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16年春リニューアルしました! 蒼辰が書くおハナシを随時アップしております。ちゃみのMCともども、読んでやって下さいまし。
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亡くなられた山口淑子さんのハナシ。

 まいどっ、ちゃみでっす。
 三連休最後の日、15日の新聞各紙の一面に、山口淑子さんの訃報が掲載されていました。d0287447_14404199.jpg

 みなさんもご覧になったことと思います。
 新聞には、略歴ってゆうか、その生涯も特集されてましたね。読んだヒトも多いことと思います。
 それ読むと、すんごい一生を送った方なんだと、あらためて驚いてしまいました。d0287447_1441775.jpg

 こっちの写真は、当日のサンケイ・エキスプレスのものですが、まさに、歴史に翻弄されたって感じですよね。
 とくに、中国時代の前半生。
 ま、新聞とかにも紹介はされてたけど、ざっとおさらいしましょうか。
 山口淑子さんは、1920年 大正9年に、現在は中国・遼寧省にある撫順という町で生まれています。
 ご両親とも、日本人です。
 ではなぜ、その時代の中国・東北地方に、日本人が住んでいたのでしょう。
 ちなみに、日本が作った傀儡国家・満州国の成立は、1932年 昭和7年、だいぶあとのことでございます。
 ヒントは、お父さまのお仕事にありました。
 淑子さんのお父さま、満鉄で、中国語の先生をしていたのだそうです。
 なんですケド、こんだ、満鉄ってなぁに、ってハナシですよね。
 満鉄、南満州鉄道といいます。これ、もともとロシアが建設し、権益を持っていた鉄道でした。
 しかし、1905年 明治38年に、日本が日露戦争に勝利します。
 その結果、この鉄道の権益が、日本のものとなったのでした。
 そいでね、鉄道っていっても、沿線に多くの付属地を持っていて、炭鉱開発や農地の経営、製鉄所まで持っていたんですって。
 要するに、租借地、ってゆうか、ほとんど植民地状態だったのでございます。
 そんな満鉄で、淑子さんのお父さまは、中国語の先生やってました。
 ってことは、もともと中国語ができて、あらたにやってくる日本人が生徒だったんですよね、きっと。
 でもって、親中国的な方だったんだそうです。そのために、淑子さんも、子どものころから中国語に親しんでいました。
 つまり、バイリンガル。学校も、北京のミッション・スクールを出てらっしゃるんですね。
 ってことは、中国語で教育受けてたんだ。
 日本が、中国に権益を持ちつつあった時代に、日本語・中国語、両方できて、しかも、絶世の美貌の持ち主で、歌声もきれい。
 まわりがほっとくわけありませんよね。
 かくして、満州国が成立した翌年、1938年 昭和13年に、18才で、映画女優としてデビューするのであります。
 その時につけた芸名が、李香蘭。
 中国人として世に出たのでありました。
 けどさ、若き日のお写真とか見ても、まさに絶世の美貌ですよね。
 ヘンな言い方かもしれないけど、この時代に、日本人を両親にもって、それでこのエキゾチックな美貌ですよ。
 そりゃ、ほっといてはもらえませんわな。
 絶世の美女というものは、その美しさゆえに、時に、自分の人生を縛られてしまうものなのかもしれません。
 ちゃみはだいじょぶですけどね。
 こうして、中国人女優として一躍スターダムにのし上がっていくわけですが、この頃に交流のあった人物として、川島芳子さんの名前がありました。
 そうなんですよ。
 日中戦争時代に、歴史に名前を残した女性と言えば、なんといっても川島芳子さんと、李香蘭さんでございます。
 このお二人に接点があったとは、雑学好きの蒼辰も知らないことでありました。
 んじゃ、川島芳子さんのこと、ざっとおさらいするね。
 川島芳子さんは、1907年 明治40年のお生まれ。なんと、清朝の皇族・粛親王のお嬢さまでございます。
 その後、川島浪速という人物の養子となり、8才で来日、以後、日本の学校で教育を受けています。
 つまり、李香蘭さんとは、真逆の立ち位置。
 養父だった川島浪速さんは、清朝の警察部門の顧問だったヒトでした。
 しかし、辛亥革命が起こり、中華民国が成立しちゃいます。
 すると、清朝の皇族だった粛親王は、清朝の再興のための活動を開始します。
 その支援者の、日本での代表格が、川島浪速でした。そして、粛親王との信義のために、芳子さんを養女としたのでした。
 もう初めっから、今どき考えられない、政治がらみの生い立ちの方なのです。
 その後、大幅に省略しますけど、満州国成立の裏ではさまざまな工作に関わったり、日中戦争でも、日本軍に協力するさまざまな活動を行った方です。
 で、ついたあだ名が[東洋のマタ・ハリ]。
 マタ・ハリって、第一次大戦のときに活躍した有名な女性スパイでございますね。
 その一方で、ラジオに出演したり、歌もうたったり、当時の中国では、有名人の一人です。
 芳子さんは、17才年下の李香蘭さんを、妹にように可愛がったそうです。
 しかし、片や政治的人物、片や、国策映画でスターになったばかりの若手女優。
 二人の交際に危険なものを感じた周囲の人々によって、交際は長くつづかなかったそうです。
 しかし、のち、李香蘭さんにあてた手紙の中で、「私のように利用されるばかりの人間になってはダメ」みたいなことを、芳子さん、言っているそうです。
 やがて、日中戦争が、日本の敗北で終わります。
 中国人・李香蘭も、日本への戦争協力者として、逮捕されてしまいます。
 しかし、純粋な日本人ということが証明され、無事、帰国しました。
 でも、川島芳子さんは?
 中国を裏切った人間として、銃殺刑に処されてしまいました。
 まさに、歴史に翻弄された人生だったのですね。
 同じ第二次大戦におけるニホンでも、対米戦争は、ほぼ軍隊同士の衝突に終始しました。
 もちろん、無差別爆撃や原爆のことはあったけど、あれもまぁ、軍事的な戦略です。
 けど、日中戦争のほうは、なんせニホンは、中国に権益を保持したい、さらには拡大したいわけですから、もう謀略や策謀の渦でございます。
 それだけに、そのプロセスを正確にたどるのが難しい戦争でもあります。
 そんな中で、いわば利用されてしまった女性たちがいたこと、歴史の事実として、覚えておきたいと思います。
 最後に、新聞に紹介されていた山口淑子さん、晩年のコトバを紹介しておきます。
「なんで日本人はあんなに威張っていたのでしょうか。自分たちが『東洋の盟主』なんだと、勘違いしていたのでしょうか」と。
 虎の威を借りるナントカ、みたいなニホンジンが、あの時代、ニホンの内に外に、大勢いたことも、やっぱり覚えておきましょうね。
 そして、そんなニンゲンには、決してなってはいけないと、改めて、自分に言い聞かせたいと思います。
 哀悼。

 はい、今日はここまでです。
 明日は、なんですか、当Blogの新しい柱として、やっぱり歌舞伎のハナシを少しっつしようかな、と蒼辰が言ってます。
 わい。歌舞伎、ちゃみも大好きなんだよん。
 ほいでわまたっ。
 ちゃみでしたっ!
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by planetebleue | 2014-09-17 14:42 | 読むラヂオ
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