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16年春リニューアルしました! 蒼辰が書くおハナシを随時アップしております。ちゃみのMCともども、読んでやって下さいまし。
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江戸前寿司はさっ、ぎゅっ、ぱくっ。

 まいどっ、ちゃみでっす。
 さて、今週は、江戸の食べもののお話しをしております。
 昨日は、天ぷらでしたが、本日は、寿司でございます。d0287447_1626649.jpg
 写真、「江戸商売図絵」(中公文庫)からお借りしてます。屋台のお寿司屋さんのようすですね。
 お寿司やさんも、長いこと、こうした屋台で商う商売だったようですね。
 志賀直哉さんに、「小僧の神様」という短編小説がございます。小僧さんが屋台のお寿司に手を出すところから始まるお話しでございます。
 あの作品、大正時代、ちょうど関東大震災ごろの作品ですから、その頃でも、寿司は屋台で商ってたんですね。
 一個、明治大正なら、何銭。江戸なら、何文。いずれにしろ、気軽に食べられるものでした。
 なんかねぇ、こういうことらしいですよ。
 江戸の町って、例えば植木屋さんとか、大工・左官みたいに、自分から出かける出職といわれる職人さんや、あるいは、行商のヒトもたくさんいたし、お店の小僧さんや、手代クラスのヒトでも、掛け取りやら、お使いやらで、町に出ることも多かった。
 そういうヒトたちは、忙しいから、ちゃんとお昼ご飯食べない。小腹が空いたときに、さくっとなんか食べて、次の仕事に向かう。
 そんなわけで、昨日の串天ぷらみたいな、ちょこっと食べられるモノが、はやったみたいですね。
 寿司もそうだよね。一人前11貫だと、どういう順番でいくか、じっくり悩みながら食べるけど、一貫ずつ注文できるなら、3つ4つ、さくっと食べられますものね。
 そんなわけで、忙しい江戸っ子には、こうした屋台の食べものやさん、とっても便利だったようです。
d0287447_16264049.jpg

 で、さて、寿司です。
 寿司って、元々はなれ寿司というものだったのは、わりと知られてますよね。
 けど、これ、米と一緒に伝来したんだそうですよ。ってことは、なに、弥生時代にはもうあったんだ。
 ひょえ~~っ。
 でも、その頃のなれ寿司は、お魚にもご飯にも塩をして、でもって、魚を飯でくるんで、何ヶ月もかけて発酵させるんですって。
 すると、ご飯はどろどろになって、食べられません。
 あ、要するに、魚の保存食だったんだ。
 なぁ~るほど。
 けど、臭いんでしょ。鮒寿司とか、かなりくるっていうじゃない。
 そうなんだけど、冷凍も冷蔵もできない大昔、発酵食品は、大切な保存食だったんだ、と。
 はい、大切にします。
 けど、食べられるまで何ヶ月もかかってると、やっぱ効率悪い。まちっと早く食べられない? というので、室町時代には、早なれ寿司というものが、あらわれるんだそうです。
 どうすんの? 魚を裂いて、腹のところに塩したご飯入れて、[なれ]させるんだ。
 これだと、数日で食べられて、しかも、ご飯部分も、ちゃんと一緒に食べられたのだそうです。
 そしてさらに、江戸時代のはじめになると、関西方面・京阪あたりで、押し寿司が生まれます。
 あ、今もある大阪寿司でしょ。
 ちょっと違う? どこが? 一日で食べられるようになったと、かなり時短したみたいな書きかたしてるとこみると、まだ[なれ]時間がかかってたんだと。
 ほぉ~お。
 あ、そうか。鯖すしなんか、[なれ]させてますよね、やっぱ。できてすぐ食べられる感じでわないわな。
 でも、そういうお寿司が、江戸時代のはじめから中頃にかけて、かなり一般的に食べられるようになるんだ。
 その頃は、お料理屋さんや専門店が作って、配達していた。
 あ、そうか、[なれ]時間の間、ずっと待ってるわけにもいかないもんね。
 けど、お祭りんときとか、やっぱ便利だったでしょうね。一同そろわなくってもいいし、もともと冷めてるものだから、出す手間も少ないし。
 やがて、19世紀もはじめごろ、文政年間のことでございます。
 もっと早く食べたい、というので、ご飯に酢をして、そこに生魚を乗せて、ぎゅっと握って、食べる方法が考案されました。
 あ、要するに握り寿司じゃない。
 いつ頃だって? 1820年代の後半くらい。なんでかってゆうと、文献初出が、1829年だから。
 ふ~ん。
 明治維新の30年ちょっと前か。
 でも、思ってたより古くないんだって感じだね。
 でもって、その握り寿司を考案したのが、華屋輿兵衛というヒトでした。
 あ~あ~、のちに和風ファミレスも考案した・・って、違いますよね、もちろん。
 ってゆうか、あのファミレスの華屋与兵衛って、そんなとこかた名前とってたのか。
 ま、ともかく、こうして江戸において握り寿司が考案され、またたくまに、江戸っ子の人気の食べものになるのであります。
 ってゆうか、江戸っ子は木が短いって言うけど、気が短いより、せっかちなんだよね。
 大阪寿司作ってるとこと、江戸前寿司の現場と比べるとわかるよね。
 上方がおっとりなのに、こっちは、さっ、ぱっ、ぱくっ、だもんね。
 なんともなんともな江戸っ子の気ッ風でございます。
 でもさ、大流行したわりには、ずっと屋台だったんでしょ。天ぷらみたいに火が出る心配ないのに、なんでお店構えなかったの?
 いや、店を構えたとこもあったんだ。けど、多くは、数個ぱっと食べるだけの客だから、屋台のがやりやすかった。それと、お店持てるほど儲けるのは大変だったのかもね。
 そうか、一個何文の商売だもんね。
 それと、江戸時代は、冷蔵庫ありません。なので、ネタにも、酢で締めたり、醤油に漬けたり、手を加えることのほうが多かったようです。
 なるほどね。今だと、「職人が仕事してる」とか言ってる部分ね。あれ、味だけじゃなくって、やっぱり保存ってこともあったんだね。
 なにしろ、昔はたいへんだ。
 それが、明治になって、氷の工場があちこちにできて、氷冷蔵庫でネタを保存できるようになった。電気冷蔵庫も、この頃すでにあったんだ。
 高かったでしょうね。
 ともかく、ネタが保存できるようになったのと、流通が、江戸時代よりは格段によくなったことで、ネタの種類も増え、ほぼ現在のカタチが出来上がるのでした。
 めでたしめでたし。
 え? まだ先があるの? なに?
 ん? 昨日の天ぷらといっしょで、関東大震災で、東京での仕事を失った寿司職人が散っていったことで、握り寿司は全国に広まっていったんだ。
 じゃ、天ぷらといっしょで、握り寿司=江戸前寿司も、大正までは、ほぼ東京でしか食べてなかったのか。
 ふ~ん。
 ってゆうか、地域で食べてるものって、案外、外に出ていかないよね。
 今でも、B1グランプリとかあって、ご当地グルメが、ちょっと有名になったりするじゃない。
 けどあれも、そんときだけで、B1グランプリで有名になったメニュが、普通にお蕎麦やさんや中華そば屋さんや食堂にのったり、家庭でも作ってたべるようになったりって、しないものね。
 地域の食べものが一般的になるには、なにか別のファクターが必要なのかもしれません。
 天ぷらと握り寿司は、大震災で職人が散ることで、拡散していきました。
 それと、江戸の、東京の食べもの、ってゆう影響力もあったんだろうね。
 こうして、全国に広がり、日本の食べものとなった握り寿司ですが、もいっこ、曲がり角がありました。
 戦後、衛生面を理由に、屋台での営業ができなくなっちゃうのです。
 じゃしょうがない。お店にしましょう。
 というわけで、今日のようなお寿司やさんのカタチとなり、そして残念なことに、いささか高級な、普段着では食べられないモノになっていったのでした。

 ありゃま、いつの間にか長くなりました。
 今日はここまでにします。明日は、もいっこの江戸の食べもの、お蕎麦についてのお話しです。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-02-26 16:26 | 読むラヂオ
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