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16年春リニューアルしました! 蒼辰が書くおハナシを随時アップしております。ちゃみのMCともども、読んでやって下さいまし。
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クリミアってどんなとこ? その2

 まいどっ、ちゃみでっす。
 さ、今日も[ちゃみと蒼辰の読むラヂオ]が始まるよっ。
 というわけで、今週は、緊急特集[クリミアってどんなとこ?]がテーマです。
 昨日は、地理でしたね。d0287447_13265032.jpg
 クリミア半島が、狭い地峡でしか大陸とつながってないこと。でもって、黒海を船で行き来するヒトたちにとっては、船を休めるのに都合のいい場所にあることも分かりました。
 でもって、南側は、温暖な気候の、保養地向きの土地らしいことも分かりました。
 そんなこんなが分かったところで、本日は、半島の歴史を、ざっとおさらいしたいと思います。

 先ず、紀元前。
 遊牧騎馬民族が暮らしてたみたいです。
 でもって、他の遊牧騎馬民族が侵入して追い出されたり、南のほうのアジアのあちこちに、強い王国ができると、そこに支配されたりしてます。
 ってことは?
 きっと、遊牧に適した、わりと肥沃な土地だったんでしょうね。
 けど、ずっとそこに定住してたヒトたちはいなかった、ってことにもなります。
 肥沃っていいながらも、農業に適してなかったのかな? え? 雨が少ない。なるほど。
 やがて、ギリシアが勢力を持つ時代になると、ギリシア人が入植してきたりします。
 つぎに、ローマ帝国の時代になると、ローマの属国の支配を受けるようになります。
 ボスポラス海峡のあたりにできた王国が、ローマの属国になり、クリミアを支配してたみたいですね。
 ボスポラス海峡ってほら、トルコのイスタンブールのとこにあって、アジアとヨー立派を隔ててる海峡で、黒海への入り口でございます。
 ってことは、やっぱ黒海を船で行き来するヒトたちには、利用しやすい場所だったんですね、クリミア。
 その証拠が、次の時代。
 民族大移動の時代になると、いろんな民族が侵入し、また別の民族に追い出されたりしてます。
 ああ、これも教科書にありましたよね。地図の上に、矢印がいっぱい書いてあるの。
 そもそも民族の大移動とは? とか、ここでやってると、ややこしくなるだけなので、大幅に省きます。
 けど、その間も、南の良港セバストポリだけは、要塞を築いたビザンチンの支配下にありました。
 セバストポリだけでも支配下に置いておかないと、黒海での自由な航行ができなかったんでしょうね。
 やっぱり、海運の要衝なのでございます。
 もいっこ。この時代のクリミアの支配者の中には、キエフ大公国の名前もあります。
 このキエフ大公国、今もウクライナの首都であるキエフを都に、ほぼ今のウクライナを支配した国です。
 成立したのが、9世紀のこと。
 広い意味でのロシアらへんで、最初に出来た国らしい国なんだそうです。
 なので、ロシア・ベラルーシ・ウクライナ、三つの国のルーツともされているんですって。
 そうなんだ。ウクライナって、もともとはロシアより古い歴史を持ってるんだ。
 でもって、今のイスタンブールに都をおいていたビザンチン帝国の影響を受けて、キリスト教の国になるんですね。
 ビザンチンですから、東方教会です。
 これが、今のロシア正教のルーツともなったんだ。
 あ、そうか、だからクレムリンの屋根とかがソフトクリームみたいなのは、あれはビザンチンの影響なのだ。
 ふ〜〜ん。
 ところが、13世紀に、このキエフ大公国、滅ぼされちゃいます。
 誰に? モンゴル。
 あ、ジンギスカンが帝国をばんばん広げてたときか。
 そうなんですね。で、この時、クリミア半島にも、タタール人系の王国が生まれます。
 タタール人って、モンゴル人も含まれるアジア系のヒトたちですよね。
 あ、今もクリミアに住むタタール系のヒトって、この頃に移住したヒトたちの末裔なのか。
 ふむふむ。
 ついでに付け足すと、キエフ大公国が滅びたあと、次第に実力をつけたのが、モスクワ公だったんですって。
 こうして、スラヴ文明の中心がモスクワのほうにうつり、のちのロシア王朝につながるのでありました。
 さて、タタール系の王国ができたクリミアはどうなったか?
 やがてモンゴル帝国が衰退すると、今度は、南にオスマン・トルコという帝国が勢力を広げます。
 なので、タタール系のクリミア王国も、オスマン・トルコの支配下に入っちゃいます。
 だがしかし、その間も、セバストポリだけは自治都市でした。
 衰退したビザンチンにかわって、ここを植民地にしていたのは、あのヴェネチアでした。
 当時のヴェネチアって、地中海の制海権を一手に握ってたんですよね。
 ってことは、さらに東との交易上も、セバストポリ、大事なみなとだったんですね。
 それともいっこ、タタール系の王国が、他の帝国の支配を受けながらも、いちおう、王国のカタチを長く保ってたのも、クリミア半島が、大陸から隔てられてた。
 エリアとして、こっからここまでっていう線引きがやりやすい地形であることも関係しているかもしれません。
 逆にいうと、帝国にとっても、支配しやすい場所なのかもしれない。
 しかも、セバストポリって良港あるし。

 そして時代は、近代へと移ってくわけですが、今日はここまでです。
 当然、明日はこのつづきやります。
 果たして、クリミアの運命やいかに。
 ほいでわまた明日っ。
 ちゃみでしたっ!
 
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by planetebleue | 2014-03-26 13:30 | 読むラヂオ
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