここまで。でもって、箱根のハナシもここまでです。
 ホントはね、箱根が今のようなカタチになる、観光開発の時代もおハナシしたかったんですけどね。
 そのあたりは、獅子分六史の小説「箱根山」に詳しいので、興味のある方は、そちらをどうぞ。
 来週は、まだなにやるか決まってません。
 いずれにしろ、火水木は、upあります。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
 
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by planetebleue | 2015-03-05 13:07 | 読むラヂオ

箱根ゆかり? 曾我兄弟のハナシ

 まいどっ、ちゃみでっす。
 さて、先週から、発作的に、箱根のおハナシなんかしております。
 昨日は、箱根の歴史、ざっとたどってみましたが、本日は、箱根ゆかりの歴史的有名人・曾我兄弟のおハナシでございます。
 曾我兄弟ってゆうとね、歌舞伎好きのヒトは、すぐピンときちゃいますよね。
 歌舞伎には、曾我ものというジャンルさえございます。曾我兄弟を描いたお芝居、たぁ〜っくさんあるんですよね。
 で、じゃ、歌舞伎のおハナシする前に、曾我兄弟ってどういうジンブツか、ざっとおさらいしましょうか。
 曾我兄弟は、源頼朝と、ほぼ同時代のヒトでございます。
 なんで有名かというと、仇討ちなんですね。
 曾我兄弟の仇討ちとゆうのわ、赤穂浪士の討ち入り、伊賀越えの仇討ちとならぶ、日本三大仇討ちのひとつなんだそうでございますよ。
 これ、江戸時代から言われてたことらしいっすね。つまり、江戸時代、サムライにとっての、仇討ちのお手本とされていたのであります。
 ねぇ、復讐の連鎖ということがございますから、仇討ち、いかんと思いマス。
 しかし、武家社会では、家族が、サムライ的に無念な死に方をしたばやい、仇を討つことが、道徳的に正義とされたのでございます。
 ちゃみが、武士道とか、あんまし好まないの、このへんにあるんですけどね。
 それはともかく、曾我兄弟。
 生まれたのは、静岡県の伊東市でございます。でもって、育ったのが、小田原市内の蘇我というエリアでございます。
 なのでここには、宋我神社という、曾我兄弟を祀った神社もございます。
 でもって、仇討ちを果たしのは、富士宮市でございます。
 こちらは、曾我兄弟の聖地として、観光協会もウリモノにしているほどでございます。
 ん? 確かに箱根近辺だけど、どこが箱根ゆかり?
 はいはい。
 弟の五郎さんが、箱根権現の、稚児だったのでございますよ。
 でもって、五郎さん、源頼朝が箱根権現の参拝に訪れた際には、同道していた仇の工藤祐経を一人で討とうとします。
 しかし、反対に祐経さんに諭されちゃって、短刀なんかもらっちゃったりするんですね。
 ココ、蘇我物語では、けっこう大事なとこなんですよね。
 祐経さん、神社の境内で、まして稚児である五郎が、刃傷沙汰を起こしてはいけないと、イザその時には、ちゃんと立ち会ってやるから、機会を待てと、ま、おおよそ、そんなことを諭したのであります。
 すなわち、討たれるほうも立派だったというところが、蘇我物語が、サムライのみなさまに手本とされる理由だったのであります。
 これ、歌舞伎のほうでは、[対面]とよばれる場面として、描かれております。
 そいでね、曾我ものって、江戸時代後半になると、お正月の定番のお芝居だったのですよ。
 お正月には、曾我もの、それも対面、しかも新作。
 これが、江戸時代後半の歌舞伎界では、当たり前のことだったのでございます。
 なんでや? ですよね。
 これ、丸谷才一さんの、[忠臣蔵とはなにか]という本の、後半で触れられております。
 簡単にゆうと、いわゆる予祝だったのではないか、と。
 予祝ってゆうのわ、あらかじめ豊作を祝う、春のお祭りの大事なテーマですよね。
 それと同じで、仇に対面した曾我兄弟が、いざその時のためにと別れる。
 きっと成功するであろう仇討ちを予感させるところが、予祝としての意味があったのではないかと、こういうことなんだそうでございます。
 つまり、江戸の観客は、対面の場面を見ながら、やがて成功する仇討ちに、今年の願いをこめていたと、こういうことのようでございます。
 面白いですね。
 今でも、必ずってわけじゃありませんが、お正月、曾我もの、よくかかります。
 その時には、江戸時代人の気分になって、歌舞伎座にでも足を運んでみるとよろしいのではないでしょうか。
 てなわけで、曾我兄弟ゆかりの箱根権現でございます。
 あ、箱根権現のおハナシは、明日にしましょうかね。
 ちなみに、箱根湯本の、ちょっと裏に入ったとこ、有名なおそば屋さん・はつ花に行く途中に、曾我兄弟の石碑が立ってたはずです。
 おそば食べにいくときは、ちょと気ぃつけてみてください。

 はい、てなわけで、おハナシがばんらばんらの本日でございましたが、ここまででございます。
 明日も、箱根がらみです。権現さまのおハナシのあとは、ねぇ、やっぱ関所の触れなきゃいけないですよね。
 きっとそのへんになろうかと思いマス。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2015-03-04 16:15 | 読むラヂオ

箱根峠を越えるまで。

 まいどっ、ちゃみでっす。
 今日はひな祭りではございませぬか。
[読むラヂオ]的には、外せないネタではございますが、去年のこの日に、ちゃ〜んとやってました。
 ひな祭りの起源やらなにやら、ぐだぐだおハナシしております。
 そっち、参照してみてくださいまし。
 でもって、え〜と、先週から、発作的に箱根のおハナシをしております。
 まだまだ、おもろいネタがありそうなので、今週も、箱根のハナシ、つづきでございます。
 モノゴト、あれこれ調べてくと、面白いですね。いろんなことが分かってきます。
 さて箱根。これ、もう、大体のヒトが小学校の時の理科とか社会で勉強したんじゃないでしょうか。
 典型的な、カルデラ地形でございます。
 え〜と、つまり、火山が噴火して、その挙げ句に、真ん中のとこが凹んじゃうのね。
 そいでも、まだまだ噴火を繰り返すから、真ん中のとこは、再び山になるわけです。
 でもって、外輪山と呼ぶ、凹みの縁のとこの山に囲まれ、真ん中には、小山があるという、こういう地形になるわけでございます。
 もちろん、この地形ができるまでは、何万年も、何十万年もかかっております。
 しっかし、最終的に、今みたいな地形になったのって、ぬあんと、三千年前くらいのことなんですって。
 その時の噴火で、水がせき止められ、芦ノ湖ができたのだそうなのですよ。
 三千年前っすよ。そりゃまだ縄文時代だけど、もう後期だよねぇ。
 それなりに、ニンゲンらしい暮らししてた頃ですよ。
 そんな頃に、ようやっと、今みたいな地形になったって、ちょとオドロキました。
 そういえば、磐梯山のあたりが、今の地形になったのって、明治時代だわ。
 あの観光地・五色沼って、その時の噴火でできたんでしょ。
 あと、昭和新山か。
 昭和になってから、火山活動による隆起で、山になっちゃったんでしょ。
 どうも、火山活動って、ほかの、例えば浸食なんかに比べると、短い時間で地形を変えちゃうこともあるんだナと、改めて実感しちゃいます。
 ん? ってことは、なに?
 あんだけ開発の進んだ、大観光地・箱根も、またまた火山噴火によって、大きく地形が変わる可能性が、ないわけじゃないわけか。
 そうっすよね、すぐそばに富士山あるし、その影響も受けるかもしんないし。
 いやいや、恐ろしい。
 ケド、それが火山列島に暮らす、宿命なのだナと、改めて実感してしまう次第でございます。
 ほいでもって、芦ノ湖ができてから、およそ1500年もすると、弥生時代を経て、大和・奈良と、この列島に、どうやら国家・社会らしきものが形成されるわけでございます。
 そうなると、ヒトの行き来というものも生まれます。
 先に西のほう。今でゆう関西から九州にかけてのほうが、そのころは発達してたわけでしょ。
 ケド、関東の広大な平野は、ニンゲン暮らしやすいですから、そこにも人々が暮らすようになります。
 そうすると、東と西のヒトの行き来も生まれます。
 ほいじゃ、どうやって行き来したか・・あ、これ、東京発信だし、分かりやすいから、東から西に出発いたしましょうか。
 これ、首都圏生まれには、わりと答え簡単で、実感もありますよね。
 東京から、西へ、東海道でもいいし、246でもいいんだけど、西に向かうと、どっちみち箱根の山にぶちあたるわけでございます。
 海沿いに迂回しようにも、伊豆半島をぐるっと回らなくちゃいけません。
 やっぱ、この山、越した方が早いや、ということになる。
 ま、歩きやすいとこ探して、最初、獣道みたいなのから、だんだん、街道らしきものができるわけね。
 最初、律令時代ってゆうから、ほぼ奈良時代くらい? かな? その頃は、箱根山の北側、足柄峠を越えてゆくルートが、箱根越えのルートだったんだそうです。
 ところが、西暦800年にはじまる、富士山の延暦噴火というもので、このルートが通れなくなっちゃった。
 またしても、火山活動の影響でございます。
 そこで、今も国道1号線がとおる、箱根峠越えのルートができたんだそうです。
 いやはや、火山の影響、恐るべしでございます。
 ともかく、こうして、ようやく1200年ほどむかし、箱根の山と、箱根峠は、東と西を結ぶルートとして、ヒトが行き交う山となったわけでございます。

 はい、てなわけで、本日はここまでです。
 明日は、箱根にまつわる、もうひと組の歴史的有名人・曾我兄弟のおハナシでございます。
 どうも箱根のハナシ、まだまだつづきそうな気配でございます。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2015-03-03 13:37 | 読むラヂオ