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16年春リニューアルしました! 蒼辰が書くおハナシを随時アップしております。ちゃみのMCともども、読んでやって下さいまし。
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F1レジェンドその1・タッツィオ・ヌヴォラーリ

 まいどっ、ちゃみでっす。
 さて、今週末は、F1開幕戦・オーストラリアGPでございます。
 もうそろそろ、飛行機が次々とメルボルンの空港に到着していることと思います。
 というわけで、今日と明日は、F1レジェンドについてのお話でございます。
 F1、興味のない方でも、たとえば、フェラーリって名前は知ってますよね。
 もんのすごい値段のする、真っ赤なスポーツカーです。
 そいでもって、F1でももっともファンのおおいチームだってことも、かなりのヒトが知ってることと思います。
 そのフェラーリの創立者・・までいくと、知らないヒトも多いのかな? けど、F1の世界では伝説的人物でございます。
[RUSH~プライドと友情]見ました?
 あの映画の中でも、ニッキ・ラウダがフェラーリのテスト受ける場面で、コース脇の椅子に座ってるサングラスの人物いましたよね。
 そのあとの、記者会見の場面では、台詞もありました。
 あの人物こそが、エンツォ・フェラーリ。F1の世界では、コマンダトーレと言われた伝説の人物でございます。
 じゃ今日のF1レジェンドはエンツォさまのお話しかというと、違うんです。
 エンツォさまが、もっとも敬愛したレーシング・ドライバーのお話でございます。
 その人の名は、タッツィオ・ヌヴォラーリ。もっとも活躍したのが、1930年代ってゆうんですから、こりゃまた大昔でございます。
 そんな時代に、F1あったの?
 ない。ありゃま。
 現代のF1が始まったのは、1950年 昭和25年のことでした。
 けど、ある日突然、ぽんっと生まれたわけではございません。それまであったグランプリ・レースを整理統合して、その頂点をF1と呼ぶことにしたわけ。
 ですから、それ以前にもグランプリ・レースはありました。
 ん? ってことは、F1レジェンドじゃなくって、グランプリ・レジェンドじゃない。
 まぁ、そうとも言う、ってなんですか、どりゃ。
 ま、いいか。それで?
 ヌヴォラーリさんは、最初、二輪のレースで活躍してました。四輪に転向したのは、1928年のこと。その時すでに36歳だったそうです。
 へ~え。そういうハナシ聞くだけで、やっぱ昔のハナシだ、って感じですよね。
 でもって、大変に個性的な人物でした。
 身長は160センチそこそこ。いつも、胸にイニシャルの入った黄色いシャツの腕をまくり、ブルーのニッカボッカにアーガイルのソックス。胸にはお守りがわりの鼈甲の亀のブローチという出で立ち。
 たしかに個性的だわ。
 そして、白い革のヘッドギアとゴーグルを外すと、そこには精悍な彫りの深い顔立ちと、情熱的な瞳があるのでした。
 う~ん、コトバってすごいわ。
 だって、写真見ると、おっつぁんですよ、おっつぁん。あ、見たいヒトは、ウィキってね。
 たしかに精悍で彫りは深いけど、どっちかっつうと、職人気質っつうか、ガテン系っぽいよね。
 それもその筈で、戦前のレーシング・ドライバーって、賞金稼ぎっぽいヒトが多かったんだ。
 ふぅ~ん。腕におぼえがあれば、ってヤツですかね。
 でもって、世間にその名をとどろかせたのは、1930年のミッレミリアのことでした。
 ミッレミリアって? ぜんぶで1000マイル走ることから名前がついた、公道レースなんだ。57年までやってたんだけど、戦前からすんごっく人気があった。自転車でいえば、ツール・ド・フランスみたいなレース。はぁはぁ。
 そのレースで、アルファロメオのワークスカーを預かったヌヴォラーリは、ミッレミリア史上はじめて、平均時速100キロを越えるスピードで1000マイルを駆け抜け、みんごと勝利したのでありました。
 なぁ~るほど。
 その走りは激烈そのものだったんだそうです。
 どんなコーナーでもブレーキ踏まずに侵入して、カウンターをあてまくり、四輪をドリフトさせながら、抜けていっちゃうんだそうです。
 いわゆる、クルマをねじ伏せるっていうスタイルね。
 そら見た目も派手だわ。人気出るわ。
 そして、そのキャリアの中で、もっとも伝説となっているのが、1935年のドイツGPでございました。
 その年はね、ドイツのクルマが圧倒的に強かったんだそうです。メルセデスとアウトウニオンの2チームが、グランプリを席巻していました。
 ん? アウトウニオン? いろいろ変遷あるんだけど、要するに今のアウディ。あ、そう。
 なぜかとゆうと、国威発揚だというので、ヒットラーがえらい補助金出してた。あ、そうなんだ。
 そういえば、あのヒットラーが一喜一憂する記録映画で有名なベルリン・オリンピックが1934年だものね。
 ナチス・ドイツが、なんでも世界で一番じゃないと気が済まなかった時代でございます。
 まして、地元ドイツGPだ。もう勝って当然って雰囲気だよね。
 レースの行われたニュルブルクリンクには、なんと40万人もの観客が訪れたのだそうです。
 40万って、すごいよね。ウッドストックに集まったのと、おんなじ人数でございます。
 そんな中、ヌヴォラーリさんは、アルファロメオのワークス・ドライバーとして乗りこんだのでありました。
 でもって、アルファロメオのワークス・カーを預かっていたのが、スクデリア・フェラーリ。つまり、エンツォさんが経営していたレーシングチームだったのですね。
 けど、ヌヴォラーリさんとエンツォさま、一度は仲違いしています。
 前の年までは、ヌヴォラーリさんの年下のライバルだったバルツィというドライバーで戦ってたのね。
 けど、バルツィくん、やっぱ速いマシンのがいいやって、アウトウニオンに移籍しちゃった。
 こっちはこっちで、ムッソリーニに「勝ってくれ、アルファロメオ、そしてフェラーリくん」って言われてるもんだから、なにしろ、イタリアのために勝てるドライバー乗せなきゃいけない。
 となると、ヌヴォラーリさんしかいなかったと、こういう事情。
 もっとも、ムッソリーニは、ヒットラーほどお金出さなかった。
 なので、マシン的にはドイツ勢のが断然有利。エンジンで比べると、アルファロメオが330馬力なのに、アウトウニオンは375馬力、メルセデスにいたっては430馬力もの怪物エンジンを積んでいたのだそうです。
 そりゃ、速さに差が出るわ。
 けど、場所はニュルブルクリンクでございます。
 その頃のニュルブルクリンクは、長さが22.8キロもあって、コーナーが174もあるっていう難コース。
 ここ、今でも北コースっていって、新型車のハンドリング・テストとかに使ってるとこなんだそうです。
 ま、とにかく、難コースとなれば、ドライバーの腕がモノを言います。
 予選から、神がかり的な走りを見せたヌヴォラーリさんは、なんと予選2位。フロントロウを獲得します。
 そして、レースもスタートよく、トップに。
 けど、こっからがね。やっぱし、ストレートじゃメルセデスのが断然速いわけですよ。だんだんに追い抜かれて、さらに、ガソリン補給のピットインではポンプが壊れて、6位まで順位を下げてしまいます。
 けど、こっからがヌヴォラーリさんの本領。非力なアルファロメオを駆って、次々とメルセデスやアウトウニオンをオーバーテイクしまくり、再び2位に順位を上げます。
 けど、残り2週。トップとの差は1分。いくらなんでも追いつけるわけないと、誰もが思いました。
 しかし、残り1週となったときには、差は30秒に縮まっています。
 でも、だいじょぶだろう。
 ポールには、巨大なハーケンクロイツを掲げる準備が進み、放送室のプレイヤーには、ドイツ国歌のレコードもセットされました。
 その時、まるで背後に迫るヌヴォラーリさんの影に怯えたかのように、トップを走っていたメルセデス車のタイヤがバーストしたのです。
 ヌヴォラーリさん、奇跡の逆転優勝でした。
 こっからが面白い。
 ヌヴォラーリさんが信頼するメカニックのヒト、ただちにイタリア国歌のレコード持って、放送室に走りました。
 勝ったときには、それを届けろと、ヌヴォラーリさんが預けてあったんですって。
 けど、ポールには、なんだかみすぼらしいイタリア国旗が上がっています。
 用意してなかったんですね、ドイツの主催者。
 それを見て、ヌヴォラーリさんが言いました。
「新品の旗を買っておけと、ドイツ野郎に言ってやれ」
 あはははは。カッコイイよね、こういうとこ、昔のヒトって。
 そんなヌヴォラーリさんの激烈な走りを、エンツォさまは、やっぱり愛していたのですね。
 永遠の、理想のドライバーとして、エンツォさまの胸の中で生き続けたのでした。

 う~、もっと面白いエピソードとか、関連するハナシとか、いろいろあるんだけど、長くなりました。
 またいつかということにして、今日はここまでです。
 明日も、F1レジェンドのハナシがつづきます。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-03-12 13:30 | 読むラヂオ
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