パリ祭でございます。 |
まいどっ、ちゃみでっす。 今日は、7月の14日、パリ祭でございます。 なんですが、本日の朝刊によりますと、この日を「パリ祭」と呼ぶのは、ニホンだけなんだそうですね。 なんでも、1933年 昭和8年に公開された、ルネ・クレール監督のフランス映画「巴里祭」が大ヒットしたことから、ニホンでは7月14日を、パリ祭と呼ぶようになったのだとか。 映画「巴里祭」の原題は、Quatorze Juillet (キャトゥールズ・ジュイエ)、これ、7月14日というイミです。 7月4日の独立記念日を、4th of July と呼ぶのと、同じ感覚ですね。 でもってもちろん、7月14日は、フランスの建国記念日でございますです。 1789年のこの日、あの、バスティーユ監獄襲撃事件が起こったんですね。 フランス革命の始まりでございます。 革命は成功し、共和国が生まれました。そして翌年、この襲撃の一周年記念イベントが行われ、この日が、建国記念日と定められたのだそうです。 ふぅ〜む。 イマイチ、ピンときませんが、フランス革命にとって、バスティーユ監獄襲撃事件って、大きな出来事だったのですね。 けど、このとき、収監されていて、市民の手で解放されたのは、たった7人だったんですよね。 何百人もの囚人が解放されたわけじゃありません。 ただし、バスティーユ監獄って、王さまが、気に入らないニンゲンをとっつかまえて、放りこんじゃう、そういう監獄みたいだったです。 「主に政治犯を収容していた」とか、モノの本には書いてありますが、要するに、王さまの身勝手の象徴みたいなとこだったんですね。 時の王さま、知ってますよね。ルイ16世。マリー・アントワネットの旦那さまでございます。 さて、そんな7月14日でございますが、ニホンでは、そんなわけで、パリ祭と呼ばれて、親しまれてきました。 ん〜、ちゃみ的には、親しんできた実感、ないっすけど。 ま、要するに、シャンソンの、一年に一度の、ビッグイベントだったんですよね。 あ、だった・・は、間違いか。 今年もやってます。7月12日13日のNHKホールを皮切りに、けっこう各地、巡演するようでございます。 興味のある方は、パリ祭 2014で検索すると、すぐHP見つかります。 けど、シャンソン、やや、おわコン化してますよね。 実際フランスでも、今のヒットってゆうと、かなりポップ化しちゃってて、いわゆるシャンソンの匂いは、しませんものね。 そのあたり、どこの国も、事情は同じようでございます。 ニホンでも、60年代からロックブーム、フォークブームがあらわれました。 そして、シンガーソングライターが数多く登場しました。 やがて、そうした人々の作る音楽が、Jポップと呼ばれるようになり、ニホンのポピュラー音楽の主流みたくなってます。 一方、それまで、流行歌の主流だった歌謡曲は、演歌という独自の別ジャンルになって、細々と生きのびております。 こういうこと、いろぉ〜んな国で起こってきたんですね。 イタリアのカンツォーネしかり。ブラジルでも、サンバはともかく、ボサノバは、今や中高年の音楽なんだとか。 アジア各国もそうですよ。 韓国は演歌の国でしたが、今やKポップの国です。 香港や台湾も、以前は歌謡曲っぽい流行歌が主流だったんですけど、これまたCポップと呼ばれる香港ミュージックはじめ、みぃ〜んなポップ化しちゃいました。 面白かったのはね、蒼辰がバリ行ったときのハナシ。 蒼辰たちが観光中、運転手さん、ラジオつけて休憩してたんですって。 そこに蒼辰たち戻ってきちゃったんで、あわててラジオ消したらしいんだけど、そのとき聞いてたの、[かなり歌謡曲っぽかった]と、言ってました。 あ、なんか、ハナシがずれてきちゃったな。 シャンソンのハナシですよ、シャンソンの。 かつては、シャンソン、ニホンで良く聞かれる音楽の、一ジャンルとして定着しておりました。 ニホンジンの中の、おフランス派の象徴みたいなもんですよね、シャンソン。 けどね、じゃ、いつごろ、どんなふうにシャンソンが入ってきたのか、というようなハナシは、ウィキってみても、ほとんどありません。 これって、今、シャンソンへの関心が薄いことの反映ですよね。残念なことでございます。 想像してみると、やっぱし映画でしょうね、フランス映画。 映画の中では、必ず音楽、流れてるわけですから、そういうとこから、シャンソンに触れたのではないでしょうか。 そんでさ、あのぉ〜、明治初期に、外国の文学が翻訳され始めたころ、シェークスピアなんかと一緒に翻訳されたのが、「三銃士」だったりしたんですってね。 なんですか、ニホンは、フランス文学を、もっともよく読んでる国のひとつなんだそうです。 これまた、ちゃみには実感ないけど。 ほいで、フランスといえば、知的で、お洒落で、洗練されていて、というイメージが出来上がっていったのでしょうね。 あと、第二次大戦で、ニホンは主にアメリカ、イギリス、オランダ、そして中国と戦争しました。 フランスは、敵方の同盟国でしたが、直接、戦争しなかった。そんなことも、フランスに素直にあこがれられる理由だったのかもしれませんね。 そして戦後、シャンソンは、ブームとなります。 けどさ、一方で、多くのヒトにとって、アメリカがあこがれだったわけですよね。 チューンガムにチョコレートに始まって、ステーキやハンバーガーにあこがれ、やがてロカビリーブームへとつながってくわけでしょ。 それと同時並行で、シャンソンですよ。 大多数のアメリカ派は、やがてヤンキーとなり、少数のおフレンチ派は、やがてひっそり暮らすようになりました、みたいな? けど、おフレンチ派の文化って、たとえば今でいうと、ロハスとか、ナチュラルフード系とか、要するにフード左翼的な、そんな中に生きているような気もします。 そういうヒトたちって、クレプスキュールとか、好きだしね。 ま、そういう蒼辰自身、おフレンチ派なんですけどね。 影響で、ちゃみも、ややおフレンチです。 決して、ヤンキーじゃないし、フード右翼でもありません。 ジローのラーメンも食べません。 とか、そんなふうにハナシを広げていくと、おフレンチ派って、やっぱどっか、今どきのニホンカルチャーに影響は与えてるんだよね。 今も、おフレンチ派を気取ってるっぽいヒトはいます。 けど、年々だんだん、少数派のいっとをたどっているような・・・。 そもそも、[おフレンチ派を気取る]って言い方が、自然に出てきちゃうとこに、おフレンチ派が世間からどう見られてるか、けっこ自虐的に出てんのかもね。 けど、マリオン・コティヤール主演の「エディット・ピアフ〜愛の賛歌」は、見応えのある映画でした。 第二次大戦をはさんだ時期、そもフランスで、シャンソンがどのように歌われ、聞かれていたのか、そこ見られただけでもよかったと、生粋のおフレンチ派・蒼辰は言っておりました。 興味のある方、ぜひ見てみてくださいまし。 てなわけで、本日はここまでです。 なんか、雑談っぽくなっちゃいましたけどね。 えっと、明日あさっては・・あ、なんかおフレンチっぽいハナシ、するつもりでいるみたいだぞ。 マジかよ。 ほいでわまたっ。 ちゃみでしたっ! |
by planetebleue
| 2014-07-14 19:41
| 読むラヂオ
|
<< パリと言えば、絵描きさんなのだ。 | 蒼辰マダムの台北報告・その2 >> |